必滅の章 魔王覚醒
「き、貴様らっ、顔を隠したところで、正体がわかれば、当人だけでなく家族も処刑してやるからなっ!」
「……と、いい加減、この縄を解かないと。お父様がお怒りになりますわよっ! いいんですの?」
侯爵も小娘も、生け捕りにされた状態だというのに。命乞いをするどころか、勝者である我らに向かって、罵詈雑言を並べ立てる始末。
どうやら二人とも、状況を全く飲み込めていないようなので。
「爺や、銃を貸せ」
儂は、爺やから受け取った火縄銃を侯爵に向けて構えると。筒口を侯爵の足元の床へと下げて、引き金を引く。
ズドン‼︎
「──ひいィっ⁉︎」
「少し……黙れ」
盛大な爆発音とともに。発射された鉄球が、侯爵の足元の床に拳大の大きな穴を空けると。
先程まで大声で不満を口にしていた侯爵が、悲鳴を漏らした直後から何も言わなくなる。代わりに、怒りで顔を真っ赤にしてはいたが。
「しかし……のう」
爺やや父親の話では、マールブルグ侯爵はこの辺り一帯の領地を一手に治める権力者だと聞いていたから。どれほど精悍な顔つき、体格をし、どれほど豪胆な性格をしているのかと期待したが。
目の前にて顔を真っ赤にしながら、火縄銃に恐怖し口を閉ざした人物の外観と言うと。
「侯爵とは、まるで豚のようじゃのう」
「……な? ぶ、豚……だとおぉぉ?」
でっぷりと太った腹に、短い足。太いのは腹だけでなく頬にまで余分な肉が付いており。それだけでも「豚」呼ばわりするには充分な特徴だったりする。
だが、どうも豚と呼ばれるのが不満な様子の侯爵なので、別の呼び名を儂は考えてやった。
「それが不服なら、蝦蟇蛙というのはどうじゃ?」
「が……がま、が……は? な、なんだとぉぉお⁉︎」
「ほう。それも嫌がるとは、何とも侯爵殿は欲張りでいかんなあ」
儂との冗談めいた会話のやり取りに、今にも飛び掛かってきそうなくらい怒り心頭の表情を浮かべた侯爵だったが。
「ぷ、ぷぷっ……」
何と、親族である小娘までが、笑いを堪えきれずに、笑い声を漏らしてしまっていた。
(くっくく、実の娘にまで「豚」と笑われるとは、何とも気の毒な事じゃのう。これで侯爵の自尊心はズタズタの筈じゃて)
──さて。
あまり時間を掛けると、侯爵の屋敷の異変に気付き、外部の援軍が集まってくる可能性があるため。
まずは目的を迅速に済ませてしまうことにした。
「聞こうか侯爵とやら。何故に、アリソン男爵家を取り潰そうと画策した? 隣の小娘の入れ知恵か……なら」
先程、床に穴を空けた火縄銃を。弾を装填してある新しい銃へと交換した後。
儂は銃の筒口を、先程まで父親の外観を笑っていた小娘へと向けた。
「あ、あなたっ……そ、そんな物騒なモノをこっちに向けて、な……何をなさるつもりですのっ?」
「これは妙な事を言う、遊女。武器を向けたら何をするか、決まっておるではないか」
「ひ、ひいぃっ⁉︎……ひ、ぃぃぃ……や、やぁっっっ!」
冗談などではなく、儂が本気で撃とうとしているのを悟ったからか。
悲鳴を上げた小娘は、一気に顔色を青ざめ、恐怖の表情を浮かべながら。筒口から少しでも遠ざかろうと尻を床に引きずりながら逃げようとしたが。
(……まあ、その程度の距離、意味のない事だ)
儂の指が、引き金を引こうとしたその時。
「──ま、待ってくれっっ!」
「お、お父様ぁぁぁぁ……」
侯爵の「待った」がかかり、儂は小娘に向けていた火縄銃の筒口を、一旦下ろす。
事なきを得たことに安堵したのか、侯爵は息を吐いて胸を撫で下ろし。一方で小娘はというと、両目からぼろぼろと大粒の涙を流し始める。
その後。
マールブルグ侯爵の口から説明されたのは。
「聞きたいのは、何故……アリソン男爵家を狙ったのか、だったな」
「うむ」
アリソン男爵家を廃爵するところから、何故に元の身体である娘が目の前で泣き崩れている小娘に、不条理なほどに虐げられていた経緯であった。
親子揃って、我が家を目の敵にしていた理由、それは。
「あの男……アリソン男爵はな。この俺がずぅっっと狙いをつけていた美人の令嬢と、結婚しやがったんだっ!」
聞いてみれば何の事はない。
それは、好いた女を射止める事の出来なかった、哀れな男の負け犬の遠吠えと、嫉妬が発端だったのだ。
「明らかに、身分の高い俺には目も暮れずっ! 男爵風情を選びやがってっっ!」
「……わかった、もうよい」
聞いた最初は、悪い冗談かと頭がクラクラとしたが。
吐き捨てるように男爵の悪口を連々と並べる侯爵の顔は、まさに真剣そのもの。それが、この話が真実なのだという紛れもない証明だった。
(これ以上、話を聞いてると、儂の怒りの火が萎えて消えてしまいそうになるわ……)
侯爵の止まらぬ罵詈雑言を手で制した儂は。懐から、予め認めておいた書状を取り出し。
侯爵の目の前に書状の文字が見えるよう広げていくと。
「ここで死にたくないのなら、書状に並べた内容……それを全て飲んで貰おうか」
「な……んだ、と? こ、こっ……これはっ……」
侯爵に飲んでもらう条件は、次の通りだ。
一、マールブルグ侯爵家はアリソン男爵家に今後一切の手出しをしないこと
一、今回の賠償金として、金貨三〇〇〇枚をアリソン男爵家に支払うこと
一、今回の襲撃は、他言無用のこと
「ば、馬鹿なっ! 金貨、さ、三〇〇〇枚だとおっ?……そんな大金っ──」
「いや、ビタ一文たりとも減額せんぞ」
何しろ、この世界では最新式となる火縄銃を十丁揃えただけで。男爵家の金庫はすっからかんとなっていたからだ。
侯爵から金をせしめなければ、廃の危機を免れたとしても、早晩家は潰れてしまう。
「お、お父様ぁぁ……ど、どうするのですかっ?」
「う、うむっ……」
周囲にいる世話人や爺やが向けた火縄銃に恐れをなしたのか。
侯爵は首を項垂る素振りを、いかにもわざとらしく見せると。
「わ、わかった。悔しいが、俺とて自分の生命は惜しい。ここは一つ、この書状の条件を全て……飲もう」
侯爵の返答に、爺やだけでなく世話人らも歓声を上げて「勝利した」と勘違いするが。
儂は、侯爵の言葉の端々から匂う、こちらへの消えない敵意を嗅ぎ取っていた。
(……まあ、書状の条件を破ったところで侯爵に不利益はない。空返事をしてでも、この場を凌ごうとするじゃろうな)
残念ながら、侯爵とやらの立場は儂や男爵より遥かに格上。格下が格上を罰する、など荒唐無稽な話となる。
何故なら「罰する」というのは格上にのみ許される権利だから。
つまりは、侯爵が条件を横紙破りしたところで。儂は侯爵を罰することは出来ない……という理屈だ。
きっと今、侯爵の俯く顔には、こちらを小馬鹿にした笑いが浮かんでいるだろうが。
侯爵が考そうな小賢しい発想を予想だにせず、戦に挑む儂ではない。
(そんな浅慮な考えなど、とうに読んでおるわ)
「……のう。時に、侯爵よ。窓の外を覗いてみるがよい」
「ん?」
心の中で舌を出しているであろう侯爵に、儂はおよその方角、部屋の窓の外を指差していく。
拘束され自由を奪われていたため、窓の外を見れなかった侯爵を。世話人が両脇から抱えて立たせ、窓の近くへと歩かせていった。
そんな侯爵の視線の先に映ったのは。
「あ、アレは……火? 何かが燃えているのか?」
「おお、正解だ。ちなみに火が上がっているのは……侯爵がよく知っている建物だぞ」
「あの方向……ま、まさかっ! 燃えてるのは、デイドリヒ子爵の屋敷かっ⁉︎」
血相を変え、「デイドリヒ子爵」なる名前を口にする侯爵。
デイドリヒ子爵とやら、というのは。
目の前にいるマールブルグ侯爵と友好関係にある貴族らの中でも、最も懇意にしている一人であり。
側ですっかり腰を抜かしている小娘と一緒に、儂が取り憑く前の娘を酷く虐げていた小娘二人の家でもある。
(と……いうのは。爺やから聞いておいた情報なのじゃがな)
今、儂の周囲に控えた世話人らとは違い、集めた人員の半数、比較的に火縄銃の扱いに慣れた連中には。
儂に追従せずに子爵の屋敷を急襲させ、火を放つように指示を予め下しておいた。
「ま、まさかっ……こ、ここまで、やるか?」
親交の深い子爵の屋敷から上がる火の手を眺めながら、脚をガクガクと震わせていた侯爵。
「──さて、侯爵よ。あの火を見て、まだこの場を凌げばどうにかなる、などと。間違えた結論を出すわけではあるまい……のぅ?」
耳元に口を寄せて、そう侯爵に告げた儂は。
爺やから手渡された火縄銃の筒口を、侯爵の顳顬に突き付けていく。
「何なら、この場でお主には死んでもらい。あの小娘に跡を継いでもらうのも、アリかもしれんなあ?」
「や、やめ……や、めっ……?」
だが、制止を懇願する侯爵には耳も貸さず、儂は銃の引き金を躊躇いもなく──引いた。