鳥小屋
無人自動車タイプのタクシーが、品川駅から国道15号に次々と飛び出していく。
品川リニア駅の隣には、自動運転によるタクシーや小型バスが絶えまなく発着するターミナルが建設され、有象無象の人々を東京に吐き出すか、あるいは地方に送り出していた。
沢白は深浦物産を出て、リニア駅の送迎車発着エリアに車をまわした。旅行から戻ってきている小向の妻が、間もなく到着する予定だ。この後、本部で遺体を確認してもらい、聴取する手筈になっている。
ここに来るまでに、本部に連絡して、大東警備から監視カメラの映像を取り寄せるよう依頼していた。小向が言い争っていた女性の正体は、間もなくわかるだろう。
その女性について、妻にどう聞くべきか、沢白は考えあぐねていた。
小向の部下によれば、最近は家を空けることが多かった。
例えば、その女性が原因で夫婦仲が悪くなっていた可能性もある。妻の逆鱗に触れて、事情聴取が不能になる事態は避けたかった。
そんな事を考えていると、キョロキョロと首を振りながら、女性が駅から出てきた。
沢白はカーナビを操作し、小向の妻の免許証を表示する。〝小向栄子〟、〝生年月日:1995年11月7日〟とあり、写真があらわれる。
間違いない。彼女だ。
車から出て、こちらを探しているであろう女性に向かって歩き始めた。
「小向栄子さんですか」
女性が疲れ切った顔で、沢白の声に反応した。
50代前半の女性だった。パーマをあてた明るい茶髪で、大柄な体格だ。
小男の印象だった夫とは対照的だな。
「ええ。あなたは・・・」
「広域捜査庁の沢白といいます。長旅、お疲れ様でした。これから本部へご案内します」
栄子はぺこりと頭を下げた。
沢白は彼女の旅行カバンを持つと、そのまま車へ案内した。
遺体保全のため年中冷房が効いている検視室は、ひんやりと冷たかった。地下1階にあるので、当然ながら陽の光はない。
青白い照明が、検視台に横たわる小向の遺体を照らしていた。
監察医の的場遵平が、二人の到着を待っていた。
色黒の大男。だが決して太っているわけではない。身長の高い筋肉質な男だ。
59歳の年齢の割に、皺は少なく、若々しい印象を与える。
部屋に入ってしばらく、栄子は入口を動かず、無表情で検視台を見るだけだった。品川駅から本部まで、栄子はずっと上の空だった。
沢白はその様子をみて、まだ現実を認識していないのではないか、と疑った。
的場が進み出て、栄子を検視台に促す。
夫の顔を見た彼女は泣き崩れた。
ついに心の均衡が崩壊したのだろう。
「あなた・・・。あなた」
栄子は遺体に泣きすがりながら、ずっとそう呼び続けていた。
このままだと、過呼吸で倒れこむかもしれない。
そう判断した沢白は的場に視線を送り、二人で抱え込むようにして、栄子をオフィスにまで連れて行った。
広域捜査庁東京本部が建つ勝どきは、首都機能再構築計画から取り残されたエリアだった。
霞が関の空きビルを使う話が出ていたが、CCICや科学捜査部署を入れるとなると、条件に当てはまるフロアは見つからない、というのが政府の結論だった。
当時の広域捜査庁は、本部を警視庁庁舎並みの特徴あるデザインにすべく、心血を注いだ。その結果、ゴシック様式を取り入れた、地上10階、地下4階建ての庁舎が設計された。
捜査官たちは、明治期の司法省を意識していると信じて疑わなかった。
司法省もゴシック様式だったからだ。
しばらくして、黒レンガの大きな立方体が隅田川のほとりに突如現れた。
当時の警察庁長官は、これを『黒くてバカでかい鳥小屋』と罵った。
だがその罵倒は、意外にも捜査官たちに好意的に受け止められ、彼らは愛着をもって、自分たちの職場を〝鳥小屋〟と呼び始めた。
各捜査班には、部屋が一つ割り当てられる。
沢白班のオフィスは2階にあった。オフィスは、入ってすぐフロアを下る階段があり、メゾネットタイプになっている。
階段の真下にはモニター付きホログラムテーブルが置かれ、それを囲むようにデスクが三つある。
ホログラムテーブルは二十年前のホワイトボードに相当する。
捜査官らが聞き込みの結果などを、各自の端末から転送し、内蔵されているAIがそれらを分類、投影してくれる装置だった。
ホログラムテーブル前方の〝特等席〟が、沢白のデスクだ。その右手は、蓮井のテリトリー。
左方のデスクは、二人が組んで以来空席のままだ。
そろそろ空席を埋めろ、と上司から急かされているが、ずっと保留にしている。
蓮井とのチームワークは良い。
考えが顔に出やすいのが玉に瑕だが、実務面はそれなりに優秀だし、何より捜査官という仕事に真摯に取り組んでいる。
増やすにしても、自分たちのチームワークに馴染める捜査官でなければ務まらないだろう。
沢白はそう考えて、増員案に渋い顔をしていた。
柱は白、壁はアンティークグリーンで統一された室内は、ともすれば上品なカフェのような雰囲気を作っている。
隅田川寄りの壁はガラス一面になっており、検視室とは比較にならないほど陽当たりは良い。
沢白と的場は空いているデスクに栄子を座らせる。
沢白はそのままオフィスの奥にあるウォーターサーバーから水を注いできて、栄子に渡した。
「大丈夫ですか」
栄子を心配そうに観察しながら、的場が声をかけた。
沢白が見るところ、地下にいるときより若干顔色はよさそうだった。陽当たりの加減もあるかもしれないが。
それに、呼吸も落ち着いてきている。
「え、ええ。先ほどよりは」
か細い声で答える栄子。
「大変申し訳ないのですが、ご主人についていくつか質問させていただいてもよろしいですか」
気遣いながらも、相手に反論を許さない口調で沢白は迫った。
「はい。もちろんです」
「ご主人が亡くなる前ですが、何か変わったことはありませんでしたか?」
「ここ最近はずっと無口でしたね。
後は、今回の旅行については、何も小言を言われませんでした。いつもは言われるんですが、気を付けて行って来い、の一言で終わりました」
「旅行の話はいつ頃ご主人にされましたか?」
「確か、2週間ほど前でした」
先入観を与えないよう、質問にはあえて〝2週間〟というキーワードを出さなかった。だが、予想通りの回答が返って来る。
沢白は眉を掻きながら、次の質問に移った。
「先ほど旅行に行く時はご主人から小言を言われるとおっしゃいましたが、ご主人はお金の管理が厳しかったですか」
「ええ、そうですね。仕事柄、お金については厳しく管理していましたね。
私はかなり遣ってしまう方なので、よく口論になってしまうこともありましたが・・・」
言いながら、栄子は沢白を睨んだ。
「まさか、だからといって、私が主人を・・・」
「いえいえ、とんでもない。ところで、『日本のシステムを考える会』について、ご主人から何か話を聞いたことはありますか」
「あぁ、主人が参加していた勉強会ですね。最初は興味本位だったみたいですけど、どんどんのめりこんでいましたね。家でもずっと調べ物をしてました」
「いったいどんな勉強会なのでしょうか」
「お前には分からないだろう、というスタンスで、あまり話はしてくれなかったんですけど、たまに話に出てくる内容だと分権移行について皆で話し合おう、という会のようでした」
ようやく、件の勉強会について知ることができた。
「なるほど。ありがとうございました。
ちなみに、これが最後の質問です。大変ぶしつけなのですが、ご主人は女性関係で何か問題はありませんでしたか」
すると、栄子はこの日初めて笑顔を見せた。
「ふふっ。妻の私が言うことじゃありませんがね、あの人は全然モテませんでした。
冴えない見た目に、ドがつくほどのケチ。そういうトラブルとは無縁でしたわ」
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