転生の章 夢幻泡影
「下がれ──下郎どもがっ!」
その台詞とともに。
目の前に群がり、喧しく騒いでいた三人の少女らに投げつけられた一握りの灰。
どうも運悪く彼女らの顔に撒いたはずの灰が目に入ったらしく、一時は大騒ぎとなった目の前の光景。
「ひぃぃぃっ、目がっ、目があっっ?」
「お、覚えてなさいませ、貧乏男爵風情がっ!」
大袈裟に喚き散らす、華美な礼装服を着た小娘ら数人は。よほど、顔に灰をぶつけられたのが効いたのだろうか。
灰を投げた人物へと捨て台詞を吐き捨てながら、一目散にこの場を立ち去っていく。
「ふぅ……調子に乗った連中を、この程度で済ませるとは……儂もだいぶ丸くなったものよな」
年季の入った言葉遣いをした、騒ぎの張本人とは。その口調が全く似合わない、まだ年端もいかぬ弱冠十二歳の。新緑の髪を三つ編みに結った、年齢より華奢で小柄な身体付きの少女の姿だった。
緑髪の少女の名は、アリソン男爵令嬢シノア。
肩書きだけは「男爵」という、貴族を名乗ってはいたものの。治める領地も配下もなく、手元にはオンボロ屋敷のみ……という。貧乏貴族の一人娘。
──またの名を、織田信長という。
◇
民衆からは「第六天魔王」などと呼ばれ、逆らう敵は容赦せずに滅ぼしてきたのが、儂こと織田信長じゃ。
苛烈な手腕で、戦国大名どもが跋扈した日本を、あと一歩で統一出来るところまでは。順風満帆に進んでいた……なのに。
まさか、本能寺で桔梗の旗印に囲まれ、建物に火を放たれた時は。さすがの儂であっても「儂、死んだ」と覚悟したが。
まさか、このような小娘と身体が入れ替わるとは。
思ってもみなかった事態に、初めは戸惑い、何度も「信じられぬ、夢か」と頬をつねってみせたが。
どうやら紛れもなく、本当に起きている事らしい。
しかも儂が取り憑いた小娘がいる場所は、日本でもないというのだから開いた口が塞がらない。
今いる場所は、かつて儂がまだ信長だった頃に。親しく屋敷に招き入れていた南蛮の宣教師らが紹介していた、かの者らの国に。似てると言えば、似てなくもないが。
(これが……神仏の祟り、とでもいうことか?)
同じく信長だった頃、儂は寺に立て籠った僧兵らを寺ごと燃やした事があった。だから儂はまず、燃やした寺に祀られていた神仏の呪いか何かを疑ってみたのだが。
いくら考えても考えても、正解がわからなかった儂は。やがて、何故自分が織田信長をやめたのかを考えるのを止め。
新しい身体……小娘としての暮らしを楽しむ事に頭を切り替えた。
冷静に考えたら、何も信長としての生活が気に入っていたわけではない。周囲の戦国大名が、儂に喧嘩を売ってきたからやり返しただけの事だ。
なのに、気がつけば信長包囲網などと周囲は敵ばかり。
正直に言えば、戦に次ぐ戦ばかりの生活にいい加減うんざりしていたのが本音だ。
何でも今、儂の身体となっているこの小娘。日本ではない、シルバニア王国とやらの支配階級である貴族とやらの生まれだというではないか。
このシノアという小娘、いや貴族の一人娘として気ままに暮らそう。
(ならば……口調も小娘らしく直さねば、な)
そう、思って大人しくしていたのだが。
儂……いや私が通っていた「学校」なる、読み書きやこの国の歴史を学ぶ、今の儂にとって非常にありがたい場所へと向かうと。
入り口にて待ち構えていたのは。
「はっ、懲りずにまだその幸薄そうな顔を見せるとは、まだ仕置きが足らないようですわねっ! 恥晒しの没落貴族!」
何とも華美すぎる礼装服を纏い、長い金色の髪をくるくると巻いた、まるで遊廓の遊女のような髪と服装の娘子だった。
(ん?……何故、この小娘は激昂しておるのだ?)
開口一番、その小娘は私に憎々しげな目線を向け、怒鳴り声を上げ始めたのだ。
怒りの矛先を向けられる理由がまるでわからず、ポカンと呆れていると。
「まったく……こんな没落貴族の娘と同じ学舎にいる事自体が、このマールブルグ侯爵家の家名に傷が付くというのにっ……」
まるで訳がわからず激怒する、遊女と思しき小娘の両脇から。まるで瓜二つの見た目をした、これまた小娘が二人ほど現われたかと思えば。
「そうですよ! 侯爵令嬢であるエクレーア様の命令に従わないなんて許し難い大罪です! ねえエナ?」
「……そうですロナ。こんなやつは問答無用で死刑です」
と、口喧しく騒ぎ立てるのだ。
(ほうほう。そうか……この三人が、この身体の娘を虐げていたとかいう、日記にあった三人というわけか)
そう。儂がこの娘の身体に乗り移ってから、アリソン男爵令嬢シノアとして生活をしていたのだが。
娘の部屋で偶然にも見つけてしまった日記に、つらつらと書き連ねてあったのは。この学校とやらで受けていた、酷い虐待の数々であった。
暴言や暴力を振るうのは日常的に。
自分らが行った悪事の転嫁や。
人前での屈辱的な行為の強要など。
どうやら娘を虐げていた理由とは、アリソン男爵家が三人の貴族の小娘と比べ、立場が弱く。
しかも親であるアリソン男爵の手腕は、儂から見れば決して褒められたモノではなく。故に家の財産は底を尽きかけていたことも、小娘どもの嗜虐心に拍車を掛けたのだろう。
全く以って、くだらない理由だ。
「聞いてますの! はっきり言って貴女……王国の恥晒しなんですのよっ!」
「そうです! いい加減、この学校から出て行け、なのです!」
「……学校だけじゃない。この王国から出て行け、なのです」
儂が黙っていると、調子に乗った三人の小娘どもがやいややいやと騒ぎ立て。
ついには儂の胸倉を掴もうと、手を伸ばしてきたのだ。
(前の身体の持ち主ならともかく、今の儂がむざむざと虐げられるのを待つ謂れなどないわ)
だから儂はいざという時のため、予め掌に一握りの灰を握り込んでおき。
彼女らの顔目掛けて灰をぶつけた、というわけだ。
(しかし……灰を撒くなど、信秀の離別の時、以来じゃのう……)
かつて信長と呼ばれた人物は、十八歳の頃。自分の父親・織田信秀の葬儀に際し。父親の位牌に盛大に灰を撒き、家臣らを仰天させたことがあった。
ふと、そんな思い出に浸ってしまっていたが。
何はともあれ、儂が取り憑くより以前に、この娘を虐げていた不埒な遊女どもは。
この信長が軽く追い払ってやった。
あとは学校とやらでこの国の事を教わるだけだが。
「……む、?」
ふと周囲を見てみると、騒ぎに何の関係もない有象無象どもがわらわらと。儂、いや私を遠巻きにし、何やらヒソヒソと噂話を口にしていた。
いや、それだけではなく。こちらを見る視線には微かだが敵意すら含まれていた。
(むぅ……この雰囲気は。良くない、のう)
周囲の者どもから漂ってくる空気は、儂が望む平穏な暮らしを乱してきそうな、実に不穏な雰囲気をさせていた。
さしずめ、一揆が起きる直前の村といったところか。
これでは学びを受けるどころではない。
儂は踵を返し、私が暮らしていた本拠地の、アリソン男爵邸へと引き返す選択をした。
「これは敗走ではない、戦略的撤退なのだ。これは敗走ではない、敗走では──」
ええい。
儂はただやり返しただけというに。