捨てられないゴミの処分方法
「……ナターシャ・ローズゴールド。それが、あのアマのこちらの世界での名前というわけですの?」
シブヤ駅の巨大なデジタルサイネージを見上げ、私はギリギリと奥歯を噛み締めた。
画面の中で媚びるように微笑むその顔は、間違いなく私が殴り飛ばしたあの女だ。
「うん、そうだよ。一年くらい前かな? 急に現れてさ、バラエティとかドラマとか出まくって、あっという間に国民的女優ってやつ?」
隣でアケミがスマホをいじりながら教えてくれる。
一年、ですって?
私がここに来たのはつい数時間前。時間の流れが違うのか、それともあいつだけ先に飛ばされていたのか。
どちらにせよ、許せないのは一点だ。
あの「優しい世界」で私を陥れ、嘲笑った女が、この世界でものうのうと「愛されるヒロイン」の座に収まっているという事実。
「……反吐が出ますわ」
「え、マナってナターシャのアンチ? ウケる」
アケミは私の殺気など気にも留めず、軽い調子で笑った。
「とりあえずさ、腹減ったしどっか入ろ? マナのそのドレスじゃ目立ちすぎて、落ち着かないし」
言われてみれば、周囲からの視線が痛い。
私たちは駅前の雑踏を抜け、アケミの案内で「サイゼリヤ」という名の飲食店に入ることになった。
***
「これは……なになに、『ドリンクバー』って言うのですの? なんと、無限に湧き出るポーションの泉ですか!?」
私はドリンクバーコーナーの前で戦慄していた。
数百円という端金を支払うだけで、数種類の甘露や炭酸水、珈琲が飲み放題だというのだ。
この世界の食糧事情はどうなっているのか。貴族のサロンでも、これほど贅沢な振る舞いはなされない。
「マナ、マジでリアクションでかいって。ほら、メロンソーダ持ってきたよ」
「かたじけない。……むっ、これはシュワシュワしますわね。毒消しの薬草に似た刺激……悪くありませんわ」
席に戻り、私は緑色の液体を優雅に喉に流し込んだ。
向かいの席では、アケミが「ミラノ風ドリア」なるものをスプーンで突き崩している。
「それで、アケミ。先ほどの『スマホ』という魔法の板について、もう少し詳しく教えなさい」
「魔法ってか、ただの機械だけどねー。ほら、こうやって指でスライドすんの」
アケミが自分のスマホを私に貸してくれた。
小さなガラスの板の中に、膨大な情報が詰まっているらしい。
私は恐る恐る、人差し指を伸ばした。
シュッ。
バヂィンッ!!
「あだっ!?」
アケミが悲鳴を上げてスマホを取り落としそうになる。
私の指先が画面をフリックした瞬間、風切り音と共に凄まじい摩擦熱が発生したのだ。
「ちょっ、マナ! 指の力強すぎ! 画面割れるかと思ったじゃん!」
「も、申し訳ありませんわ。繊細な魔道具の扱いは不得手でして……」
「魔道具じゃないってば。もっとこう、優しく……猫の頭撫でるみたいにさ」
私は咳払いをして、気を取り直した。
この世界――現代日本。
鉄の馬車が走り、無限の食料があり、誰もが魔法の板で世界中の知識にアクセスできる。
一見すれば、物質的には私のいた世界より遥かに豊かだ。
だが。
私はふと、アケミの手首に目が止まった。
袖口から覗く、赤黒い痣。
それは、どう見ても転んだ傷ではない。人の手によって強く掴まれた、暴力の痕跡だ。
「アケミ。その腕の怪我は?」
「え?」
アケミは慌てて袖を引っ張り、痣を隠した。
先ほどまでの明るい表情が、一瞬にして曇る。
「ああ、これ? なんでもないよ。ちょっとドジっちゃってさ」
「……嘘をおっしゃい。それは打撲痕ではなく、圧迫痕ですわ。誰にやられましたの?」
私の問い詰め方は、少し厳しかったかもしれない。
アケミは視線を逸らし、スプーンでドリアの焦げ目を弄び始めた。
店内の賑やかな雑音が、私たちのテーブルの周りだけ遠のいていく。
「……ケン、だけど」
「ケン? 誰ですの、その男は」
「ウチの彼氏。……まあ、ちょっと気性が荒いっていうか、束縛激しいっていうか」
アケミは自嘲気味に笑った。
その笑顔は、どこかあの日――舞踏会でナターシャにハメられた時の、周囲の貴族たちの「見て見ぬふりをする笑顔」に似ていて、私は無性に腹が立った。
「暴力を振るう男など、言語道断ですわ。なぜ別れませんの?」
「別れるとか、無理だし」
アケミは小さな声で呟いた。
「ウチさ、親いないんだよね。高校の時に事故で死んじゃって。親戚もいないし、ずっと一人だったの」
「……」
「寂しいじゃん、一人って。ケンはさ、殴る時は怖いけど、普段は優しいんだよ。『お前には俺しかいない』って言ってくれるし。実際そうだし」
彼女は顔を上げ、私に弱々しい笑みを向けた。
「だからさ、今日マナといて楽しかったよ。久しぶりに、なんも考えずに笑えた気がする。……ありがとね」
ズキリ、と胸が痛んだ。
彼女の論理は破綻している。
暴力で支配し、孤独につけ込む男。それが「愛」であるはずがない。
けれど、それを否定することは、彼女の孤独な人生そのものを否定することになるのではないか。
あの「優しい世界」の住人たちは、こうした歪みを「愛」という名のオブラートで包み隠し、見て見ぬふりをしていた。
私はどうだ?
「あら、お可哀想に」と言って、立ち去るのか?
――否。
断じて否だ。
私はコップのメロンソーダを飲み干し、ドンとテーブルに置いた。
「アケミ。貴女は大きな勘違いをしていますわ」
「え……?」
「その男は貴女を愛してなどいません。貴女を『所有』しているだけです。そして何より――」
私が言いかけた、その時だった。
「おい。何シケた面してんだよ、アケミ」
ドスの効いた低い声が、頭上から降ってきた。
見上げれば、そこに男が立っていた。
金髪の長髪、ジャラジャラとした安っぽい銀のアクセサリー。
目つきは爬虫類のように鋭く、顔色は悪い。
そして何より、全身から漂う「腐った」気配。
「ケ、ケン……?」
アケミの顔が蒼白になる。
彼女の身体が、小刻みに震え出した。条件反射的な恐怖だ。
「LINE返さねえからどこほっつき歩いてんのかと思えば、こんなとこで油売ってたのかよ。……つーか、誰だそのコスプレ女」
ケンと呼ばれた男は、私をジロリと睨みつけた。
値踏みするような、不快な視線。
「あ、えっと、この子はマナって言って……今日知り合った友達で……」
「友達ィ? お前に俺以外の連れなんかいらねーだろ。帰んぞ」
ケンは問答無用でアケミの腕を掴んだ。
まさに、痣があるその場所を。
「っ、痛い! 待ってケン、痛いよ!」
「うるせえ! 口答えすんな!」
ケンが腕を振り上げる。
その動作はあまりにも慣れていた。
日常的に繰り返されてきた、暴力への予備動作。
アケミが目を瞑り、身を縮める。
ファミレスの客たちが、関わり合いになるのを恐れて視線を逸らす。
ああ。
ここも同じだ。
現代日本だろうが、異世界だろうが。
力のない者が虐げられ、周囲はそれを見過ごす。
――うっせぇな、クソが。
私の脳内で、あの時と同じ音がした。
プツン、と。
「……おい」
ケンがアケミを殴ろうとした、その刹那。
私は立ち上がっていた。
優雅に、しかし疾風のごとく。
「ああん? なんだテメェ、部外者はすっこんで……」
ケンが私の方を向き、威嚇しようとした。
遅い。
あまりにも遅すぎる。
我が家の剣術指南役の爺やなら、この間に十回は斬っている。
「部外者ではありませんわ」
私は右足を一歩踏み出し、床のタイルを踏み砕いた(ミシミシッ、という音がしたが気にしてはいられない)。
重心を落とし、腰の回転を肩へ、そして腕へと伝達する。
「私は、その子の友人ですのよ!!!!」
ドゴォォォォォォォッ!!!!
店内に、トラックが衝突したかのような衝撃音が響き渡った。
私の右拳は、ケンの鼻っ柱を正確に捉えていた。
手応えあり。
いや、少々軽すぎるか。魔獣の皮膚に比べれば、現代人の顔面など豆腐のようなものだ。
「ぶべらっ!?」
ケンはナターシャと同様、いやそれ以上に無様な悲鳴を上げ、水平に吹き飛んだ。
隣の空席のテーブルをなぎ倒し、ドリンクバーの機械に背中から激突する。
プシューッ! とコーラの飛沫が上がり、彼は白目を剥いてずり落ちた。
静寂。
再び訪れる、完全なる静寂。
スプーンを落とす客。
口を開けたまま固まる店員。
そして、何が起きたのか理解できずに呆然とするアケミ。
私は拳についた男の脂をハンカチで拭い取り、倒れ伏すケンを見下ろした。
虫の息だが、死んではいない。手加減(全力の5%くらい)をしておいて正解だった。
「……あ、あ、あ……」
アケミが震える声で私を見る。
恐怖か? 私を野蛮人だと軽蔑するか?
私はアケミの方に向き直り、ニッコリと微笑んだ。
そして、彼女の震える手を取り、そっと握りしめた。
「見ましたか、アケミ」
「え……?」
「あんな男、飛べばただのゴミですわ」
私は、倒れているケンを顎でしゃくる。
コーラまみれでピクリとも動かないその姿は、確かに惨めで、滑稽で、とても「怖い支配者」には見えなかった。
「貴女には親がいない。彼氏も(物理的に)いなくなった。……なら、どうすればいいか分かりますか?」
アケミは首を横に振る。目には涙が溜まっていた。
「わ、わかんない……どうすればいいの……?」
「簡単ですわ」
私は彼女の手を強く引いた。
私の世界にはなかった、温かい体温。
「私が貴女の家族になってあげますわ。……文句、よろしくて?」
アケミの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
彼女は私のドレスにしがみつき、子供のように泣きじゃくった。
「う、うあぁぁぁん! マナぁぁぁ! 怖かったよぉぉぉ!」
私はよしよし、と彼女の派手な金髪を撫でてやる。
まったく、世話の焼ける平民だ。
だが、悪くない気分だった。
遠くから、ウゥゥゥゥ……というサイレンの音が聞こえてくる。
どうやら、この国の衛兵(警察)のお出ましのようだ。
「さて、アケミ。泣き止みなさい。逃げますわよ」
「えっ、ど、どこへ!?」
「どこでもいいですわ。とりあえず……あのナターシャという女がいる場所まで、案内してくださる?」
私は倒れているケンをドレスの裾で踏みつけ(ついでに止めを刺し)、アケミの手を引いて店を飛び出した。
シブヤの夜風が、心地よく頬を撫でる。
現代日本に転生した悪役令嬢(物理)の、本当の戦いはここからだ。
△▼
ウゥゥゥゥゥゥゥ――ッ!!
赤と光の光が回転し、サイレンの音が夜のシブヤの路地裏に反響する。
それは、獲物を追い立てる猟犬の遠吠えにも似ていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……! マナ、速い、速すぎだってば!」
アケミが息を切らして私の腕にしがみついている。
私はドレスの裾を片手で持ち上げ、ハイヒールでアスファルトを蹴りながら、風を切って疾走していた。
「何を言っていますの、アケミ。これはただの競歩ですわ」
「うそでしょ!? これ全力疾走だよ!」
背後からは、青い制服を着た衛兵――「警察官」たちが、血相を変えて追いかけてきている。
「待てェ! そこのドレスの女! 傷害容疑だ!」
「止まりなさい! 署で話を聞くから!」
彼らは口々に叫んでいる。
ファミレスでの一件。私がアケミの元彼を店内の備品ごと吹き飛ばした件について、どうやら彼らは私を拘束したいらしい。
「しつこい殿方ですこと。アケミ、一度立ち止まって、彼らを『説得(物理)』して差し上げた方がよろしくて?」
「ダメに決まってんでしょ! 警察殴ったらマナ、マジで終わるよ! 一生ムショ暮らしだよ!」
「ムショ? 地下牢のことかしら。……ふん、あのナターシャという女の居場所を吐かせるまでは、捕まるわけにはいきませんわね」
私は路地を曲がり、ゴミ捨て場を飛び越え、雑居ビルの隙間を縫うように進んだ。
しかし。
キキーッ!
前方の交差点に、パトカーと呼ばれる白黒の鉄の馬車が滑り込んできた。
道を塞ぐように停車し、中から数人の警官が飛び出してくる。
後ろからも追っ手。
私たちは、薄暗い路地裏で完全に包囲されてしまった。
「万事休す、か……マナ、ごめん、私のせいで……」
アケミが絶望的な顔でうなだれる。
震える彼女の肩を、私はポンと叩いた。
「顔をお上げなさい、アケミ。私の辞書に『降伏』という文字はありません」
私は右手の拳を固く握りしめ、ボキボキと指の関節を鳴らした。
相手は十人ほど。武器は警棒と、腰に下げた鉄の筒(拳銃?)。
殺気はない。単なる職務執行だ。
ならば、骨の一本や二本で済ませてやるのが慈悲というもの――。
私が構えをとった、その時だった。
ブォォォォン……
重低音を響かせ、一台の漆黒の高級車が、パトカーの列を割るようにして現れた。
音もなく滑るように停車したその車は、周囲の空気を一変させる威圧感を放っていた。
「……? 援軍か?」
警官たちがざわつく。
後部座席のドアが開き、中から一人の男が降りてきた。
仕立ての良い黒いスーツ。整えられた髪。銀縁の眼鏡。
一見すれば、仕事のできるビジネスマンだ。
だが、私は直感した。
――臭う。
この男からは、あの「優しい世界」の王城に漂っていたのと同種の、鼻持ちならない『欺瞞』の臭いがする。
「警察の皆様。ご苦労様です」
男は穏やかな声で警官たちに歩み寄り、胸ポケットから何かを取り出して見せた。
黒い手帳のようなものだ。
「……警視庁の、葛城です。この件は、公安の方で引き取らせていただきます」
「は? 公安? いや、これは単なる傷害事件で……」
「被害者の男性――ケン・タナカ氏は、すでに示談に応じる意向を示しています。治療費および慰謝料として、十分な額を提示しましたので」
葛城と名乗った男は、ニッコリと微笑んだ。
その笑顔は完璧だった。
目尻のシワの寄り方、口角の上がり方。すべてが計算され尽くした、「敵意がないことを示す記号」としての笑顔。
「そ、そうですか……。しかし、上の許可が……」
「署長には既に話を通してあります。――下がってください」
男の声色が、一瞬だけ低く、冷たく響いた。
警官たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直し、やがて「了解しました……」と力なく敬礼をして去っていった。
まるで、魔法で操られているかのような引き際だった。
路地裏には、私とアケミ、そしてスーツの男たちだけが残された。
「……助かりましたわ。礼を言います」
私は警戒を解かずに言った。
「ですが、貴方、ただの役人ではありませんわね? その笑顔、反吐が出るほど見覚えがありますもの」
葛城は眼鏡の位置を直し、私に向かって優雅に一礼した。
「お初にお目にかかります。マーガレット・フォン・アークライト様。……いえ、この世界では『マナ』とお呼びすべきでしょうか」
「……なぜ、私の名を知っている?」
「知っていますとも。我々は『ジェネシス・プロダクション』。貴女のような……『境界を越えてきた迷い人』を保護し、管理する組織ですから」
ジェネシス。創世記。
また大層な名前をつけたものだ。
「保護、ねぇ。聞こえはいいですが、要するに『監視』でしょう?」
「人聞きが悪いですね。我々は、貴女の才能を高く評価しているのです。あのナターシャ様のように」
ナターシャ。
その名が出た瞬間、私の体温が一度上がった。
「やはり、あのアマも貴方たちの手駒なんですのね」
「ナターシャ様は、我々の稼ぎ頭ですよ。この世界のルールに順応し、人々を魅了し、莫大な富を生み出している。……貴女にも、その素質がある」
葛城は一歩、私に近づいた。
「あのファミレスで見せた破壊力。素晴らしい。貴女のその暴力性、そして常識外れの身体能力。現代社会では異端ですが、エンターテインメントの世界では強力な武器になる」
彼は懐から一枚の名刺を取り出し、私に差し出した。
「どうでしょう? 我々と契約しませんか? 衣食住、戸籍、そしてこの世界での輝かしい地位をお約束します。警察に追われることも、路頭に迷うこともない」
隣でアケミが息を呑む。
「マナ……これ、すごいことだよ? ジェネシスって、ナターシャがいる事務所でしょ? 超大手じゃん! 芸能人になれるってこと!?」
確かに、魅力的な提案に見えるかもしれない。
異世界で無一文の私にとって、これ以上の蜘蛛の糸はないだろう。
だが。
私は葛城の瞳を覗き込んだ。
その奥には、感情の色がない。ただの「管理者」としての冷徹な光があるだけだ。
あの時と同じだ。
『聖書の記述に反する』と言って、私を排除したあのシステム音声と。
「……お断りしますわ」
私は葛城の手から名刺をひったくると、それを目の前でビリビリに破り捨てた。
「なっ……!?」
葛城の後ろに控えていた黒服たちが色めき立つ。
葛城の眉が、ピクリと動いた。
「……賢明な判断とは思えませんが?」
「私はマーガレット・フォン・アークライト。誰かの筋書き(シナリオ)通りに動く人形には二度となりません」
私は一歩踏み出し、葛城の胸ぐらを――掴もうとして、やめた。
代わりに、彼のネクタイを指先でピンと弾く。
「それに、貴方たちからは『檻』の臭いがしますの。管理された家畜の安寧より、私は野良犬の自由を選びますわ」
葛城はしばらく私を見つめ、やがてフッと笑った。
今度は、作り笑いではなく、嘲笑に近い笑みを。
「野良犬、ですか。……いいでしょう。ですが、覚えておいてください。この世界は『システム』によって強固に守られています。貴女のようなバグ(異分子)が、いつまで自由に暴れ回れるか……見ものですな」
「ご忠告、感謝しますわ。――ああ、それと」
私は踵を返し、アケミの手を引いて歩き出しながら、肩越しに言い放った。
「ナターシャに伝えておきなさい。『首を洗って待っていろ』とね」
葛城は何も答えず、ただ静かに私たちを見送った。
背中に突き刺さる視線を感じながら、私たちは夜の闇へと消えた。
***
「……で、ここが貴女の城というわけ?」
「城っていうか……築30年のボロアパートだけどね」
逃走劇の末、私たちはアケミの住むアパートにたどり着いた。
鉄の階段は錆びつき、廊下の電灯はチカチカと点滅している。
部屋に入ると、そこは六畳一間の狭い空間だった。
服が散乱し、テーブルの上にはコンビニ弁当の空き容器や、化粧品が雑然と置かれている。
お世辞にも綺麗とは言えない。
王城のトイレよりも狭いかもしれない。
だが。
「……ふふっ」
「え、何? 汚いって笑った?」
アケミが恥ずかしそうに頬を膨らませる。
「いいえ。……落ち着く場所だと思って」
私は散らかったクッションを退けて、その場に座り込んだ。
ここには、あの宮殿のような冷たさがない。
生活の匂いがある。アケミという人間が、泥臭く生きてきた痕跡がある。
「マナ、本当によかったの? あんなすごいスカウト蹴っちゃって」
アケミが冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、プシュッと開ける。私には麦茶を出してくれた。
「よかったのです。あんな奴らに飼われるくらいなら、路地裏で野垂れ死んだ方がマシですわ」
「アンタ、本当にかっこいいっていうか、バカっていうか……」
アケミは呆れたように笑い、それから真剣な顔になった。
「でもさ、これからどうすんの? ナターシャに会うんでしょ? あんなデカい事務所がバックについてるなら、近づくだけでも大変だよ」
「ええ。正面突破は難しいでしょうね(物理的には可能かもしれませんが)」
私は麦茶を一口飲み、ニヤリと笑った。
「だからこそ、アケミ。貴女の知恵が必要ですの」
「ウチの?」
「ええ。貴女はこの世界の『常識』を知っている。私は『非常識』を持っている。……二人で組めば、なんだってできると思いませんこと?」
アケミは目を丸くし、やがて嬉しそうにニシシと笑った。
「そっか。……そーだね! ウチら、最強のコンビになれるかも!」
「まずは、この世界の情報を集めます。そして、必ずあのナターシャを引きずり下ろし、このふざけた『管理社会』に風穴を開けてやりますわ」
狭いアパートの一室で、ドレス姿の元公爵令嬢と、ジャージ姿のギャル。
奇妙な二人の作戦会議が、今始まろうとしていた。
――待っていなさい、ナターシャ。
そして、私を追放した「神」の代理人たちよ。
このマーガレット・フォン・アークライトが、貴様らの想定を、拳一つで粉砕して差し上げますわ!
お願い
軽い気持ちで、ブクマお願いします。




