資格を持つ者
ティナ/漆黒の瞳と髪を持つ記憶喪失の少女
ブライド/ティナの処遇に困る少年・ティナの名前は自分がつけた
エンヤ婆/ブライドの知り合い?
「なるほどのぉ。それはまたおかしなことだ」
一息つくと、エンヤは口元からコップを放し、テーブルへと置いた。ブライドから名前をもらったほんの数分もしないうちに、エンヤは二人のもとへとやってきた。お茶の準備がととのったからおいで、と促す彼女に二人はついてきて。ブライドが彼女と出会った以降のことをあらかた説明しおえたところだったのである。ただし、少女が名前すらも忘れていた事実は伏せて。ブライドいわく、“いくら何でもそこまで怪しいことは言えない”だそうだ。何かの拍子で一時的に記憶をなくした少女の線でいこう、と。そういうことらしい。
怪しくて悪かったわね……
ぽつりと漏らした自分の言葉に思わずブライドには笑われたが。
エンヤが、ブライドの事に関してふれないのは、彼が知り合いだったからだろう。それは、ここへ現れた時の彼女の態度から察せられる。
「・・・ふ〜む・・・」
何かを考え込むように、しばらく身じろぎもしない老婆に声をかけたのはブライドだった。
「・・・エンヤ婆?」
「お、おお。悪いの」
そうしてエンヤは我にかえる。
「……すまんが、ブライド。地下に行って3番目の棚にある赤い本を取ってきてくれんかね?」
「? それはかまわないが、何で突然・・・それに赤い本といっても・・・あの書庫にはそんなものは山ほど――」
「――行けば分かるよ。さっさと行っといで。3番目の棚だからね」
まだ何か言おうとするブライドを押し出すように部屋の外へと追いやると、エンヤはその扉を閉める。通路でぶつぶつ、とブライドのつぶやきが聞こえてくるが、やがてそれも足音とともに遠ざかり。そして、エンヤは、やっと少女のほうへと向き直ったのだった。
「お前さん・・・名を何と言うのかね?」
その口調に多少の警戒心が込められているのを感じながら、少女は答えた。
さきほど、つけてもらったばかりの名前を――
「ティナ」
エンヤが、ほんの一瞬驚いたような表情をしたのを、ティナは見逃さなかった。しかし、ふれないことにする。今は関係のないことだ。ブライドがつけてくれた名前に、何の意味があろうとも。それは自分の意志でもあったのだから。
「・・・・・・だが、本当の名前は別にあるんじゃないのかい?」 鋭いそれに
「……だと思うわ」 ティナは淡々と答える。
戸惑うようなエンヤの表情を見て、ティナはつけ加えた。
「隠しているんじゃないの。分からないのよ、本当に」
「ふむ・・・・・なるほどの・・・なるほど・・・」
いまだティナを眺めながら、エンヤは同じことを繰り返すばかりだ。結局、ティナは全てを話した。隠し立てする必要はなさそうだ。何よりブライドの知り合いなのだし、悪いようにはならないだろう。自分が何も分からない故の軽率な行動ではない。この人物には話してもいい・・・直感で、彼女はその選択肢を選んだのである。
ふう。肩をすくめると、ティナは目の前に置かれているお茶に手を伸ばした。
・・・・おいしい。そう思っているところへエンヤが話しかけてくる。
「どうだね、味のほうは?」
「おいしいわ」
「そうだろうね。そのお茶に使用してる葉は、そんじょそこらのもんじゃない。この国にこの人ありと謳われるこのあたしが手ずから栽培してるもんだから。薬草仙女の異名はダテなんかじゃないよ。それには鎮静効果もある。少しは気分もいいだろう?」
「そう・・・・ね。確かに、あなたの腕は本物」
言葉数の少ない落ち着いた、まるで外見と似合わないその賛辞。今まで、いろいろとほめ言葉はもらってきたが、こんなに短いのは初めてだ。
知ったふうな口をきくじゃないか。そうは思うが、なぜか腹は立たない。確かに、この少女は本心から言っている。
「お褒めにあずかって光栄だよ」 くつくつ、とエンヤは笑った。
「ところで――」
腕をお出し、とエンヤは言った。ティナの擦り傷のことをブライドが話していたのである。
薬を塗っておこう、というエンヤに促され、ティナはしぶしぶ腕を出していた。
別にいいのに・・・・。責めてなど、いないのに。
薬液とはいえ、むしろ薬とは思えない程いい匂いのそれを塗り込みながら、ティナの考えている事を察したのか、エンヤは口を開いた。
「あれは優しい子だからね。たとえちょっとの傷でも、お前に負わせてしまったことのが気になるんだろう。
ましてそれが自らの未熟ゆえとなればなおさらだ。」
「・・・コントロールできていないのね」
「ああ」 塗り終わると、軽く包帯を巻きはじめるエンヤ。
「風はいつでも気まぐれなものだからね」
風、炎、水……そして土。それがこの世界をカタチづくるものだとエンヤは告げた。大まかにではあるが、だ。それは自然のチカラであって、基本的には自分たち人間がどうこうできる領域にはないものである。
「ブライドが空を飛べるのは――」
まあ、飛ぶというには程遠いまねごとだがね、、、と苦笑しながらエンヤは続けた。
他の人間よりはその『領域』に作用できる資格をもっているからだ、と。
「・・・資格?」
問いかけるティナ。エンヤは頷く。
「ああ、そうだよ。誰かれかまわずチカラを使えるわけじゃない。いや、正確には“使う”というのもおこがましいね。この大いなる世界をとりまくものの、そのまたほんの一部のチカラを借りているといったほうが近い。そして、それを行うには資格がいるのさ。・・・何と説明したもんだろうね。資格は持って生まれるもんじゃない。だから血筋や遺伝なんぞは関係ない。親がチカラを持っていたとして、その子もそうだとは限らないわけだが、あの子は――」
そこでエンヤは言葉を濁した。おそらく余計なことを言いかけたのに気づいたらしい。話を元に戻す。
「資格というのはね、はっきりとした才能とか資質とか・・・そんな類のものじゃないんだよ。この世界にいる学者どもがいろいろと論議を重ねているようだがね。しいて言えば、“意志の力”、心の強さとでも言うのかねぇ。 倫理、道徳、節度、良心、正義、真実・・・それら全てのものが根底にある。分かるかい?」
「――つまり、人間が守らなければならないもの。生きるための心のあり方といったところね」
「おやおや、随分と他人事めいた言い方だね。だが、お前は聡明だ。おおよそはその通りだよ。もちろん、そんなものは誰でも持っている。でなきゃこの世界はとうに滅びているさ。だが、その中でもより自分に強い制約をかけている者だけが、チカラを使える。誰よりも倫理を重んじ、道徳観念を持ち、節度を保ち、良心に忠実でいて、つねに真実を探求し、正義を貫こうとする・・・」
「……完璧」
あはははははは。エンヤは豪快に笑う。
「だから、それはあくまで理屈の話さね。そんな人間がいたらあたしがお目にかかりたいもんだ。まるで神サマのようだろうよ。だから、完全にチカラを使える者なんていやしないんだよ。借りるってのが本当にちょうどいいとこなのさ。簡単にいうと、どれだけの自覚があり、行動しようとするか、それがその者の資格たりえる要素になるんだよ。そして、あの子はその資格を持っている。」
なるほど、とティナは思う。それならば、彼に悪意を感じず、彼がいい人間だと口にした自分の感情は正しかったのだろう。ブライドも何がしかの思いがあって、それを自覚していて・・・良心に従い行動する者が悪人であるはずがない。しかし、だったら本当は誰でもが多少はチカラとやらを使えるのではないだろうか。人は誰しも善でありたいと願うものだろう。夢や希望というものもあり、ゆずれないものもあるはずだ。それでもチカラを持つ者がごく一部だというのなら・・・それはやはり常人でははかりしれない何かを秘めているのではないのだろうか・・・
口には出さないその疑問を、エンヤは知らず答えた。
「ま、そうだね。選ばれた者といってもいいのかもしれないよ。この世界の理は知らないが、やっぱりチカラを使える資格があるってことは・・・。ただ、あの子はさっきお前が言ったようにチカラの使い方が不安定なんだよ。あの子が最も得意とする風のチカラさえも、あの子は時々借りそこなう・・・てことは、資格が足りないってことなのかもしれないがね・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
含みのあるような最後の言い方がティナの耳につく。しかし、ティナは何も言わなかった。 おそらく、問いかけたところでうまくかわされる。そんな気がしたのだ。