ふたりの少女(3)
「“シス”と、言います」
それが、私の名前です。そう言うと、少女はにこりと笑った。無意識にかきあげた髪が、そよ風に吹かれてなびく。
あ・・・。 ティナは不思議な感じに見舞われた。…なにかしら、この感覚・・・・・すごく、懐かしい気が、する……?
だが、じっと自分を見ている彼女に我に返ると、
「私は、“ティナ”よ」 返事を返した。
一応はね。
「ティナさん…ですか」
少し考えるように、その少女――シスは口の中でその名をつぶやく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 再度の沈黙が二人を包み込む。好きで黙っているのではない。
ただ・・・・今は、口を開いてはいけないような・・・何かを、二人は感じていた。
「 あの――」「ねえ――」
だが、このままでらちがあかない。二人一緒に口を開き、お互いに顔を見合す。自分たちではわからないが、端から見れば、その光景はまさに鏡だったろう。少し困ったように、ばつの悪い表情をしていた二人の少女。だが、そこで少し肩の力が抜けたような気がする。
「とりあえず、私の部屋に、来ない?」
「はい、そうしてもらえると私も助かりますから」
ティナの誘いに、シスはうなづいたのだった。
エアトスの心情は、複雑だった。あれから、なんとかブライド王子とホナミ王子の公的な謁見は終了したものの・・・・・とうのブライドが困ったことを言い出したのである。
“よければ、私の部屋へいらっしゃいませんか? いろいろと、聞きたいお話もありますし”
それに対して、ホナミはくすくすと笑って。
“ええ、よろこんで・・・・・・・ですが、エアトス殿の顔がすごいことになっていますよ?”
それはそうだろう。そういう表情をしているのであるから。まさに苦虫を噛み潰したようなその表情を見て、ブライドは苦笑しながら彼に近づくと言ったのである。
(お前は心配性すぎるぞ、エアトス。心配ない、これからは本当にホナミ殿と私的な会話をするだけだから)
ブライド様は甘すぎる・・・。
先程まで、二人がお茶を楽しんでいたテーブルを片付ける侍女たちを横目に、エアトスは右へ左へとうろうろしていた。落ち着かないのだ。王子でありながら、少年らしさを多分に残す彼。そんなところを、エアトスは好ましく思っている。基本的に素直な彼の行動や言動に、ときには小言をくれながらも、唇の端がゆるむこともたびたび合った。ブライド王子とのつきあいは長い。ちょうどひとまわり違う年の差で、エアトスは、どこか彼を弟のように感じていた。
それに・・・・・約束がある。
自分を見出してくれたブライドの父親、つまり国王との。
“この国とブライドを頼む” 遠き日に交わしたその約束を、自分は果たさねばならない。
「エアトス様」 やがて侍女の一人に声をかけられ、エアトスは我に返る。ひととおり片付け終えたようだ。彼は視線で彼女らを下がらせた。並んで一礼した後、いそいそとその場を後にする侍女たち。その後姿を見送りながらも、エアトスは自室に戻る気になれなかった。ついさっきまでそこにいた親善大使の顔が浮かぶ。
“いやー、本当にこの国はいい国だね”
軽口をたたいて、にこやかにブライドに話しかける隣国王子。太陽のもとで明るく輝くブライドの金髪に比べ、彼の銀色の髪は、むしろ夜の月に照らされたほうが映えるだろう。それでも、十分に目を引くその髪をかるくかきあげて、彼は笑った。
美しい顔立ちは、少年というよりときに少女のようにも見える。どちらかといえば精悍とした顔を持つ者が多い聖ルシエル王家にしては、変り種といえるほうだ。しかし、その容貌から、彼はかなりの恩恵をこうむっていた。
欲望に身をまかせて、堕落的な生活を送り続けるホナミの父アイザック王は、基本的に自分が撒いた子種のことなど気にする人間ではない。五カ国中、もっとも繁栄を誇る聖ルシエルの国王。永年にわたる絶対的な独裁体制は、アイザック王の心を歪ませていた。彼にとって、自分以外の人間などどうでもよい存在なのだ。故に、子供など、戯れの果てにできたおまけでしかないと、彼は思っていた。それでも、対外的体裁を整えるため側近たちの要望を聞き入れて、面倒に感じながらも皇太子を立てはした。だが、ただのお飾りだ。まだ、十数人はいるであろう彼の子供たちはわずかばかりの金品を与えられ、その後ちりぢりに、それぞれの親元へと追放された。以降、用件なしに王都へ近づけば極刑という脅し文句つきである。
今、アイザック王の膝元で、王子として認められているのは、その飾りばかりの皇太子と、父王アイザックに、美女や駿馬、様々な金品を密かに贈って気をひいていた息子たち2人、そして、同じ血をひいている一族とは思えないその容姿を愛でられているホナミだけなのである。
ホナミ・ディオルカ=ルーフェウス
兄王三人に疎まれてはいるものの、父アイザック王の影響により、彼は今、隣国イグニスの外交官としての地位を保っている。ブライドとほぼ同じ年のホナミは、幼少の頃から時折イグニスへと訪れていた。だからこそ、ブライドはホナミに対して親しみを感じているようなところもある。しかし、エアトスは違っていた。今まで、エアトスはホナミに会う機会がなかった。会う必要がなかったからである。
だが・・・・、今回は違う。
ときに眩しいくらいの素直な自国の少年王に対し、同じように表面上は素直そうに見える隣国王子を、彼は本能的に警戒していたのだった。