~染色~
渡とエリスの強い要望によって、ゲイゼルを医務室へと運んだ三人は再び船の甲板に戻ってきた。
周りには忙しそうに動き回る船員が十数人。さっきまでのやり取りを遠巻きに見ていたようで、今は安心したようにそれぞれの作業に勤しんでいる。
時間もそれなりに経ってしまったようで、日もさらに傾いている。しかしマホックが到着した様子は全くない。
「イザナギ皇国行きの貨物船ですか?」
一段落した渡とエリスは当初の目的を果たすことにした。
イザナギ皇国行きの貨物船を探すこと、である。
「ああ、それでしたらこの船ですよ」
ペッソは渡達に聞かれた問いにあっさりと答えた。
渡達は驚きを隠せなかった。まさかこんなにすぐに見つかるとは思っていなかったのだろう。
「貨物船ってこんなに大きかったんですか・・・?」
エリスが恐る恐るペッソに聞く。まだ半信半疑のようだ。
それは渡も同じのようで、エリスの言うことにこくこくと頷いている。
「はい。出発は大体荷物の積み込みが終わり次第。あちらまでは一週間ほど掛かります」
「そうですか・・・。まさかこんなに早く見つかるとは思って無かったですね」
「だな。こんなに沢山の船があるからもっと時間がかかると思ってたんだけどな」
「運が良かったですね」
にこっと微笑むペッソ。ついつい二人は上目遣いでペッソを見る。
「まだ積み込みが終わりそうに無いので、町で時間を潰していた方がいいと思いますよ」
「確かにここじゃあ暇だよな。それに・・・」
「さっきの方もいつ起き上がってくるか分かりませんしね・・・」
三人は苦笑交じりに言葉を交わす。ゲイゼルのことを思い出してしまった。
「じっじゃあ、ちょっと船を降りて見ようかな」
「そっそうですね。ではまたよろしくお願いします」
「分かりました。出発の時には鐘を鳴らしますので、鐘が鳴ったら船に戻ってくださいね」
渡とエリスは手を振ってペッソと別れ、船を降りる。その間にも大きな荷物を持った屈強な男達が二人を通り過ぎては船に乗り込んでいく。
ぶつからないように身体を小さくしながら歩き、二人は石畳に足をつけた。
それからきょろきょろと辺りを見回すと、二人が持ってきた荷車はすぐに見つかった。
小走りで駆け寄り、二人の鞄を手に取る。あれだけのスピードで走ってきたのに、中身は無事だ。それもこれもペッソのおかげだろう、と推測する。
心の中で再びペッソに感謝しつつ、エリスは渡に聞いた。
「さて、これからどうしましょうか」
「うーん・・・」
二人はまた辺りを見回してみたが、めぼしいものは見つけられなかった。
「まぁ、適当にぶらぶらしていれば時間も経つんじゃない?」
「それもそうですね」
という訳で二人はこの港町を散策することにした。
さっきよりも時間が経っているせいか、周りにいる人はバスケットを持った奥様方から様々な荷物を持った男が多くなっていた。
その中には渡達とそう年の変わらないような少年もおり、渡は自分の世界と異世界との違和感を改めて感じさせられる。
そういった少年達は渡達のことを珍しそうにちらちら見ながら通り過ぎていくが、これはこれでさっきよりも恥ずかしかった。
そんなぎこちない調子で歩いていた二人だったが、唐突にエリスが切り出した。
「イザナギ皇国ってどんな国なんでしょうね?」
「えっ!いっいやぁ、どんな国なんだろうね!」
女の子に突然話しかけられても、大して異性に免疫を持っている訳でもない渡が反応できるはずも無くあたふたとするばかりだった。
その様子を見て、エリスは可笑しそうに微笑んでから続けた。
「昔聞いた話ですけど、なんだか面白い文化があるそうですよ」
「面白い文化?」
「はい。主食がパンじゃなくて何とかっている植物の種子だったり、水浴びじゃなくて『温浴』っていってあったかいお湯につかったり・・・」
「・・・なんかそれ日本に似てない?」
「そうなんですか?・・・あと、服の文化も違うそうですよ」
「それは見てみないと分からないけど・・・」
「なんだか髪の色も違うらしいですよ。こっちは結構カラフルな感じですけど、あっちはもっと暗い色だそうです」
「それって日本だよね!なんかすごく被ってるよね!」
急にイザナギ皇国に対して親近感を覚える渡。まだ見ぬ異国に対して心を膨らませる。
いきなり興奮しだした渡に少し押されつつも、エリスはさらに続けた。
「茶色とか暗い青とか。でも、たまに白い人もいるそうです。あちらの皇族の方々はみんな白髪なんだそうですよ」
「白髪ねぇ。それはそれでかっこいいな!」
久しぶりの故郷を思い出してさらに興奮する渡。
その思いを汲み取ってか、エリスは何を言うでもなくただ渡を見守る。
あれやこれやと騒ぎながら歩く渡は、周りから好奇な目つきで見られていたが、本人は気にしないようだ。
エリスも渡が嬉しそうに叫ぶ様子を見てニコニコとした笑顔のまま渡についていく。
しかしエリスは思い出したように騒ぐ渡に話しかけた。
「あ、でもあっちの国にも髪が黒い人は人間しかいないそうですから、注意してくださ・・・」
エリスは忠告を言おうとしたのだが、渡の髪を見つめた笑顔のままかたまる。
テンションが上がっていた渡は、少しだけテンションを落として振り向く。
笑顔のままかたまったエリスを見て、渡は不審に思わざるを得なかった。
「どしたの?」
渡がおーい、とエリスの目の前で手を振っても反応はない。
頭をぽんぽんと叩いても、髪を少し引っ張ってみても瞬きをするだけで全く反応しない。
渡が諦めてはぁ、とため息をついたその時。
「あーっ!」
と、エリスは突然叫んだ。
「うわっびっくりした・・・」
渡が身をすくめてびっくりすると、いきなりエリスは渡の手を掴んだ。
渡がそれに反応する前にエリスはどこかに走り出す。とても急いでいるようだ。
「ちょっと、エリス!どうしたの!?」
渡の問いにも答えず、エリスは渡の手を引いて港町を疾走する。
すれ違う人々に驚かれたりもしたが、エリスは全く気にしない。
そのまま走って向かった先は、港町の郊外、一軒の店の前だった。
肩でぜぃぜぃと息をする二人だったが、エリスは少しだけ息を整えるとそのまま店に入っていった。
エリスに完全においていかれた渡は、エリスを追って店に入る。
店の中には魔女のような格好をした老婆が座っていた。
その老婆は冬でもないのに暖炉に火をつけ、その前で転寝をしていた。
何故か部屋の中は暑くない。暖炉では火が煌々と燃えているのに、その熱を全く感じないのだ。
「おばあちゃん!起きて!」
エリスは椅子に座って寝ていた老婆の肩をゆさゆさと揺らした。
「んん?ああ、エリスちゃんかいな・・・」
「今すぐ薬作ってください!ちょっと時間が無いんですよ!」
「なんだい・・・。ミーシャちゃんのはもう切れちまったのかい?」
「いや、今日はミーシャさんのじゃないです!」
「じゃあ誰なんだい」
老婆はそう言ってエリスの後ろを覗く。
老婆とばっちり目が合ってしまった渡は、少しだけ頭を下げる。
「ふん!例の黒髪の野郎かいな・・・。面倒だがエリスちゃんの頼みだし・・・」
老婆はそう言って立ち上がり、店の奥に引っ込んでしまった。
その隙に渡はエリスに近寄り、ひそひそと話す。
「あのさ、ここどこ?」
「ええと、染色屋さんです」
「染色?」
「はい、布とかの染色もしてるんですけど・・・。今は髪を染めてもらいます」
渡はジェスチャーで、何で?と首をかしげる。
「えっとですね・・・。イザナギにもエルギスにも黒髪の人はいない訳ですよ。ここら辺ではワタルさんのことを皆が知っているから大丈夫なんですが、異国で黒髪の人がうろついていたら・・・」
「怪しまれる」
「そうです。脱獄の時にも目立つのはあまりよくないと思います。だから・・・」
「髪を染める」
渡はようやく納得したようで、手をポンと付いた。その様子にエリスもにっこりと笑う。
しかし渡は新たな疑問をエリスに投げかけた。
「さっきの、ミーシャさんのって何?」
その問いにびくっと反応するエリス。きょろきょろと目が泳ぎ、手を合わせてすりすりと擦る。
えーとか、あーとか声を出しながら、どうにかこうにか言い訳を探す。
その様子を不審に思いながら見る渡は眉をひそめた。
「あっ、気分転換ですよ!髪の色を変えて心を入れ替えるのもいいかなって言ってました!」
「ふーん。ミーシャさんて本当の髪の色は何色なの?」
エリスの言い訳は渡の純粋な疑問の下に斬り捨てられ、儚くも散った。
エリスは笑顔の形を作ったまま完全に硬直し、瞬きすらもしない。そのうち顔が、サーっと青ざめてきた。
地雷を踏んだ、と直感した渡はエリスの肩をゆすりながら言った。
「ごめん!そんなに言えない事なら言わなくていいから!顔がなんか青いぞ、おい!!」
「あ・・・。えと、ごめんなさい」
十数秒の硬直を経て、エリスはやっと解放される。どうやら呼吸も止まっていたようで、息を切らしている。
痛いところを突いてしまった、と渡は反省する。何か深い理由があるのだろう、と無理矢理渡の中の好奇心を押し潰した。
そんなことをしている内に、店の奥から例の老婆の声が聞こえた。
「ほら、準備ができたよ!早く来な!」
気まずい雰囲気に押し流されていた二人は、救世主の元に急ぐ。
カウンターを越えた店の奥には先ほどの老婆が立っていた。
その側にはどろどろとした液体が入った、まるでドラム缶のような鍋が火にかけられている。しかもその鍋には何故か梯子が立てかけてあった。
「あの、それは何ですか?」
「めんどくさい若者だね!面倒な説明なんて私ゃしないよ!」
「これに髪の毛をいれると入れた髪の毛の色に液体が変化するんです。それに浸かると入った人の毛もその色に染まってしまうと言う訳です」
老婆に代わってエリスが苦笑交じりに説明する。
エリスは言いながらも自分の髪をプチッと一本抜き、鍋の中に入れる。
その瞬間、その鍋の中身が変色してエリスの髪の銀になった。底も見えないような液体は、まるで水銀のようだ。
「さて、服脱ぎな」
老婆のいきなりの大胆発言に渡は耳を疑う。
「え・・・ええ?」
「この湯につかって全身の毛を染め上げるのさ。分かったら服脱いで入りな」
「いや・・・エリスもいますし・・・」
「わっ私は店番してますよ!」
エリスはぱたぱたと部屋から出て行き、救いを失った渡は必死に思考を巡らせる。
しかし強気な老婆に勝てそうな言い訳も思いつかず、おろおろとするばかりだ。
見かねた老婆は不機嫌オーラをばしばしと飛ばしつつ、置いてあった椅子に渡に背を向けてどっかりと座った。
「早くしな!これでも私ゃ忙しいんだ!」
渡は老婆に感謝しつつも、これ以上何か言われないように急いで服を脱ぐ。
ところで、渡とエリスが着ている服は、軍の制服でも普段着でもない。一応隠密行動なので軍の制服というのは論外ではあるが。
普通の制服は『魔力糸』と呼ばれる、魔力を込めた糸で作られており、耐刃・耐魔法に加えて鎧よりも軽量である、という長所が上げられる。(だが防御性能は鎧等には負ける)普段着は勿論普通の糸だが、渡達が着ている服の糸は『加護糸』と呼ばれている。魔力糸から派生したもので、精霊の加護によって人からあまり認知されなくなり、さらに体が少しばかり軽くなるのである。服自体にも装備者に身体強化の魔法がかけられるように小さな魔方陣が組み込んであり、外からは見えないところ(特に内側や下着)に様々な仕掛けがある。しかも魔力は大気中から集めるようになっているので装備者にも負担はない。この服は下着も含めて一着であり、身体に密着する構造で動きやすさを追求した、芸術品と言っても過言では無い程の完成度を保っている。
しかしこの服には二つの欠点があった。
一つは防御性能。動きやすさを追求したために普段着と大差ないほどの防御性能となってしまった。
もう一つは、
(脱ぎにくいなこれ!)
着脱がしにくい、ということである。身体に密着した構造があだとなり、こんな欠点が生まれてしまったのだ。また、様々な仕掛けは一定の手順を踏まないと解除されないようになっており、着脱のしにくさに拍車をかけている。
普段は気にならないような欠点であるが、今の渡にとっては生きるか死ぬかの大問題であった。
老婆をこれ以上怒らせないために慌てて服を脱ごうとするが、かえって焦ってしまって脱ぐことが出来ない。それがさらに焦りを呼び、悪循環を引き起こしていた。
全く準備が出来た様子が無い渡に、老婆は忌々しげに貧乏揺すりを始める。
それすらも渡の心を揺さぶり、一層慌ててしまう。
そんなこんなで服を脱ぐだけでも3分近くも掛かってしまった渡は、恐る恐る梯子を上って鍋の液体の温度を調べる。調度いい感じだ。
つま先からゆっくりと銀色の液体に浸かっていく。
(なんか、ドラム缶風呂みたいだな・・・)
「あの・・・入りました」
思ったことは口には出さず、とりあえず報告をする。
「チッ」
全身で不機嫌を表していた老婆は立ち上がると、側の棚からL字に曲がった筒状の物体を取り出した。
くるりと渡に振り返ると、それをずいっと押し付けてくる。
「これ咥えながら潜ってな。私がよしと言うまで」
変なものをわたされた渡は、とりあえず素直に従って筒の先端を咥えて液体の中に潜る。
感覚で言うと、そのままお風呂に潜る感じだ。だれでも幼い頃に経験があるだろう。
渡が目を瞑ったまま潜って、60を数えたがまだ合図はない。
いい加減のぼせてきそうだったが、老婆はまだまだ許してはくれない。
それからまた300を数えた頃、渡の耳にようやく合図が届いた。
ぼんやりした頭に加えて鍋の中なので、鍋をコンコンと叩いただけでも頭の奥まで重く響いてくる。
渡はどうにかこうにか這い上がる。粘性のある液体のため呼吸がしにくいが、顔を拭って深呼吸をする。
その間にも老婆は渡の髪を触ったり、わしゃわしゃと撫で回したりしていた。
「ふむ。おかしいねぇ・・・」
老婆がポツリと呟き、手で顎をさすった。
「どういうことですか?」
いくらか意識のはっきりしてきた渡は、怪訝な顔をしながら渡の髪を弄っている老婆に聞いた。
老婆は首を傾げながら答える。
「いや、普通ならお前さんの髪もはっきりと銀色に染まるはずなんだけどね・・・。まぁ自分で見てみな」
老婆はそう言って棚から手鏡を持ってきた。それを渡の前にかざす。
その瞬間渡の目は驚愕に見開かれた。
「なん・・・じゃこりゃ!?」
渡の髪は灰色になっていた。
正確にはエリスの銀と渡の黒が混ざった色である。光の当たる角度によっては鈍く光っているように見える。見方によっては白髪交じりの若者にも見える。
予想もしなかった髪の色に対して、渡はしばらく唖然としながら前髪を弄ったりいろいろな角度から自分の髪を眺めたりしていた。
しばらくして老婆が渡に機嫌悪そうに声をかけた。
「そろそろいいかね。私ゃ腕が疲れたんだが」
「あ、ごめんなさい!もういいです・・・」
渡は名残惜しそうに答え、老婆はさっと腕を下ろす。鏡を元の場所に戻すと、老婆は渡の目の前に戻ってきた。
そして投げやりに渡に言った。
「で、もう一回染め直すかい?それともこのままでいいかい?」
「え?どういうことですか?」
「てめぇはその髪でいいのかって聞いてんだよいい加減理解しなこのグズ!」
「いいです!」
「わかりゃいいんだよ!」
半ば強引に押し切られた渡。言ってしまってからしまった、と思った渡だったが、今さら申し出ることも出来ずにがっくりと肩を落とした。