転生の章 沙羅双樹
「──ばんっっ‼︎」
︎
爺やが手渡してきた火縄銃には、弾も火薬も込められてない、空の銃身だった。
引き金を引くと同時に、儂は大声で銃声を真似て見せた……だけ、なのだが。
「ひぎゃああああああああへえええええええ⁉」
とんでもない奇声を発してその場で跳び上がった侯爵は。
そのまま着地出来ずに、無様に床に転がってしまう。
口から泡をぶくぶくと吐き、股間には何やら漏らしたのか、染みらしきものまで作り。
侯爵は白目を剥いて、すっかり気を失っていた。
「お、お父さ……ゔっ、っ⁉︎」
大の字に倒れた父親である侯爵に、心配そうに駆け寄る小娘だったが。
股間から滲み出た液体を見て、あからさまに顔をしかめ。生理的嫌悪感からか、距離を空けようとする。
「ぷ、っ!……く、く、くくくっ」
その様子を見ていた儂は、我慢し切れずに小馬鹿にした笑い声を漏らしてしまう。
(おやおや、気の毒な事だ。その男は、娘可愛さに儂らを断罪出来なかったというに)
だが、情けの類いをかけるつもりは毛頭ない。
というのも、こちらが用意した書状に名を記す人間が。侯爵が気を失っているため、残っているのは小娘ただ一人だったためだ。
……もっとも、書状に記してある和睦の条件とは、明らかに男爵側が有利なものなのだが。
儂は、世話役の一人に命じる。
「のう」
「ひぃっ⁉︎」
指を鳴らす合図と同時に、小娘の頭に火縄銃の筒口を押し付ける世話役の男。
カタカタ、と恐怖で歯を鳴らしながら、儂に今にも泣きそうな顔を向ける小娘に対し。
儂は、顔を隠していた黒装束を指で捲り、男爵令嬢シノアとしての顔を晒してみせた。
「──あ、貴女は貧乏男爵のっ?」
「なんじゃ……まさか、本当に気付いておらなんだか、鈍感な上に、頭の回らぬ小娘じゃて」
呆れるしかなかった。
あれだけ侯爵との会話で、我が屋号であるアリソン男爵家の名前を出していたはずなのに。
どうやら儂の正体が、自分が散々虐げていた相手だと、顔を見てようやく勘付くくらいだったのだから。
「そういえば、お主の小五月蝿い取り巻きの娘どもは、しっかり火の中で燃えておるのかのお、くっくっく!」
「な、なんですってえ?」
儂の言葉に驚きながらも、半信半疑で窓から外を覗いてみせた小娘。
ちょうど、先程の自分の父親と同じように。
「な、なっ?……あ、あの方角は、確かロナとエナの子爵家の屋敷がある辺りっ!」
そして、驚き方も瓜二つ。
間違いなく、この二人は血の繋がった親子だ。
「さて──」
呆然と、漆黒の夜空を真っ赤に照らすほどに赤々と燃え上がるデイドリヒ子爵家の方角を向いていた小娘の後頭部に。
横にいた世話役が、再び火縄銃の筒口をゴリッと押し付ける。
「この娘の無念を晴らす大義の元、今、この場でお主を撃ち殺してしまっても良い」
人を虐げれば、いずれ相応の報いをうける。
それは儂が、戦国の世に生きていた時に散々苦い思いをした、言わば教訓でもある。
(……思えば、この娘に取り憑く前のあの日、本能寺で光秀に謀反を起こされたように、な)
儂の方針に真っ向から反対意見を言うようになった配下の武将・明智光秀。度々、衝突する意見に腹を立てた儂は。
苛立ちをぶつける目的で、わざと人の目が集まる中で、笑いながら虐げてやった結果が。
本能寺での謀反という最悪の形で、儂の人生五十年を炎と散らせてくれたのだから。
「そう。良いと思うのじゃ──が」
「の……じゃ、が……?」
この場で激情に任せて、侯爵と小娘の二人を撃ち殺し、屋敷に火を着けて脱出……という案も、最初は儂の頭を過ぎったが。
それではまた、この地でも報復の連鎖が続くことだろう。
(ぶっちゃけ、儂はもうあんな戦に次ぐ戦なぞ……御免被りたいわい!)
デイドリヒ子爵の屋敷に火を放ったのは確かに儂の手の者じゃが。屋敷にいた人間を出来る限り逃がすよう命じてもある。
実際、子爵の屋敷からは。念のために持たせておいた数丁の火縄銃の発射音は確認出来ていない。
この場はあくまで穏便に。
「父親の代わりに、代筆でこの書状に名前をいただければ良いだけじゃ」
「そ、そ……そうすれば、生命を助けてくれる、と?」
小娘は震える手でこちらが用意した筆記用具を握り、書状にマールブルグ侯爵家の名前を書こうとするも。
書状の内容が内容なだけに、躊躇で筆が紙に触れてから全く動かない。
「う……う、うう……っ、ぅぅぅっ……」
筆をぷるぷると震わせながら、頻りに儂の顔色を窺う小娘の様子から。
おそらく小娘は今、書状に名前を記すかどうかで迷っているのではなく。
儂の命令一つで、いつでも生命が奪われてしまう、という。高い身分の人間が滅多に遭遇しない状況から、いち早く、しかも確実に脱したいのだろう。
だから儂は、迷える小娘へ最後の一押しをしてやるため。困惑のあまり顔をくしゃくしゃにした小娘の真横へと立つと。
女の耳元で、こう囁いてみせた。
「儂は出来た性格をしているからのう。書状にまでしてやったくらいじゃ、約束は絶対に守るぞ」
「ほ……本当……ですか?」
その時の小娘の表情は、下の立場と虐げ、踏み躙ってきた娘へ向ける強気の顔とはまるで別人の。拠り所を無くし、何者かに縋りたい、今にも泣きそうな弱々しい顔が。
儂の声に安らぎを見出したのか、口元が笑みを浮かべているような、そんな哀れな表情であった。
(くっくっく……他愛ない、堕ちた、わ)
気絶していた侯爵に代わり、マールブルグ侯爵家の名を書状に記したのを確認した儂は。
「うむ、良かろう」
確かな証拠を貰った以上、侯爵邸に用はない。
勝利の証たる書状を黒装束の懐に納め、儂は小娘を解放した。
「で、では……これで、お父様と私の生命はっ?」
「約束じゃ、見逃してやる。屋敷にも火は放たん」
「よ……よかった、ですわぁぁぁぁぁ……」
窮地から生命が助かった、という安堵からか床に座り込んだ体勢のまま。後ろへとひっくり返ってしまう小娘。
見れば、胸の前で両手を組んで、父親と同様に気を失ってしまっていた。
もっとも、書状に名前さえ貰えれば、侯爵と小娘には何の用事もない。
「よし、爺や。それに皆の者。貰うモノはしかと貰ったことだ……儂らも帰るとしようか、我らが屋敷へ」
「「は、はいっ、お嬢様っ!」」
こうして、侯爵家への奇襲は見事に成功し。
街の中心部から警備の兵隊どもが駆け付けるより前に、何とか儂ら全員はアリソン男爵家に帰還することが出来た。
勝利条件に、侯爵の名を記した書状を持って。
◇
後日。
アリソン男爵家、屋敷において。
「ど、どういう事だっシノア? こ、この大金はっっ!」
我が屋敷を訪れたマールブルグ侯爵家の使者が置いていった大量の金貨に、驚きの声を上げるアリソン男爵。
そりゃそうだ。突然出された侯爵からの廃爵命令が取り消された上に、お詫びという名目で三〇〇〇枚もの多額の金貨が積み上げられていたのだから。
男爵家が抱えた様々な負債など、全額を返済したとしても金貨三〇〇枚程。まだ二〇〇〇枚以上も手元に残る。
「ふむふむ……上出来、上出来よ。まずこの金貨で鉄砲隊を揃えるとするかのう、くっくっく」
まるで桶狭間を思わせる、今回の奇襲攻撃で使った火縄銃は十丁程。
鍛冶屋に金貨を積んで、いずれは数百、いや数千の銃を量産しておけば。今後、アリソン男爵家が粗末に扱われることはないだろう。
それだけの武力を有しているなら、領地を持つどこぞの貴族を攻め落としても良いのだが。
「おっと、いけない、いけない」
つい攻撃的になってしまった思考を首を振って、一度頭から振り払い。侯爵からありがたく貰い受けた金貨の、平和的な使い道を考え直していく。
そうだ。
儂はもう戦国の世を統一しようとした織田信長なる人物ではない。
伴天連から聞いたかもしれぬ異国の地で生きる、男爵令嬢シノアという一〇歳の、大人しくか弱き娘なのだ。
(あくまで大人しく、平穏に、生きたいのじゃ)
儂、織田信長の人生は五十年で終わりを迎えたが。
私はさらに五十年。
いや……もっと先を生きてやろうぞ!
【完】
ここまで作品を読んでいただき、まずは感謝です。
最早、ラノベや漫画ではフリー素材と化した「織田信長」なる偉人を勝手にアレンジした挙句、令嬢に転生させてみたのですが。
先に言ったように、既に織田信長を扱った有名な作品が数ある中で。いずれかの作品に登場する信長像に寄せないまま、かつ、読者の信長のイメージを壊さない落とし所が表現出来ていれば幸いです。
小説家になろう、で作品を書き始めて今年で四年目となる灰ちゃですが。
処女作品となる「黒剣のアズリア」はまだ現在進行形ですので。この作品が気に入って貰えたならば、そちらも是非。