夢幻の章 長篠再来
◇
マールブルグ侯爵家の屋敷の前。
儂は入口をちょうど見渡せる路地の裏に身を潜めている。
「は、はわわ、お、お嬢様っ……門番の騎士がっ」
「まあ、門番くらいはいるじゃろうな」
同行していた爺やの言う通り、立派な入口の前には屈強そうな門番が二人、槍を構えて周囲を見張っていた。
まともに戦えば、貧相な今の儂や爺や、それに儂の背後に控えた世話人らの身体など、一突きで御陀仏じゃが。
「なぁに。心配せずともよい、爺や。こちらには……この、火縄銃があるではないか」
「は……はぁ……」
どうやらこの世界にも火縄銃に似た武器はあるものの、爺やはまだ実物を見たことがない様子だった。
(面白い。実に……面白きかな)
信長だった頃に、戦国の世の戦術を一変させた、火縄銃の威力をその目に焼き付けるがよい。
儂はニヤリ……と鮫のように冷酷に笑い、構えた火縄銃の銃口を。異変なし、と油断していた門番の頭へと向け、片目を瞑り狙いを定めると。
「あ・た・れえぇぇぇっっ!」
引き金を引いたと同時に、火口に乗せた種火が火薬へと引火し、轟音と共に筒口が火と白煙を吹き。
爆発的な速度で飛び出た鉄球が、一直線に門番の騎士の頭に命中すると。
ぐしゃり、とまるで熟れた果実が地面に落ちて潰れたように。頭から血飛沫をあげ、地面へと倒れる騎士の身体。
「な、何者だあっっっ⁉︎」
そりゃ……あれだけ大きな爆音が鳴り響いたのだ。馬鹿でもこちらの位置に気付くのは道理じゃ。
だが突然、すぐ隣にいた仲間の頭が吹き飛んだのだ。何をされたのかが分からず、恐れを為して動きが躊躇するのも、また道理。
その隙が決定的に、致命的なのだ。
火縄銃の欠点の一つに、次弾の装填に時間が掛かる事が挙げられる。それを克服するため、儂は前もって弾を込めた銃を複数、同行させた爺やに持たせていた。
(くく、長篠の戦を思い出すのう)
長篠の戦い、と呼ばれた戦の時もまた。弾込めに時間が掛かる火縄銃を、三人で順番に攻撃することで弱点を克服したのだ。
早速、儂は。次の火縄銃を手渡せ、と隣にいた爺やに合図を出す。
「爺や! 次の銃を渡せっ!」
「…………」
だが、一向に儂の手に銃が手渡されない。
見れば、爺やの顔はまるで魂が抜け落ちたように呆けていた。
しかも爺やだけではない、後ろにいた世話人の連中も一緒に固まってしまっていた。
(し、しまった!……そう言えば、爺やは火縄銃を見るのは初めてだった……っ)
ここは気付けのために、爺やの頬を一発殴ってやろうと思いはしたが。
騎士に接敵されては一巻の終わりだ。
「ええい、貸せぇ!」
儂はその場で棒立ちになっていた爺やの手から、用意してあった火縄銃を強引に奪い取ると。
こちらに向けてとりあえず槍を構えていた騎士の頭目掛けて、もう一度引き金を引いた。
「第二射で……終わりじゃ!」
爆音と白煙、そして頭から血飛沫。
先程と全く同じ結果となり、門番を沈黙させる。
「ふぅ……やれやれ、何とか上手くいったわい」
火縄銃の爆音を聞いて、敵兵が入口へと集結しないかが不安ではあったが。どうやら相手はアリソン男爵家を弱小貴族と侮っているようで。
戦の準備をまるで整えていない様子だった。
(ふふん、この国の貴族とやらは、余程頭が平和ボケしていると見えるわ)
儂はいまだ呆けていた爺やを我に返すため、頬に一発、平手打ちを浴びせていく。
「ほれ、いつまでそこに突っ立ってるつもりじゃ? 時が惜しい。先を急ぐぞ、爺や!」
「はっ? は、はいっ、シノアお嬢様っ?」
こうして同行させる爺やには、空になった二丁の火縄銃の弾と火薬を補填させ。
儂は三丁目の銃を爺やから受け取ると。
「──開けえぇっっ!」
外からの侵入を防ぐ鉄柵状の門扉、その錠前の部分を寸分の違いなく撃ち抜いていく。
(うむ、さすがは火縄銃よ。儂が小娘の身体になっても、その殺傷力、使い勝手、少しも変わらんわ……くっくっく)
鍵の壊れた入口の扉を蹴飛ばし、マールブルグ侯爵邸の内側への侵入に成功した儂と爺や、そして数人の世話人ら。
だが、さすがに偉い貴族の屋敷の見取り図までは短い時間の中で入手することは出来ず。一体、どこにマールブルグ侯爵とやらと、あの遊女がいるのか見当もつかぬ。
「ど、ど……どうしましょうお嬢様っ?」
焦りだす爺や、無理もない。
この夜襲は、時間との戦いでもあるのだ。
目標を探すのに手間取れば、屋敷の外へ逃走を許してしまうし。そうでなくても、異変に気付いた何者かが救援を呼び寄せるのはほぼ確実。
それまでに、侯爵とエクレールとかいう遊女の身柄は押さえる必要がある。
──ならば。
「全員、そこから見える一番高い窓を狙い、火縄銃を放てっ!」
「え、お、シノアお嬢様? そ、それはどういう──」
「説明は後じゃ、時間が惜しいっ……構えっ!」
「「は、はいっっ‼︎」」
儂の命令通り、この場にいた全員が持たせた火縄銃を空に向けて構え。
「射てえぇっっ!」
号令と同時に、鳴り響く複数の爆音。
筒口から飛び出した鉄球は、二階や三階の窓に張られた硝子を粉々に砕き割っていく。
「よしよし、上手くいったぞ。それでは全員、屋敷に突入する前に弾を込めよ」
「あ、あのぉ……」
満足げに頷く儂の横で、爺やが窓を撃ち抜いた説明が欲しそうな顔をしていたので。
出来る儂は、手早く今回の射撃の意図を語り聞かせてやることにした。
「ああ、アレはのぅ。動けぬようにするためじゃ」
「???」
(……まあ、理解出来ないのも無理はないか)
おそらくこの場にいる連中は。寝ている最中に寝室に矢が飛び込んでくる経験などした事はあるまい。
大概の権力者は臆病で、何よりも自分の生命が惜しいと相場が決まっておる。部屋に自分の生命を狙う射撃が飛んできたとなれば、勇気ある者ならば屋敷から即座に逃げ出す選択を取るだろう……だが。
臆病な者ほど、恐怖で脚がすくみ動けぬようになるのが道理。ましてや侯爵だけでなく、灰を顔に投げられ逃げ出しておきながら、親の権力に縋る娘までいるのなら、尚更の事。
先程の一斉射撃は侯爵らを屋敷の中に留めるための意図があった、というわけだ。
──案の定。
「うおおお? 離せっ、この私を誰だと知ってこんな暴挙に出ているのかっ!」
屋敷に突入し、数刻も経たぬ内に
。屋敷の二階と三階を調べに行かせていた世話人らが、寝室で腰を抜かして座り込んでいたマールブルグ侯爵と。
「は、離しなさいなっ! わ、私を、高貴な身分の私に、お前らのような下賤な者が触れてよいと思っているんですのっ!」
学校とやらで、儂に威勢の良い台詞を吐いた、エクレールとかいう侯爵の娘も一緒に生け捕りにする事が出来た。