奇妙なダンジョン『日本』
「なんですの、ここは……!」
私は、マーガレット・フォン・アークライト公爵令嬢。
……だったはずの女だ。
つい先ほど、婚約破棄を突きつけてきた元婚約者と、その隣でほくそ笑んでいた性悪ブス女に鉄槌を下した。
最高にスカッとした気分を味わったのも束の間、世界から「エラー」扱いされて弾き出され、気がつけば見たこともない喧騒の中に立っていた。
周囲を見渡す。
空を突き刺すようにそびえ立つ、ガラス張りの奇妙な建物たち。
石畳ではなく、黒くて硬い地面。
そして、耳がおかしくなりそうなほどの轟音と、雑踏。
何より、人々が奇妙すぎる。
男も女も、布面積が極端に少ない服や、奇抜な色使いの服を着ている。ドレスを着ているのは私だけだ。
彼らは一様に、私の姿を見てギョッとした顔をし、ヒソヒソと何かを囁きながら遠巻きに避けていく。
「ねえ、あれ何? 撮影?」
「すっげー派手なドレス。なんかのイベント?」
「めっちゃ睨んでるんだけど、怖っ」
聞こえてますわよ、庶民ども。
あと、睨んでなどいません。これは公爵家伝統の「品位ある眼差し」ですのよ。
まあいいわ。あの薄気味悪い「優しい世界」の連中よりは、よほど人間らしい反応だ。恐怖や好奇心といった感情が、ダイレクトに伝わってくる。
プァァァーッ!!
「っ!?」
突然、背後で獣の咆哮のような音がした。
振り返ると、巨大な鉄の塊が猛スピードで迫ってくるではないか。
「危ないですよ! 信号赤ですってば!」
誰かの叫び声。
なるほど、この白い縞模様の上は、鉄の獣たちの通り道だったらしい。
私は慌てず騒がず、ドレスの裾を優雅につまみ上げると、その場で軽くステップを踏んで歩道へと跳躍した。
これしきの動き、我が家で飼っていた猛犬(ドーベルマンの三倍は大きい魔獣)とのじゃれ合いに比べれば、どうということはない。
歩道に着地し、乱れた髪を何食わぬ顔で整える。
「……ふぅ。少々、騒がしすぎますわね、この街は」
とりあえず、情報収集が必要だ。ここはどこなのか。王都からどれくらい離れているのか。
それに、さっきから妙に腹が減る。
あの世界から排除された時、肉体ごと転移したらしい。右拳には、まだナターシャの頬骨を砕いた感触が微かに残っている。
ぐぅぅ……。
私の腹の虫が、公爵令嬢らしからぬ豪快な音を奏でた。
いけない。まずは腹ごしらえだ。
ふと、鼻をくすぐる芳ばしい匂いが漂ってきた。
スパイスと、油で揚げた肉の匂い。
匂いの元を辿ると、青と緑の縞模様の看板を掲げた、奇妙な店があった。壁が全てガラス張りで、中が丸見えだ。
『FamilyMart』と書いてある。
ファミリー? 家族向けの商店だろうか。
私は意を決して、その店に近づいた。
入り口らしき場所に立つと、突然、透明な扉が左右に開いた。
「!?」
思わず半歩下がる。
魔法か? いや、魔力は感じない。自動仕掛けの扉だろうか。
警戒しつつ、足を踏み入れる。
チャラララララン♪ と、これまた奇妙な音楽が鳴った。入店を知らせる魔道具なのだろう。
店内に入って、私は息を呑んだ。
「……なんと」
狭い店内に、これでもかと商品が並べられている。
見たこともない色鮮やかなパッケージに包まれた食品、飲み物、書物、そして生活用品。
まるで、王家の宝物庫をひっくり返したようなカオスぶりだ。しかも、その全てが整然と陳列されている。
「いらっしゃいませー」
気だるげな声で、店の奥にいた若い男が言った。店員らしい。
私は努めて冷静を装い、優雅に一礼した。
「ごきげんよう。突然の訪問、失礼いたしますわ」
「……は? あ、はい。いらっしゃいませ……?」
店員が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。礼儀作法を知らない田舎者なのだろうか。
まあいい。私の目的はレジ横にある、透明なケースの中の黄金色の物体だ。
先ほどから私の嗅覚を刺激してやまない、揚げた鶏肉らしきもの。
「そちらの、芳しい香りを放つ黄金の塊を一つ、所望いたしますわ」
私がケースを指差すと、店員はさらに困惑した顔をした。
「えっと……ファミチキですか?」
「名前などどうでもよろしくてよ。それを、今すぐに食したいのです」
「はぁ。百八十円になります」
百八十円。それがこの国の通貨単位らしい。
当然、私はそんなものは持っていない。
しかし、公爵令嬢たるもの、支払いでたじろぐわけにはいかない。
私はドレスの隠しポケットから、刺繍入りのハンカチを取り出した。端っこに、小指の爪ほどの小さなルビーがあしらわれている。
「あいにく、この国の通貨を持ち合わせておりませんの。これで足りまして?」
私はハンカチをレジカウンターに置いた。
店員が目を剥く。
「えっ、ちょっ、これ本物!? いやいやいや、困りますよお客さん! 警察呼びますよ!?」
「警察? 衛兵のことかしら? 構いませんわ、この宝石の価値がわからないというのなら、鑑定人を呼んでくださってもよろしくてよ」
私が胸を張って言うと、店員はますますパニックに陥った。
「いや、そういう問題じゃなくて! 円で払ってくださいってば!」
「ですから、持ち合わせていないと申しておりますの! 融通の利かない男ですわね!」
私が少し声を荒げ、カウンターを(軽く、本当に軽く)叩いた瞬間、バキッと音がしてレジ台のプラスチック部分にヒビが入った。
「ひいぃっ!?」
店員が悲鳴を上げる。
「あーあ、お姉さん、店員さん泣かせちゃダメじゃん」
その時、横から軽い口調の声が掛かった。
見ると、髪を金色とピンクのまだらに染め、目の周りを黒く塗りたくった、奇抜な格好の若い娘が立っていた。
手には、小さな光る板(後に分かることだが、スマホという謎の機械らしい)を持っている。
「これ、マジもんのルビー? すげー、ガチ勢じゃん。コスプレにしては気合入りすぎでしょ」
娘は私のハンカチをまじまじと見て、面白そうに笑った。
「無礼な。これは由緒あるアークライト家の紋章ですわ」
「へー、そーなんだ。よくわかんないけど、お姉さん面白いから、これ、ウチが奢ってあげるよ」
そう言って、娘は自分の光る板をレジの機械にかざした。
ピピッ、と音がする。
「はい、これでいいっしょ。店員さんも、ビビりすぎだって」
「あ、ありがとうございます……」
店員は安堵の息を吐き、紙袋に入れた「ファミチキ」を私に渡してくれた。
私は少し呆気にとられたが、すぐに気を取り直して娘に向き直った。
「……礼を言いますわ、平民の娘よ。貴女の名前は?」
「平民てウケるんだけど。ウチ、アケミ。お姉さんは?」
「マーガレットよ。アケミ、貴女の親切な行い、このマーガレットの名において記憶に留めておきますわ」
「はいはい、どーも。それよりマナ、熱いうちに食った方がいいよ。マジ美味いから」
アケミに促され、私は店の外に出て、熱々のファミチキにかぶりついた。
カリッ、ジュワァ……。
「……っ! こ、これは……!」
衣のサクサクとした食感と、中から溢れ出す肉汁の旨味。絶妙なスパイスの加減。
王宮のシェフが作る上品な鶏肉料理とは対極にある、暴力的とも言える旨さの奔流。
「美味しい……! なんて素晴らしい食べ物ですの!」
私は夢中で貪り食った。ドレスに油が跳ねるのもお構いなしに。
二口、三口で平らげ、私は満足げに息を吐いた。
「ふぅ。生き返りましたわ。この世界の食文化、侮れませんわね」
「あんた、ホント面白すぎ。マジでどっから来たの?」
アケミがケラケラと笑いながらスマホを向けてくる。どうやら動画を撮っているらしい。
「遠い異国……と言っておきましょうか。それよりアケミ、私はこの街について何も知らないのです。少し案内していただけませんこと?」
「いーよー。ウチも暇だったし。じゃあ、とりあえず駅の方行ってみる?」
こうして私は、この世界で初めての「案内人」を得たのだった。
***
アケミに連れられてやってきたのは、「シブヤ駅」という場所だった。
人が多いとは聞いていたが、これほどとは。
「な、なんですの、この人の波は……! 暴動でも起きていますの!?」
駅構内は、まるで蟻の巣をひっくり返したような大混雑だった。人々が四方八方から押し寄せ、複雑怪奇な通路を奔流のように流れていく。
しかも、地下へ地下へと潜っていく構造は、まるで古代遺跡のダンジョンのようだ。
「いや、ただの帰宅ラッシュだって。マナ、はぐれないようにね」
「ええ、心得ておりますわ。……邪魔ですわよ! 道をお空けなさい!」
私はドレスの裾を巧みに操り、人波をモーゼの海割りのように切り開いて進んだ。
ぶつかってくる無礼者には、体幹で鍛えた強固なショルダータックルを(優雅に)お見舞いする。
屈強なサラリーマンらしき男が、私にぶつかった瞬間、ゴムまりのように弾き飛ばされた。
「なっ!? なんだこの女、岩かよ!?」
「あら、失礼。足元がおぼつかないようですわね」
私は涼しい顔で微笑みかけた。
アケミが爆笑している。
「ヤバい、マナ最強じゃん! そのドレスでこの人混み無双するとか、マジリスペクト!」
次に現れたのは、「改札」という名の関門だった。
人々が小さなカードや、さっきの光る板を機械にかざすと、小さな扉が開く仕組みらしい。
アケミがスイスイと通り抜けるのを見て、私も真似してみる。
右手を優雅にかざし――
バタンッ!
「痛っ!?」
閉じたままの扉に、思いっきり太ももを強打した。
「無礼な! このアークライト公爵家の令嬢を通さないとは、何たる不敬!」
「ちょっ、マナ、待って! 切符買ってないでしょ!」
アケミが慌てて戻ってきて、私の代わりに「切符」という小さな紙片を買ってくれた。
なるほど、ここは通行料が必要な関所だったのか。
ようやくホームにたどり着くと、今度は地鳴りのような音が響き渡った。
ゴォォォォォォォォッ!
突風と共に、巨大な鉄の箱が滑り込んでくる。
その迫力に、私は思わず身構えた。
「……っ! まさか、鉄のドラゴンを飼いならしているとでもいうのですの!?」
「ただの電車だってば。ほら、乗るよ!」
鉄の箱の扉が開き、中から人が吐き出され、そして新たな人が吸い込まれていく。
中はすし詰め状態だ。
「こ、これに乗るのですか? 人間の尊厳が試されるような狭さですわね……」
「満員電車は日本の文化だから。諦めて突っ込む!」
アケミに背中を押され、私は鉄の箱の中へと押し込まれた。
四方八方から人の圧力がかかる。
様々な臭いが混じり合い、息苦しい。
「くっ……(皆様、もう少し間隔を空けていただけませんこと?)」
心の中で優雅に苦情を言ってみるが、当然通じない。
電車が動き出すと、ガタンゴトンと激しく揺れた。
周囲の人々がバランスを崩してよろめく中、私は両足を踏ん張り、丹田に力を込めた。
微動だにしない。
これしきの揺れ、暴れ馬が引く馬車での移動に比べれば、赤子のゆりかごのようなものだ。
私はつり革も持たず、揺れる車内で一人、優雅に直立不動の姿勢を保ち続けた。
周囲の乗客が、奇異の目と尊敬の眼差しを向けてくるのが心地よい。
数駅過ぎたところで、アケミが「次で降りるよ」と言った。
人波に逆らって鉄の箱から脱出し、ホームに降り立つ。
「ふぅ……。なかなかにスリリングな体験でしたわ」
「マナ、マジで体幹どうなってんの? アスリート?」
「淑女たるもの、いかなる時も姿勢を崩してはなりませんのよ」
私は乱れたドレスを整えながら、駅の構内を歩き出した。
その時だった。
ふと顔を上げると、コンコースの壁一面を覆う、巨大な発光する板――デジタルサイネージが目に入った。
そこには、美しい映像が流れていた。
煌びやかなドレスを纏い、宝石のような化粧品を手に微笑む、一人の女性。
『――もう、偽りの自分はいらない。』
そんなキャッチコピーと共に、画面いっぱいに彼女の顔が映し出される。
ピンクブロンドの巻き毛。小動物のように愛らしい、しかしどこか計算高さを感じさせる瞳。そして、完璧な角度で作られた、媚びるような微笑み。
私は、呼吸を忘れた。
「……は?」
隣でアケミが、画面を見上げて言った。
「あ、これ今話題の女優じゃん。ナターシャだっけ? 超可愛くない?」
ナターシャ。
女優。
私の脳内で、情報がスパークする。
「嘘……でしょ?」
あの女。
私が人生で初めて本気でぶん殴った、あの性悪ブリッコ悪役令嬢ナターシャが。
なぜ、この現代日本で、国民的女優としてちやほやされているのですの――!?




