~出発~
「仕度は出来ましたか?」
「うーん、もうちょっとかな……」
「早く出発しないと港の貨物便に間に合いませんよ」
「分かってるよ母さん……」
「だっ誰が母さんですか!」
~~~~~
翌朝。
太陽が昇るか昇らないか、というほど朝早く、普段着だけでは流石に肌寒い。
渡、エリス、シルビアの三人は屋敷の門の前で馬車を待っていた。
昨日の街に出た門とは逆の方向である。
既に渡とエリスは旅の為の仕度を済ませており、二人の隣には革をなめして作った大きな鞄が置かれていた。
「さて、そろそろ来ると思うが……準備はいいか?」
口を開いたのはシルビア。彼女はニコニコと二人を見ているが、その笑顔が渡には違和感が感じられた。
「なぁシルビア。なんでそんなににやにやしてるんだ?」
「にやにやだと? そんな気持ち悪い笑顔ではない。私は二人の無事を願ってだな……」
と、腰に手を当ててシルビアは露骨にため息をついた。
しかし渡にとってもエリスにとっても見送ってもらう、というのは悪い気はしない。
しかしエリスはこの状況に少しだけ違和感を感じていた。
「あの、四番隊の皆はなんで来ないんですか?」
それはもっともな質問だろう。
エリスは幼くて小さいが、こんなでも一応隊長である。彼女を見送るというのは誰が考えても当たり前だろう。
別にエリスは自惚れているつもりはないが、少し気に掛かったのだ。
それは渡も薄々感じてはいた。
あの、エリスを愛するあの人が来ない筈がない、と。
その問いにはシルビアがあっさりと答えた。
「ああ、だって言ってないからな」
その答えに二人は唖然とした。
「だって、あいつ等に言ったら面倒になりそうだったからな。といっても若干一名くらいだが」
その言葉を聞いて渡はシルビアに深々と頭を下げた。命を落とすくらいなら頭を下げた方が全然ましだ。
しかしエリスは困った顔をしながらポツリと言った。
「せめてペルには何か言っておかなきゃ……。あの子、ああ見えて結構寂しがりやなので」
「やめておけ。死人が出るぞ」「ごめん。俺死にたくない」
シルビアと渡の言葉が見事に重なり、エリスをやんわりと否定する。
それを聞いてエリスはそれなりに傷を負ったようだったが、負けじと反論する。
「で、でもそれくらいであの子が怒るわけありませんよ!」
「お、もう馬車来たんじゃないか? ほら、あれ」
シルビアはエリスの言葉を完全にスルーし、無理矢理話題を変える。
エリスはさらに何かを言おうとしていたが、すぐに諦めて軽くため息をついた。
渡はエリスに対して申し訳なさそうにジェスチャーで謝っていた。
シルビアが指を指した先には、道をぱかぱかと音を立てながらやってくる馬車が遠くに見えた。
馬車といっても馬が引いている荷台に幌がついただけのもので、遠くから見ても分かるほど老いた老人が御車台に乗っている。しかも荷台には樽や木箱が満載で、馬も大変そうだ。
見たところ荷台には二人が乗るスペースは無いようだ。
「あの、姫。私たちはあれのどこに乗るんですか?」
エリスが恐る恐るたずねると、シルビアは当然のように言った。
「お前らが馬車に乗るわけないだろう。アレの手伝いをしながら港まで行ってくれ」
シルビアの予想外の答えに驚く渡とエリス。
三人の間をひゅうと風が流れ、シルビアとエリスの髪が乱れる。
シルビアは自分の髪を右手で抑えつつ口を開く。
「私は馬車に乗ると言った覚えは全くないぞ」
「紛らわしいんだよ!」
渡はシルビアに間髪いれず突っ込み、三人の時はようやく動き出した。
シルビアはやれやれ、とまたため息をつく。
しかしエリスはあくまで冷静に聞いた。
「でも、あれを手伝うってどこを手伝えばいいんですか?」
「いや、あの馬車じゃなくてあの老人を手伝ってやれってことだ。……おい!」
シルビアはそう言って指をパチン、と鳴らす。
するとどこからともなく二人のメイドが馬車よりも一回り小さな荷車を引いてやってきた。
突然やってきたメイドたちに渡とエリスは目を丸くしていたが、メイドたちはお構いなしのようだ。
荷車には馬車に載っていたような木箱やら何やらが沢山積んであった。その荷車を、重量を感じさせないような動作でシルビアの後ろに止める。
メイドたちは役目を終えると一礼してから音も無く立ち去ってしまった。
突然の出来事に対処しきれない渡とエリスだったが、渡が何とか声を出す。
「えと……これを……?」
「運んでくれ。港までな」
その言葉に驚いたのはエリス。若干顔が引きつっている。
エリスだけでなく渡も顔に驚愕の色を浮かべている。
「港までって、一体どれくらい歩けばいいんですか……?」
「んー、まぁ急げば昼を過ぎたあたりには着くんじゃないか?」
「十分長いよ!」
再びシルビアにつっこむ渡。
しかしどう反論しても敵わないと見て、渡とエリスは反論を止める。
そうこうしている間に馬車に乗った老人はすぐそこまで近づいていた。
ここまで来ると老人の輪郭がはっきりと見えてくる。
農民風の服に立派なひげをたくわえた顔、老いながらもしゃん、と背筋を伸ばして座っているところを見るとまだまだ衰えてはいないことが分かる。
太い指で手綱を握り、しょぼしょぼとした目でしっかりと前を見据えている。
その老人は三人に気が付くと手を挙げて挨拶してくる。
シルビアは手を挙げて返したが、渡とエリスは無意識に頭を下げてしまう。
それからシルビアは歩いて馬車に近づき、老人と何やら話しかける。
すると老人は馬車から降りて恭しくシルビアに一礼する。
渡とエリスはシルビアに続いて近づき、老人に挨拶する。
「「おはようございます」」
老人は二人に気が付き、同じように挨拶をした。
「ああ、お早う。えーと……」
「俺は柳瀬渡といいます。渡のほうが名前です」
渡は緊張しながらも老人に自己紹介。
「ほほう、君が例の……。そちらはエリスちゃんだったかな?」
「あ、はい。エリス・フィンカートといいます。……すみませんが、どこかでお会いしたことがありましたか……?」
「ああ、そうだったな。君がまだもっと小さい時だったから、覚えてないだろうな。娘が立ったと君の父上が大騒ぎしてね、呼び出された時に初めて君を見たんだ。なるほど、君の母上に良く似ている」
老人は顎をさすりながら目を細めて昔話を始める。
渡とエリスはその様子に戸惑いながらも老人の言うことに頷くしかない。
それに見かねたシルビアが二人に助け舟を出した。
「おい、自己紹介もまだなのに昔話を始めるな。二人が困っているだろう」
老人はシルビアに言われて恥ずかしそうに頭をかいた。
それから改まったように真面目な顔になって話す。
「おおっと、これは大変失礼した。私の名はマホック・ヴェルゲイン。見ての通り今は街と港を行ったりきたりしている」
それを聞いたエリスは目を丸くして老人、マホックを見た。しかし渡には何のことなのか全く分からない。
エリスはそのままマホックを指差したまま口をパクパクとさせていたが、シルビアがエリスの代弁をするかのように再び口を開いた。
「私のおじいさま、先代国王の右腕として活躍した『元』将軍マホック・ヴェルゲインだよ」
シルビアの一言で渡とエリスは口をあんぐりと開け、信じられないような目でマホックを見る。
しかし当のシルビアは本当に面倒くさそうにため息をつき、パンパン、と手を叩いた。
「さて、ここら辺にしておかないとあっちに着く頃には日が暮れてしまう。そろそろ行け」
その言葉に硬直していた二人は、はっと気が付いて会話を中断する。
そして渡とエリスは鞄を持ち直して、荷車に向かった。二人は荷車の上に鞄を置く。渡が荷車の前に立って取っ手を掴んで引こうとする。
が、
「なっなんだこれ! びくともしないぞ!」
「結構重いからな。まぁ行きは平坦な道だから、そんなに苦労することはないだろう。動き出せばそのままいけるさ」
「その『動き出し』ができねぇんだよ!」
「その為に二人いるんだろうが。エリスも手伝ってやれ」
「あ、はい」
エリスも後ろから荷車を押す。しかし二人がかりでも荷車は動かない。
「あれ、おかしいな? 四番隊の隊長と副隊長はこの程度の奴らだったのか?」
「うっさいわ!お前も手伝いやがれ!」
シルビアはふむ、と顎に手を当てて少しだけ考えたが、何も言わずにエリスの隣に近づいた。
そしてドレスであるにもかかわらず、荷車をガン!と蹴飛ばした。
すると、
「うわっ!」「きゃっ……」
荷車は弾かれた様に動き出し、車輪はがらがらと音を立てて回りだした。
渡とエリスは危うく転びそうになったが、何とか足を動かしてそれを回避する。
そして渡は勢いが付いた荷車のスピードを落とさないようにしながら、後ろを向いて叫ぶ。
「このやろう! もう少し丁寧にしやがれ!」
「手伝えといったのはお前だろうが!……まぁせいぜい頑張って来い」
シルビアはそのまま二人に向かってひらひらと手を振る。
それにはエリスが答え、片手でシルビアに手を振り返す。
だんだんと小さくなっていく影を感慨深げにシルビアは見つめながら、ため息を一つついて屋敷に戻ろうと足を動かしかけた時。
「若さとはいいものですなぁ」
背後からいきなり声が掛かった。
「うわっ!……なんだマホックか。お前まだ行ってなかったのか?というより行かないのか?いや、早く逝け」
「ほっほっほ。相変わらず姫は辛口ですな。心配せずとも老い先短いですわい。それよりも……」
マホックはそこで一旦言葉を切り、馬車に乗りながら言った。
「ルミニは元気にしておりますかな?」
シルビアはその言葉に何か思うところがあったのか、マホックから視線を逸らして少し考える。
数秒ほどの時が流れ、沈黙の空気が二人を包んだ。それから再びマホックをしっかりと見てから言った。
「ああ。相変わらず、だ」
「そうですか……。ではルミニによろしく言っておいてはくれませぬか?」
「ふむ。それくらいならまぁいいだろう。……それよりも早く行かないと二人とはぐれるぞ」
「ほっほっほ。確かにそうですな。ではよろしくお願いします」
マホックは馬車の上から頭を下げ、握っている手綱で馬をぴしゃりと叩く。
首を伸ばして道端の草を食べていた馬は面倒くさそうに動き出す。
シルビアはその影も小さくなるほど見てから、一つため息をつき、今度こそ屋敷に帰っていった。