下天の章 万物流転
その後、いくつか寄り道をして屋敷に帰ると。
世話役でもある爺や(名前は知らぬ)が、儂の顔を見るなり、血相を変えて駆け寄ってきたのだ。
「し、シノアお嬢様っ、大変ですっ、大変ですぞおおおおお!」
「ええい、五月蝿いわ、爺!」
儂は耳障りな爺やの額を、持っていた扇子でピシャリと叩いて黙らせる。
「まずは順を追って説明せい!……コホン、い、いや、説明して爺や」
「? は、はい、お嬢様」
危ない、危ない。
油断をすると生前の信長だった頃の口癖がつい、出てしまう。それに、世話役の爺やの顔を見てると何となく……平手の爺を思い出してしまう。
平手の爺──本名は平手政秀といい、この儂、つまり織田信長がまだ若い頃に世話役だったが。素行の悪さを嘆き、儂を諌めるために自害したのだ。
素行の悪さは、全て戦国の世を生き抜くための布石だったのだが。ついに平手の爺には理解してもらえなかった。
信長の頃の口癖が思わず漏れてしまうのも。今の儂の世話役であるこの爺やの顔や雰囲気が、どことなく平手の爺に似ているからかもしれない。
まあ、それはそれとして、だ。
何故に爺やが慌てふためいているのか、その理由に、まずは耳を傾けることにした。
「そ、それがっ、マールブルク侯爵家から、突然我が男爵家の爵位を剥奪する旨の手紙がっ!」
「……まーる、ぶるく家?」
爺やが言っているのは、要は我が家の貴族という地位を取り上げる、つまりアリソン男爵家を取り潰そうという事だ。
しかも爺やの言う「マールブルク侯爵家」という名前を、儂は何処ぞで見た覚えがあった。
──確か。
(うむ。儂が取り憑いた身体の持ち主の娘が、日頃の恨みを書き記していた日記に、そんな名前があったような……)
学校とやらで娘を虐げ。儂がつい先程、その顔に灰をぶつけてやったあの遊女同然の格好をした小娘たち。
その一人の名前が、マールブルクといったか。
つまり、あの小娘は。
儂に灰を投げ付けられた腹いせに、親の権力を使って。儂だけでなくアリソン男爵家そのものに報復してきたのだ。
「はっ、面白い、面白いのう……小娘ごときが」
「へ……へっ? お、お嬢、さ、ま?」
「この儂に合戦を挑むとは、余程、生命を捨てたいと見える」
領地を治める戦国大名に、家を取り潰されれば。大の男どもですら指を噛んで命令に従う他ない。力のない小娘ならば尚更だったろう。
だが、儂は違うぞ。
こんな日が来る事を想定し、様々な準備を父親であるアリソン男爵に内密に行っていたのだ。
(娘の日記を読んだ時、もしやと思い色々と悪巧みをしておいたが。まさか、すぐに出番がくるのは……のう、くっくっく)
幸か不幸か、父親であるアリソン男爵とやらは病に臥せっており。母親は既に他界しているという。
だから、悪巧みの相談は。全て目の前にいる爺やと一緒に手配しておいたのだ。
「……くっくっく」
「お、お嬢様っ、顔が……その、怖うございます」
「何、気にするな。アレを使うのが、愉しくてな」
「ま、まさかっ、アレを⁉︎」
「そうだ。直ぐに使うぞ、爺や!」
爺やに指摘されてもなお、儂は笑みが止まらなかった。
まさか敵側から動いた挙げ句。その動きと時間の猶予をわざわざ教えてくれるという間抜けぶりと。
信長だった頃に大活躍した、この儂の代名詞ともいえる代物を。お披露目出来る機会がこんなに早く訪れたことに。
◇
その夜。
いつも着ていた貧相な礼装服を脱いだ儂は、全身を黒装束に身を包み、顔まで黒い頭巾で覆い隠していた。
同行させる爺やにも、同じ格好をさせて。
「さて、準備は万全。では攻め入るとするか」
「え? お、お嬢様……攻め入る、とは?」
今さらそんな格好をしているにもかかわらず、儂にこれから何をするのかを聞いてくる爺や。
だから儂は、嬉々として爺やの質問に答えてやる事にした。そう、包み隠さずに。
「決まってるだろう。侯爵の家に突撃し、先程の手紙の内容を取り下げて貰う。直接、侯爵とやらの口で、な」
爺やに頼み、屋敷に残っていた他の世話役や女子らにも同じ格好をさせ。こちらが用意した武器を手渡していく。
「これは……火縄銃、ですか?」
「うむ、少しばかり違うがな。まあ、同じような武器だと思ってくれてよい」
さすがは南蛮。信長の頃に主力として重用していた火縄銃の原型が、この国でも使われていた。
そう、儂が予め準備していた「悪巧み」とは。腕の良い鍛冶屋を見つけ出し、火縄銃を複数造らせることだった。
こうして今日までに密かに用意した、合計十丁の火縄銃だったが。
「ですが……この火縄銃は? 私が知ってる物とは、少し違うのですが……」
「ふむ、そこに気が付くとは。なかなか見所があるな、お主」
その通り。
今、儂がいるこの「しるばにあ」とかいう国にも銃がある、とは言ったが。この国で使われていた銃は、儂の知る火縄銃よりも数段劣っておったのだ。
まず、弾込めに時間が掛かりすぎる。
それに、威力も射程もまるで低い。
極めつけは、二、三発も連続で射撃すると筒が熱で曲がり、使い物にならなくなる代物であった。
だから、この国の鍛治師の連中どもに。儂が信長だった頃に慣れ親しんできた火縄銃の、大凡の構造を説いてやった。
鍛治師でもないのに、火縄銃の構造を何故、説明出来るのかと問われれば。火縄銃を実戦で使えるまでに改良したのは、儂が初めてだったからだ。
(火縄銃を実戦で使い物にするのに、儂がどれだけ苦労したことか……っ)
鍛治師どもは喜び勇み、儂の悪巧みに無償で協力する旨を取り付けたのだ。
「……と、いうわけじゃ」
「ほへえ、そいつはすげぇ」
儂の説明を聞いた黒装束を着た連中は、ポカンとしながらも何度もこくんこくんと首を振る。
まあ、すぐに理解しろというほうが無理という話だ。
「ま、まあよい。知っておくべきは、その銃はお前たちの知る銃とは似て否なる武器ということだ」
それでは、向かうとしよう。
二つめの我が家を、守る戦へと、のう。