魔石の子ら 1
バルト・エンデローグは、絶望的な戦場から幾度となく生還した。
そんな彼を人々は『不死身の生還者』と呼ぶ。
だが――彼の新人時代の同期は誰一人この世にいない。
「隊長殿……壁の向こうから、斥候が戻って参りました」
「どうだった?」
「今のところはまだ、魔獣の影はないようです」
「そうか……」
バルトは前回の戦闘で大型魔獣を単独撃破し、部隊長に昇進した。このフィラー王国において、平民出身の騎士が部隊長に昇進したのは三十年ぶりだ。
しかし彼に、昇進をともに喜んでくれる仲間はいない。所属していた王立騎士団第六部隊で生き残ったのが彼一人ゆえに。
不死身の生還者――これほど不名誉な二つ名があろうか。
バルトは今回の戦場を最後に騎士を引退しようと決めていた。生き残れたなら、故郷で暮らそうと。
――だが彼の故郷は王都を取り囲む壁の外。いまや魔獣の住処となっている。
しかもバルトが志願したのは、魔獣との最前線だ。王国の北端、リークハルト領……かの地からの生還者は1%に満たない。
「下がっていい……明日から本格的な戦闘が始まる。よく休んでおくように」
「は……!」
知らせに来た新人騎士に返事をしたあと、バルトは内心で頭を抱える。
――どうしてこうなった。
バルトの顔にはありありと困惑が浮かんでいる。その理由は、今回の部隊編成にある。
バルトは、先ほど届いたばかりの木箱に視線を向け、口を開いた。
「まて」
「隊長殿?」
「……今夜は特別に菓子を配給する」
「わぁ! 良いのですか!?」
魔獣により、他の国との行き来が困難になってから砂糖は貴重だ。王侯貴族であってもおいそれと口にできない。
「あとで天幕に持って行く」
「わーい……あっ、承知いたしました!」
高く愛らしい声……報告に来た金髪に碧眼の少年騎士、ウォルフはまだ十一歳だ。
彼は子どもらしく軽やかな足取りで去って行く。
バルト以外いなくなった第六部隊。
新たに配属されたのは、八歳から十三歳の五人。
彼らはまだ騎士養成学校にすら入学していない年齢だ。
しかし、彼らに養成などという凡人向けの概念は無意味だ。
魔石を使って本格的に魔導具を運用できるようになってまだ十年。
しかし、すでに魔獣との戦闘の主戦力になりつつある。
魔導具は使う者を選ぶ。
魔力が高く、魔石に選ばれし者……年齢や経験など彼らの力を前にすれば何の役にも立たない。
「しかし、こんなに幼い子どもたちを最前線に配属するなど――陛下は何を考えておられるのだ」
――バルトは独りごちた。
バルトが長年培ってきた忠誠心は、今まさに揺らぎかけている。
だが過酷な戦場で生き残ってきた彼は、国王の命令の真意を誰より理解している。
いつから魔獣と人類が戦っているのかは定かではない。
だが、世代が変わるごとに人類の魔力は減少している。壁に防護魔法を施していた聖女の力しかり。
十年前……王国の安寧を守っていた国境の壁へ施された魔法が消えて、魔獣から王国を守る機能を果たさなくなった。
――その日、バルトの故郷は消滅した。
ここ数年魔獣との防衛線はジリジリと王都側に後退している。
九年前には次の壁も機能を失った。
―――その日、バルトは同期を全て失った。
王都を取り囲む最後の壁。それすらいつまで保つことやら。
――最後の壁に小さな穴が空いたのが三日前。
間もなく魔獣は王都を消滅させるだろう。
子どもを最前線に立たせた国王は後世、血も涙もない非情な王として名を残す。
それは国王自身が誰よりも理解している確定事項だ。
名を残すような歴史があれば――だが。
王都で暮らす民のほとんどは、戦う術を持たない。
魔獣が壁を越えることを許せば、民の大多数は生き残れない。
最前線への配属が受理された日、国王はバルトに『生き残れ』とだけ命じた。
いつもであれば事細かに戦略を聞いてくる国王にしては珍しいことだ。
生き残るだけであれば、難しいことではない。
バルトこそが、一番初めに魔石に選ばれた者なのだ。
国境の壁の崩壊から十年、バルトは二十八歳になろうとしていた。
バルトの最前線行きが受理された直後に王都の壁に空いた小さな穴。
このままではバルトが最前線に行く前に、王都が最前線になる。
――バルト以外の魔石に選ばれた者たちが各戦場から引き上げるまで、バルト一人で王都を防衛しきれまい。
もはや子どもだからというのは、理由にならない……国王は幼い数人の子どもの命より、大多数の国民や騎士たちの命を選んだのだ。
――ああ、胸くそ悪い。
バルトは前髪を掻きあげ、舌を鳴らす。そして、菓子が入った段ボールを抱え、天幕に向かった。
* * *
子どもたちは、カードゲームに興じていた。明日から本格的な戦闘が始まる。明日の夜、彼のうち何人かは戻ることがないやもしれない。
「もしかすると……また、俺だけが……」
歴戦の騎士バルトですら、ここまで心の中が真っ黒に塗りつぶされそうになった経験はない。
彼の仲間は確かに死んだ。それでも彼らは、その可能性を理解し自ら騎士になった者ばかりだった。
――だがこの子どもたちは、自ら望んで騎士団に所属したわけではない。
「隊長が来たよ!」
「わあ、お菓子、お菓子!」
子どもたちはカードを置いて立ち上がると、わらわらとバルトの周りに集まってきた。
その目は子どもらしく輝いている。
「隊長殿~! お菓子早く食べたいです!」
そう言って屈託ない笑みを向けてきたのは、八歳の少女ルビーだ。
赤い髪に青みを帯びたグリーンの瞳を持つ彼女は、火竜の心臓の中から見つかった火の魔石に選ばれた。小さな体に見合わず、彼女にしか扱えぬ大剣を振り回す。
「ほら、仲良く分けるんだぞ」
チョコレートにクッキーに飴。特別に配給された菓子はこれで全部だ。
だが、明日生き残れるかわからないのに残しておく意味がない。
全部食べてしまうべきだ――だが本当に? 本当にそれでいいのだろうか?
バルトは子どもたちの顔を見た。
八歳が二人、九歳が一人、十一歳が一人、最年長が十三歳だ。
十三歳になったばかりのルードニックだけは、お菓子に喜ぶ様子がなく顔色も悪い。
他の隊員に比べ、彼は自身が置かれた状況が絶望的であることをよく理解しているのだ。
「ルードニック。菓子は明日の夜のために半分残しておくように」
「隊長殿、しかし……」
バルトは戦いばかりしてきたから、誰かのために偽りの笑みを浮かべることなどない。
だが、務めて明るく笑う。
「全員生き残って、明日の夜も菓子を食べる。これは決定事項だ」
「――っ、隊長殿。この戦場で生き残る者は百人に一人に満たないと聞いております!」
ルードニックは金色の目を潤ませ、堪えきれず叫んだ。
他の子どもたちも不安げに、普段から面倒見が良く兄のように接してくれている彼の表情を伺っている。
「ああ、すみませんでした」
ルードニックは唇を噛みしめて、バルトから顔を背けた。
他の子どもたちを思い、感情を押し殺したのだ。
「……死なない。俺が守る」
「隊長殿……」
ルードニックの肩は、まだ華奢だり
当然だ、彼はまだ十三歳――守られるべき存在なのだ。
「隊長殿~。ルドラが守ってあげますよ!」
ルドラは淡いグリーンの髪に青みを帯びたグリーンの瞳をした八歳の少女。彼女は、ルビーの双子の妹だ。
双子が揃って魔石に選ばれるなど因果な話だ。
ルドラが持つ弓には風竜の心臓から見つかった風の魔石がはめ込まれている。
小さな体に似合わぬ大きな弓。使いこなせる者は彼女しかいない。
「はは、そうだな。守ってくれよ? だが、弓を扱うものは敵に近づかれれば終わりだ。まずは安全を確保してから射るように」
「は~い!」
「ウォルフとメリーナも、まずは安全確保を最優先にしろ。陛下からの命令は、『生き残れ』それだけである!」
「はい!!」
「……ええ」
――後年、歴史書は語るであろう。
この日が、人類と魔獣との戦いの岐路であったと。だが、今のバルトがそのことを知るはずもない。
* * *
天幕を出てバルトは上を見た。
そこには星が夜空を埋め尽くすように輝いている。
「人類の命運なんて知ったことか。俺はただ、あいつらを全員生還させる」
焚き火に小枝を投げ入れて、バルトは強く誓う。
小枝は乾ききっていなかったのだろう。炎の中でパチンッと音を立てた。
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