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ヘルヴァが生まれた日

作者: xoo

◎ヘルヴァが生まれた日


‘ この世に生まれ出た彼女は、()()だった。すべての新生児に義務付けられている脳波計テストに合格しそこなえば、彼女は()()としての運命を宣告されるだろう。だが、たとえ手足はねじれていても心はねじれていない可能性、耳はかすかにしか聞こえず目はかすんでいても、それらの背後の心は鋭敏な感受性を持つ可能性は、つねにあった。 ’ ----①


‘ その子は “もの” として生まれ、あらゆる新生児が受ける脳造影テストに受からなければ、“もの” として処理されるはずだった。だが、たとえ四肢はねじれていても精神はねじれておらず、耳が遠く目がかすんでいても、その奥にある心が感受性に優れているという可能性はつねにある。 ’ ----②


‘ SHE WAS BORN a thing and as such would be condemned if she failed to pass the encephalograph test required of all newborn babies. There was always the possibility that through the limbs were twisted, the mind was not, that through the ears would hear only dimly, the eyes see vaguely, the mind behind them was receptive and alert. ’ ----③



 「歌う船」はアン・マキャフリー(Anne McCaffrey, 1926-2011)が1961年〜69年に発表した連作短編集で、日本では1984年に酒匂真理子により訳出、東京創元社より出版された(ISBN4-488-68301-0)。それから40年、今年2024年に嶋田洋一により新たに訳出され、完全版として同社より出版された。上記の引用文は主人公のヘルヴァが産まれた際のエピソードを描いた第1話・表題作「歌う船」(The Ship Who Sang)の冒頭部分で、①が酒匂真理子版(ISBN4-488-68301-0)、②が嶋田洋一版(ISBN978-4-488-68311-5)、③が原書である。

 ものとして産まれた彼女は、こうしてヘルヴァとして生まれた。



 酒匂真理子版を手にしたときの衝撃を、私は忘れられない。「障害者」に対してはどこか腰が引けた対応になることの多かった時代、それを真っ向から「ものだった」と言う厳しさ。でもそれは「もの」であることを当然とせず

、哀しみと変わろう変えようとする意志を感じた。

 もう一つ。障害者は「保護する・庇護するもの」ではなく、就業し、ある意味、一般人より専門的で高度な職業、高い報酬を得られる職業の例をSFの形で提示をした、それも1961年に、というのが飛び抜けていた。いや、手にした1984年の時点でも、それは変わらない。


 「障害者をただ庇護するのではなく、身体的にも職業的にも自立する支援を行うことで、やがて障害者が、税金を使うだけの存在ではなく、税金を納める存在になる。」これはアメリカ陸軍航空隊の軍医でのちにニューヨーク大学の教授であったハワード・A・ラスクが示したリハビリテーションの理念である(文章はうろ覚えであるが、文脈はこのとおりである)。


 1981年の国際障害者年、その後の国連障害者の十年(1983年〜92年)に20年30年先駆ける、「SF」であった。それを実現させる設定が、「宇宙船の体を持つサイボーグ」だったのだ。彼女は宇宙船の体を持ち、自由に動ける相棒「筋肉」と組んで任務をこなす「頭脳筋肉船」「BB船」JH-834号となった。





◎サイボーグになった理由


 人の体の一部を機械に置き換えたサイボーグが創作物で描かれるとき、日本ではディストピアやバッドエンドである。石ノ森章太郎「仮面ライダー」「サイボーグ009」や柴田昌弘「赤い牙〜ブルーソネット〜」では悪の組織の手先として、またそれと対抗するためにサイボーグとなる。だた多くのサイボーグは、その身の強大な力を得るのと引き換えに人ならざるものとなった我が身を恐れ、苦悩する様が描かれるのがお約束である。


 事故や病気でサイボーグになる場合もある。TVドラマシリーズ「600万ドルの男」(1973〜78年)、「地上最強の美女バイオミック・ジェミー」(1976〜78年)は事故で両足や眼などを失ったことを切っ掛けにサイボーグとなった。「攻殻機動隊」の草薙素子は S.A.C.2nd GIG では幼い頃のミサイル攻撃による航空機墜落事故により全身義体化した(サイボーグになった)とされている(メディア・シリーズにより設定は異なるが、事件や事故に巻き込まれるのは共通である)。手塚治虫「ブラックジャック」のピノコは双子の姉の体のこぶ(奇形腫)の中に脳や手足、内臓がばらばらに納まっていた状態から取り出され、組み立てられたものである(胴体や顔面の皮膚は合成繊維)。柴田昌弘「フェザータッチ・オペレーション」の財部早紀は事故で脳を損傷しで植物人間となり、人工頭脳NOVA7000を移植された、いわば「逆サイボーグ」である。


 ヘルヴァとその仲間たち、殻人(シェルパーソン)は、(多くが先天性の)病気でそのままでは生き延びることができず、宇宙船や都市や産業機械や宇宙ステーションの「脳」として生きることを選んだ存在である。一般の人(ソフトパーソン)よりも長く、場合によっては数百年にも渡って社会の一員としてあり続ける。





◎ヘルヴァの病名は分からない


 「歌う船」のヘルヴァは先天性の病気であると示唆されるが、病名は明らかにされていない。「鉤爪状の役立たずの手」「棍棒状の足」を持ち、その後、金属の殻に入った。のちに視察に来た人権団体は、「個人記録の写真数枚を目にしただけで、ほぼ全員がそれ以上ページをめくろうとしなかった」「見るも恐ろしいその体が(から)に隠されていることに安堵した」と記されている。


 書かれた当時のアメリカはポリオ(急性灰白髄炎)の流行で1952年のピーク時には子どもを中心に感染者数5万7628人、麻痺が残った人は2万1269人、死亡者数は3175人を記録した(当時アメリカの人口は1.576億人)。症状が残った人の多くは四肢のうち一肢の麻痺であるが、罹患中は横隔膜や呼吸補助筋が麻痺して自力で呼吸できなくなった人も多い。この様子が、第2話「嘆いた船」(the Ship Who Mourned、1966年)で描写されている。


 1950年代末から60年代初めにかけてのサリドマイド薬害事件とその催奇形性も「歌う船」を描く切っ掛けの一つになったとされている。サリドマイドは鎮静・催眠薬、ハンセン病に対する治療薬であるが、当時のアメリカでは認可されなかった(臨床試験は行われた)。。サリドマイドは胎児の手/足/耳/内臓などに奇形を起こし、また胎児が死産した。全世界での被害者は3900人、暴露した胎児の30%が死産したとされるため、総数5800人(文献により1万人)と推計されている。日本では妊婦の悪阻(つわり)に処方され、日本での認定被害者は309人である。


 二分脊椎という病気もある。軽度であれば腰椎の後部の骨が一部癒合していない程度で外見からはわからない事も多いが(アメリカ人の40%が病気を持っているという説もある)、重度の開放性脊髄髄膜瘤であれば背部の皮膚組織が欠損し腰椎胸椎の脊髄が外界に開放されているため、運動麻痺、感覚麻痺、膀胱直腸障害、水頭症と患部の感染症を引き起こす。24時間以内の閉鎖手術・水頭症減圧手術が必要とされる(逆に言えば現代日本では閉鎖手術が行われるため、救命率は高い)。開放性脊髄髄膜瘤の発症率は分娩1万回につき6件とされている。


 ヘルヴァの病名は分からないが、1961年当時はそれぞれの病気は症状が重篤であり、特に開放性脊髄髄膜瘤においては救命率は低かった。他の先天性奇形(顔面の形成不全)を含めた肢体不自由をきたす複数の病気による障害がイメージされていた可能性がある。



 なお、マーセデス・ラッキとの共作である「旅立つ船」(The Ship Who Searched、1992年)では、主人公ティアは7歳で未知の感染症にかかり、ほんの数週間で筋萎縮性側索硬化症のような症状に至って身体機能を喪失する。そして(から)に入り、「頭脳筋肉船」AH-1033号になった。 





◎障害者は死ぬべき存在だったのか


 障害者といっても多種多様であるが、古来からその生存権は薄氷のものであり、社会の成員として就業することは限定的だった。


 古典的なヨーロッパ社会では障害者は社会のあらゆる階級でともに暮らしていたとされる。少なくとも中世初期にはあまり経済弱者として捕らえられていなかった。農村では激しい労働で障害を持つものも多かったが貴重な労働力だったし、宮廷においては小人症やくる病など多彩な障害を持つ人が宮廷道化師として重要な役割とある程度の名誉を得ていた。宗教的にはその障害が罪や罰と結び付けられる事もあったが、一方では癒しや殉教と結び付けられて肯定的に捉えられることもあった。救貧院など慈善事業の対象となった。

 日本でも農村社会においては不十分な労働力ながら集団の中で一緒に暮らしていたと考えられる。しかし集団が貧しければ社会的弱者から切り捨てられるのは世の東西を問わず、常であった。


 日本書紀にイザナギとイザナミから生まれた最初の子(神)である「ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)」は不具(障害があった)なので流された(捨てられた)とある。この類系の神話は世界各地にあるが、一つは死亡率のもともと高い乳幼児期を乗り越える見込みがない子供を育てる余裕、また社会の一員として働けない存在を抱える余裕が集団に無かったことの現れであると考えられる。


 障害者への対応がネガティブになったのは、ペストの流行と優生学の成立が大きく影響している。

 ハンセン病患者は中世ヨーロッパで多く見られた病気、障害を引き起こす原因だったが、アッシジのフランシスコ(1182-1226、聖フランチェスコ会の創設者)が「彼らを自らの体をイエス・キリストの姿へと昇華させた者であり、彼らはキリストの苦難を示す生きた象徴として扱われるべきだ」と主張するなど、庇護の対象であった。しかし中世後期に黒死病ペスト流行(1347〜1353年)の後は(全く因果関係がないのにもかかわらず)ハンセン病患者は疫病を広げるものとみなされ、隔離・収容政策が取られた。

 20世紀初頭にフランシス・ゴルトン(1822-1911)が創始した優生学(1904年に定義)後は「障害は好ましくないもの」と見られるようになったとされる。1907年、アメリカ・ルイジアナ州における精神障害者への強制断種、1920年代の北欧、1930年代のナチス・ドイツの人種政策に融合させる試み、日本においてもハンセン病患者の強制断種が行われた(1931年〜)。



 ただし不具・かたわ(肢体不自由)ではなく盲(視覚障害)や聾唖(聴覚障害及び発声障害)の場合は労働力の低下は限定的な場合もあり、社会の成員として存在できた。


 視覚障害者の職業として現代日本では「あんまマッサージ指圧師はり師きゅう師(鍼灸師)」を思い浮かべる方が多いが、歴史的にはシャーマンと音楽関係の職が先に成立した。

 イタコは恐山や他の東北地方北部で活動した口寄せを行う巫女である。先天的または後天的に目が見えないか弱視の女性の職業であった。目が見えない=現世は見えないことを代償として別の世界を見ることができる存在と言える。ただし口寄せは霊的感作によるとされるが、一種の心理カウンセラーの役割も果たした。

 瞽女(ごぜ)は女性の盲人芸能者で三味線と唄を弾き語りながら村々を回るのを生業とした。室町時代初期(1300年代)にはすでに存在していたとされる。同様に琵琶法師は琵琶を弾きながら説話を語る盲目の僧から転じた男性の芸能者であった。

 鍼灸は古くから伝わっていたが、徳川綱吉の時代、杉山和一(1610-1694、自らも盲人鍼灸師であり管鍼法を体系づけたことでも知られる)が盲人への鍼灸教育を体系立てて行い、盲人の職業として確立した。これはヨーロッパの盲人教育の萌芽と比較しても100年以上早いとされる。


 ヨーロッパにおいては、フランス王ルイ九世(1226−70)の時代には、視覚障害を持つ人に対してパリの路上で施しを乞う権利を例外的に認めている。

 職業教育は1784年パリ聾唖院の開設、1800年代初頭にウイーン、ベルリンなどへ、1830年代にボストン、フィラディルフィアなどへ開設されたが、手工芸的な作業指導に留まっていた。しかし一方では音楽家、宗教家、政治家、数学者、法律家など、専門的、知的職業分野に視覚障害者が活躍する数多くの事例が下地にあり、1825年にルイ・ブライユが考案した6点式点字の普及、1884年のパリ万博において按摩・鍼灸が日本で視覚障害者の職業として確立していることが紹介され、医療分野(理学療法士)の教育が開始されている。





◎ヘルヴァとヒルコ


 「歌う船」の主人公、ヘルヴァは安楽死させられる可能性のある病気であった。現代日本では重篤な障害であるが救命し得るため安楽死に結びつけられることはないが、先に述べたとおりキリスト教の社会では障害、特に外形の障害は宗教的には「罪や罰と結び付けられること」も「癒しや殉教と結び付けられて肯定的に捉えられること」もあり、ネガティブに捉えられると容易に安楽死につながる可能性があった。殻に入らなければ、宇宙船の脳としてサイボーグとして生きなければ、その生命は終わっていた。

 神産み神話のヒルコはどのような身体障害かわからないが、何らかの外形障害があったと考えられる。古事記の「葦船に乗せて流された」、日本書紀の「三歳になっても脚が立たなかったため、船に乗せて流した」、とはその場では殺さないが、死ぬことを前提に育児を放棄することである。この後、ヒルコ(蛭子神)が流れ着いたという伝説から恵比寿(戎)信仰が生まれた、とされる。が、分からない。



 1981年。ベドナムで産まれた子どもは、下半身がつながった結合双生児だった。「化け物が生まれた。川岸に連れて行って燃やしてしまえ」。親戚の言葉を投げかけられても尚、子どもは生き延び、ベトとドクと名付けられた。

 1986年、兄のベトが高熱に襲われ意識を失った。急性脳症。大量の投薬のため、結合している弟のドクにも強い副作用が現れた。ベトナムでは治療できない。報道が日本の世論を、日赤を動かし、日本へ運ばれた二人の治療が行われた。4ヶ月後、ベトの意識は低いまま、ベトナムに戻る。ベトは夜中に何度も発作を起こす。

 1988年、ベトナムで分離手術が行われる。ドクは一人で動けるようになり念願の学校にも行けたが、投薬の影響で記憶の低下が起こっていた。

 2007年、ベトは亡くなった。享年26歳、意識はついに戻らなかった。

 ドクは就業し、結婚し、二児を得た。何度も手術を繰り返し、体調も優れない。長く生きられないかも、しれない。


 SFなんだけれども、でも、殻に入れることができたら、サイボーグ技術が利用できたら、少し違う人生を歩む姿が見れたのではないか。ついつい、そう考えてしまう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「歌う船」新訳ですか! 時折思い返す小説(読み返してはない)なのですが、やっぱりインパクト有りましたよね。登場人物とかは忘れてましたが、設定の強烈さが忘れられないです。恋愛まで描かれてたのが…
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