第28話 エピローグ ―これから―
朝の教室から聞こえてくる音がいつもより大きく聞こえる。
誰かが誰かを呼んで、机がずれて、椅子が鳴って、笑い声が響いている。
寝不足……。だからか。
ベッドに入ってから神名とのこくは……。やりとりを思い出して、1人で悶えてほとんど眠れなかった。まさか俺がこんなことになろうとは……。悲しいことに、俺はしっかり童貞だったようだ。
そんなしょうもないことを考えながら、ドアを開けて教室へ入る。
視線が一瞬こっちに集まって、すぐに散る。
そのまま自分の席へ、行く前に。
俺は、4人の集まりへ向かった。
修二。千條。常弘。星村。
いつもの場所にいて、いつもの距離感で固まっている幼馴染みグループ。
俺の方から近づくのは、久しぶりだ。
俺が近寄ると、4人が一斉にこっちを見る。
反応が、露骨に「え?」だ。
「よっ。おはよ」
一拍。
4人が、驚いたみたいに返事を返す。
「お、おはよ!?」
修二が先に声を出した。
「な、なんだぁ!?」
千條は大きい瞬きを繰り返している。。
「おはよう」
常弘は静かに、いつも通りに。
「お、おはようございますっ!」
星村は声が少し裏返った。
……なんだこの感じ、居心地が悪い。俺が挨拶するだけで事件でも起きたかのようだ。いやまあ、事件と言えば事件かも知れないけど。
俺は咳払いして。
「修二。常弘。後で話ある」
修二と常弘が互いに目を合わせる。
その目が一瞬で「察し」に切り替わった。
「おう!」
「わかった」
余計なことは言わない。
言わないくせに、修二の口元がもう笑ってる。
昨日の今日だ。俺が女の子を紹介してくれ! と言うと思ってるんだろうな。もしかしたら長谷川と小泉さんに、先走って声を掛けるかも知れないが……。そんなことがあれば、それは修二のせいということで、今はなにも言わないでおこう。
俺は最後に、千條と星村へ視線を向ける。
「千條。星村」
「な、なんだよ?」
「なんでしょうか?」
俺は言いかけて、それを止める。
「……いや、なんでもねえ」
「はぁ!? なんだよ急に!」
千條がぷんすかした声を出す。でも、その頬はほんの少し緩んでいる。怒ってるのに嬉しそうって、どういう感情だよ。
「なんでもないなら呼ぶなよ!」
「はいはい。悪かったよ」
「謝るならちゃんと謝れ!」
千條がぶーぶー言ってる横で、星村がくすっと笑った。
常弘も、その笑いにつられてほんの少し目尻が下がる。
「はいよ。またな」
心の中に懐かしさを感じながら、俺はそれ以上何も言わず、自分の席へ向かった。
机に荷物を置いて、椅子を引く。
座った瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。
「おはよー!」
元気すぎる声と一緒に入ってきたのは、神名だ。
いつも通り。いや、いつも以上に元気に、みんなに声を掛けながら歩いていく。花柳たちに「おはよ!」って手を振って、いつもの流れならそのまま自分の席へ行く。はずなのに。
神名の足が、こっちへ向いた。
「おいおい。またかよ」
心臓が変に跳ねた。
神名は少しぎこちない表情を浮かべながら、当たり前みたいに俺の机の横で止まる。そして、呼吸を整えて、それでも自然に口を開く。
「おはよ、桐生くん」
ただの挨拶。みんなにかけているものと変わらない。
それなのに、少しだけ胸の奥がむず痒い。
俺は、できるだけ自然に返す。
「おはよ。神名」
返事をすると、満足そうに頷いて、何事もなかったみたいに踵を返す。
……やばい。これだけで、妙に嬉しいとか。なんというか。まるで自分が自分じゃないみたいに、変な感覚が身体を包む。
ふと、花柳と目が合った。
花柳は一瞬だけ、意味深に、にやりと笑った。
「まさかな……。いや、神名がもう伝えてるのか?」
なんにせよ、厄介な絡まれ方をされそうで恐ろしい。
「ヒロト」
そこへ、修二が俺の名前を呼びながら近づいてきた。
「はい席着けー」
担任が入ってきた。
修二が「うわ」と言って足を止める。
ナイスタイミングだ。
「後でな、修二」
「え、でも」
「後でだよ」
修二の腰を軽く押して、自分の席へ押し返す。
修二は不満そうにしながらも、俺の顔を見てすぐにニヤけた。
「……わかったよ」
短い返事で席に戻っていく。
あいつもあいつで、面倒な相手になりそうだな。
授業が始まる。
担任の声が黒板に向かって流れていく。
俺は前の方に座る神名の背中をぼんやり見ていた。
髪が少し揺れて、ペンケースを机に置く手が動いて。
神名が、ふいに振り返った。
目が合う。
一瞬、神名の動きが止まる。
それから、恥ずかしそうにふわっと笑って、すぐ前を向いた。
……まいったな。
胸が、変に温かくなる。
その瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。
そっと取り出して画面を見る。
神名からのメッセージ。
『桐生くんだけ私を見てるのズルい!』
……は?
俺は思わず、前の神名の背中を見た。
いやまあ、確かに神名は俺を見てられないか。
そう考えると、こうして神名を見てられるのはラッキーかも知れないな。
呆れながら、俺は適当にスタンプを返した。
意味のない、無難なやつ。
そしてスマホをしまう。
担任の声が続き、聞いている振りをしながら、神名の背中を見てしまう。
……付き合うって、何なんだろうな。
昨日も分からなかったし、今日も分からない。
分からないのに、朝の教室が少し違って見える。
挨拶ひとつで、心臓が鳴る。
目が合うだけで、変に嬉しくなる。
ああ、俺は変わっちまったんだな。
自称冷笑であるこの俺が、まさかこんなことになるとは……。
面倒で、妙に落ち着かなくて……。でも悪くない。
俺は、もう一度だけ、前の席の神名の背中を見た。
神名が後ろの席にプリントを回す際、目が合った。
ムッと眉にしわを寄せるが、クラスメイトに首を傾げられると、慌てて前を向いた。
すぐにスマホが震える。
まったく。
……まあ、なんだ。
こんな日々も、悪くないのかも知れないな。




