アーチの先へ
細かい設定や、書いたことを忘れているので今まで投稿した内容を見返しているのですが、いやぁ破壊力やばいですね。
ロンドンの街はひっそりと静まり返っていた。時間にすれば、今は日の暮れる前といったところだが、その理由はこの濃霧にあるのだろう。単純に、視界が悪い。
今は、辛うじて夕日が差して光源がある状態だがこれから更に日が沈むと、恐らく一寸先も見通せない闇になるはずだ。
ロンドンに住む人々は、日が暮れる前に用事をすべて片づけてしまうことを習慣づけているのだろう。濃霧のベールの先に、歩く人影が見えるが、それも極少数だ。
馬車は、そんな静けさの中に沈もうとしているロンドンの市街を突き抜けていった。聞こえるのは地面を走る車輪と、馬車を引く馬の足音だけだ。
外の景色を眺めていると、その奥にぼんやりと大きな影が映し出されてきた。巨大な尖塔——ロンドンを象徴する、時計塔だ。その時計塔をぐるりと囲むように、城砦が険しくそびえ立っている。
馬車は城門をくぐり、時計塔の敷地内へと入る。ゆっくりと速度を落とすと、時計塔の目の前に馬車を止めた。
「お疲れ様です。到着いたしましたよ」
「ここが——」
馬車から出る。
目の前には、威容誇る尖塔の姿があった。しかし——
「ここって、時計塔だよね? 王様に会いに来たのに、お城じゃないのはなんでなのさ」
と、ニーナが俺の疑問を代弁してくれた。
そうなのだ。俺達はイギリスを守護する騎士王に会いに来たのだが、連れて来られたのは時計塔の前。確かに、彼の塔はロンドンを代表する建物だが、あくまでその本質は時を刻む施設でしかない。
それとも、この塔に何か秘密でもあるのだろうか————?
マーリンは愉快気に微笑むと、手を指せ述べながら道を示した。
「入られたら、その意味が分かりますよ」
謎めいた笑みを顔に張り付けながら、青年は塔の中に入ってゆく。
ただ立ち竦んでいる訳にもいかないので、俺はニーナと顔を見合わせながらも彼の後を着いて往くことにした。
時計塔の中は、一見他の時計塔と変わりは見受けられないように見えた。鉄や木製の歯車が、計算された配置で回転している。最初は、この時計塔自体が何か大きな魔術装置かと考えていた。
これだけ大きな施設だ。魔術的な仕掛けが施されていても不思議はない。しかし、何処を見てもそんな仕掛けがあるようには見えなかった。どれも普通の鉄の歯車だったり、柱も普通の木を使用しているようだった。
マーリンは奥へ奥へと進んでいくが、やがてある場所に辿り着くと、ぴたりと足を止めた。
そこには、普通の時計塔にはないような物が存在していた。
時計塔の外観は煉瓦造りになっている。それも、同じように煉瓦を組み合わせて作られていたのだが、見かけが異様の一言に尽きる。
何故ならば——ある一部分の煉瓦だけ、びっしりと呪文のような文字が書かれていたのだ。アーチ状になったその部分の向こう側——アーチを潜ったその先には、先も見通せないような霧が渦巻いている。
ロンドン市街で見た濃霧の比ではない。文字通り霧中——霧のみが充満しているようだった。
「こちらの先で、王がお待ちです」
「……この先にだと?」
「ええ」
マーリンはにこやかに笑うだけだ。
まるで、俺たちを試しているのかのようだ。と考えて、いや、と考え直す。文字通り、彼は俺たちを試しているのだ。彼が信奉する王が、俺たちと会うほどの価値があるのか。
イギリスとフランスは、大昔より仲が悪い。犬猿の仲と言っていいだろう。国情が比較的穏やかになったのも極最近で、それまでは幾度か戦争も経験している。
恐らく、これは新生したフランスの人間と握手を交えられるのか探っているのだ。彼らは、暗にこう言っている。「君たちは信頼するに足る存在なのか」と。
ここで臆病風に吹かれたのならば臆病者の謗りを免れぬであろうし、何より今まで敵対していた国の人間を、寄りにもよって玉座のすぐ目の前まで招こうとしているのだ。
警戒心を抱くのは至極正しい。
ならば、ここはその意気を汲まねばならないだろう。俺は唾を呑み込むと、一歩足を踏み出す。と、そこで服の裾を掴まれた。
掴んでいる人間の方へと振り返る。そこには、緊張した面持ちしているニーナが居た。再開してからは、活発的で明るい面を多く見てきたが、彼女もやはり一人の女の子なのだ。
緊張するのも無理はないだろう。俺はニーナに微笑みかけ、裾を掴む手を握ってやる。
「大丈夫だ。俺が着いてる」
「……うん」
ニーナはこくり、と頷くと俺の手を強く握った。腹を括ったらしい。俺は頷くと、二人揃ってアーチを潜る。体中にねっとりとした感覚が包み——それでも足を動かす。
一歩、二歩と進み、三歩目を踏み出すと、足に伝わる感触が変わった。と同時、目の前の光景も一変する。
霧が晴れ、先程までいた煉瓦造りの建物とは変わった空間に出た。
風が頬を撫でる。元は室内に居たというのに、そこは見渡す限りに背の高い木々が生い茂っていた。頭上を見上げると、大小様々な星が瞬いている。まだ日が暮れていないというのに、そこは完全に夜の帳が支配していた。
足元には、まるで鏡の様に満点の星空が映し出されている。
湖面だ。とやがて気が付いた。俺たちは、湖面の上に立っていた。しかし、水中に沈む様子は見られない。しかし、足に感じる感触は確かに水の上に立っているのだと告げていた。
際限なく広がる水溜まりの上に立っている、という表現が一番合っているだろうか。ニーナも、目の前の光景が信じられないのか大口を開けて驚きの表情のまま固まっている。
と、そこにマーリンが背後から現れた。同じようにアーチを潜って来たらしい。彼は先程とは違った笑みを浮かべると、うやうやしく頭を垂れた。
「先程は試す様な真似をして申し訳ありませんでした。貴方達を、賓客としてお認めいたします」
「そりゃあどうも……。それで、ここは一体何処なんだ? 教えてくれないか」
「勿論ですとも。ここは、イギリス中からあらゆる騎士が集い、この国を守護する要にして、真の国家の中枢」
彼は、すっと彼方を指差す。
「騎士国家・ブリテンです」
その先には、巨大な城が俺たちを見下ろしていたのだった。