宮廷魔術師
連続投稿
天候、晴れ。風は穏やかで、短い航行は終始穏やかに進んだ。船から降り、視線を頭上に移す。カモメたちが風の中を華麗に踊っており、周囲には男の大声ながら活気のある声が飛ぶ。
数日間にかけて船に乗る、という経験は初めてだが揺れない地面というのはどうして落ち着くものだ。うっかり船から滑り落ちるという心配もない。少なくとも、足の下に遥かに大きな空間が潜んでいるという不安感がないというだけでも心強さは相当なものだ。
しっかりと地面を踏みしめながら、港を歩く。しかし、同乗していた人間がどうしても降りてこないので仕方なく足を止め、元来た所を引き返した。
再び船内に足を踏み入れる。通りすがる船員に同乗者を見たか訊ね、教えられた方へと足を向けた。どうやらそんなに離れた所にはいないらしい。やれやれ、何をやっているんだアイツは、と内心愚痴を漏らしながら彼女の下へと向かう。
探し求めていた同乗者——我が最愛にして、つい最近再開した義妹の下は、甲板の淵に寄りかかりながらぜいぜいと荒い息を吐いていた。
「船に弱いなら、わざわざ着いて来なくとも良かったろうに」
「また……何処かに行っちゃったら、困るでしょうぷ。だったら、一緒に……着いて行くのが、良いに決まってる……じゃないげろげろ」
「吐きながら言う台詞じゃないな、まったく……」
ほら、と背中を擦ってやる。しばらくの間そうしていたが、その甲斐あってか少しは楽になってきたらしい。顔色も真っ青から真っ白といった具合だ。これならば動かしても大丈夫だろうと判断し、背負ってやる。
船との相性が良い、悪い人間がいるのが重々承知だが、まさかここまで相性不一致とは予想外だった。航行中はそれこそ借りてきた猫のような態度で、正直言えばかなり静かな航海を楽しめた。こんなことを言えば後で何をされるか分かったものではないので口が裂けても言えないが。
揺れない地面に足を付ける。今度は二人分だ。少し歩いて、船に積んでいた荷物を受け取ると再び歩き出す。その間、ずっと俺の背中の上で義妹——ニーナは負ぶされたままだった。
周囲の目線がやや痛い。せめて、兄妹の心温まる一光景に見えることを願ってやまない。
「ねぇねぇ。それで、何でにぃはイギリスに来ることになったのさ」
「……知らずに着いて来たのか、お前は」
「だって、他のことは大して興味ないし」
「お前なぁ……」
溜息が漏れた。普段は俺が溜息を吐かれる側なのだが、こうして吐く側に回ってみると心労が溜まる。団の皆にはこんな気持ちにさせていたのか、と反省しきりだ。顧みる気はさらさらないが。
「先日の件でな。流石に、フランス一国で収めるには大きな案件だ。何せ、過去の人間が今まで生きていたんだ。もしかすると、他にも似たような奴らが何処かに息を潜めているかもしれない……。
イギリスとは良い仲と言えないが、国家としての付き合いもある。忠告も兼ねてやって来た、という訳だ」
「ふーん。でもさ、そういうのってにぃがわざわざイギリスまで来てすることなの? 普通は部下の人とか、官僚っていうの? そういう人たちに押し付けるもんじゃないの?」
「普通ならな。ただ、今回は普通じゃない。青髭は、フランス中の魔力を利用していただろう? 旧フランスが創り、そして放置されていた魔法陣を使って。
その魔法陣を解析しようとしたが——結果は〝一切不明〟。未知の魔導を用いた、正体不明の魔法陣だったってわけだ。しかも、それは未だにフランス各地に残っている。
使い方によっちゃ国土すべてを吹き飛ばすことも出来る代物だ。迂闊に手を出したら、どんな危険が出るか分からない。そこで————」
「魔法大国イギリスに頼ることにした。そういうこと?」
その通り、と俺は頷いてみせた。更に加えるならば、こうして二人で———本来ならば一人で来るはずだったが——来たのは、国としても発表しかねる事態だったからである。
かの一件はかん口令が敷かれ、目撃者には表向き魔術テロと言ってある。嘘とも言い切れないところが苦しい所だが、この際は仕方がない。
なにせ、国土に在ったものがものだ。「私たちの足元には、国すべてを吹き飛ばす爆弾が埋まっています」なんて言おうものなら一体どんな騒ぎが起こることか。正直想像もしたくない。
かといってフランスのみの力では限界がある。そこで、イギリスの力を借りよう、という流れになったのだ。
報告者も、それ相応の人間が出向かわなければならない。しかし、大統領や官僚が表だって動く訳にもいかない。そこで、地位も自力もある俺がイギリスに出向くことになったのだ。
ニーナは、この際おまけとでも思っていればよい。突然いなくなった埋め合わせとでも思えば、少しは我慢出来るし、その責任もあるだろう。
しかし——
「お前、もう元気になってるだろ」
「そんなことないよー。まだ調子悪いよー。まだにぃに負ぶされていたいなー」
「どうだか……」
声に力が戻っていることには、もうとっくに気が付いていた。しかし、背中から下ろそうとは思わなかった。ニーナもそれを分かっているのか、猫の様に背中に顔を擦りつける。
やれやれだ、と溜息を吐く。
この溜息は、そんなに悪い気はしなかった。
◇
しばらく歩いて、イギリス最南の街に到着した。ここからは汽車に乗って移動することになる。駅の前まで行くと、ローブを羽織った金髪の青年が待ち構えていた。
俺を視認すると、にこりと笑って一礼する。ニーナも彼に気が付いたのか、するりと背中から滑り降りた。
「ゴーシュ様ですね。お待ちしておりました。おや、こちらの方は?」
「俺の身内だ。ま、家族旅行に偽装したって感じだよ。こちらとしては、大きな声でお喋りしたくない話を持ってきているからな」
「成る程。確かにその通りです。お嬢さんのお名前を伺っても?」
「ニーナです。ニーナ・アーバント」
隣に立っていたニーナは、先程までの浮かれっぷりが嘘のように、淑女然とした態度で自己紹介をした。これも学院に通っていた成果だろうか。兄馬鹿ながら涙が出そうだ。
「これはどうも。そういえば、私の自己紹介がまだでしたね。
私の名は——マーリン。宮廷にて魔術師を生業としている者です」
そう言って、ローブを纏った魔術師は俺たちに向かって微笑んだのだった。