二十一話 沼地に潜む悪魔
二十一話 沼地に潜む悪魔
裂姫と紅葉を見送った後、拳勝と剣市は禍対委に戻ると別々にパトロールに出かけた。禍獣の目撃情報から拳勝は郊外の沼に向かう。かなり大きな沼で、以前は週末ともなるとバス釣りの釣り人や、沼の周囲を走るランナーで賑わっていたものだが、今では人の姿はほとんど見られなくなっていた。拳勝も以前紅葉とバス釣りに来た事があったが、自分は全然釣れず、紅葉ばかりがバンバン釣れて、面目を失った記憶があった。その頃は、まだこの付近には禍獣が現れてはおらず、平和なエリアであったのだが禍獣の出現エリアがドンドン拡がってきている。
拳勝は、人間が安心して住める場所が加速度的に少なくなってきている事を危惧していた。遊歩道脇の駐車場にバイクを停めた拳勝は、辺りを見回すと車が何台か停まっている。この辺りに禍獣が現れたのは最近の事であるので、まだそれを知らない人がやって来ていると考えられた。
・・・危ないな ・・・
拳勝はヘルメットを脱ぐと遊歩道に出て左右を見るが、どちらに人が居るのかまるで分からない。耳を澄ましても、特に人の声等は聴こえなかった。取り敢えず右側に行ってみようと足を出した時、一台のバイクが駐車場に入ってきた。
「先輩 」
若い女性がバイクを降り拳勝に走り寄って来る。上下黒のライダースーツに身を包んでいた。
「横山くんか ちょうど良かった 僕は右側へ行くから、君は左側へ行ってくれないか 人を見掛けたら危険なので帰る様に伝えてくれ 」
「はい、了解しました」
横山千里は、元気に返事をして遊歩道を左側へ駆け出して行く。千里の超技能は、拳勝と同じく打撃系で、拳勝は拳に力を乗せるのに対し彼女は蹴りに力を乗せ、その威力は絶大なものがあった。禍対委で手合わせする事があるが、その動きも鋭く、まだ若い女性であるが拳勝は信頼できる仲間だと思っていた。
その千里がしばらく走って行くと、沼の方から声が聞こえた。人が居ると思い、注意しようと遊歩道を外れ沼に向かって歩いて行くと家族が二組、四体の禍獣に囲まれている。ファーブニル三体に、もう一体は初めて見る禍獣だった。巨大な鮒の様な魚の体に、人間の手や足がつき二足歩行で歩いている。
・・・うわぁ気持ち悪い 何あれ? ・・・
蛇や魚が元々苦手な千里は、禍獣のグロテスクな姿に一瞬気が引けるが、今にも家族に向かって襲いかかろうとする禍獣の群れに向かって飛び込んで行く。
「禍対委の横山と申します 動けますか? 」
「は、はい…… 」
家族がなんとか動けそうな事を確認した千里は、禍獣の注意を自分に引き付け突破口を作り家族を逃がそうとする。
「私が突破口を作ります すぐ動ける体制で禍獣の攻撃が私に集中したら急いで逃げて下さい 」
「はい 」
二組の家族は足をガクガクと震わせながらも立ち上がり逃げる体勢をとるが、一人の父親が千里に向かって言う。
「あなたも一緒に逃げましょう 」
「それは無理です 誰かが残って禍獣を食い止めなければ追撃されて皆殺しになるでしょう 」
「それなら私も残ります あなた一人をおいていけない 陽子、子供達をつれて逃げてくれ 」
父親が母親に子供達を頼むと言うと、千里は断固として一緒に逃げなさいと主張する。
「私は一般の方を禍獣から守るのが仕事です 私は自分の仕事に誇りを持っています あなたもお仕事をなさっている事と思いますが、それならあなたも命を賭けて、あなたのお仕事で良い仕事をして下さいね 」
まだ若い千里の言葉に胸を打たれた父親は、千里の手を握り締めもう一度名前を聞かせてくれと懇願する。
「横山、横山千里です 」
「横山さん、この御恩は一生忘れません 私は高杉といいます どうかご無事で…… 」
「はい、ありがとうございます それでは、いきますよ 」
千里は、まず一番近くにいるファーブニルとの間合いに飛び込み、くるりと体を回転させると思い切り力を込めた回し蹴りをファーブニルの頭部に叩き込む。パーンという音と共にファーブニルが体ごと吹っ飛び、隣の魚の禍獣に激しく激突する。禍獣の視線が千里に集中した。
「今です 」
千里の合図で家族は全力で走り出す。千里は禍獣の攻撃を避けながら、家族が遊歩道までたどり着いたのを確認し安堵の息を吐いた。今度は自分が生き残らなければ…… 。千里は緊急無線で、支部と拳勝に連絡する。どちらもすぐに連絡はついたが、ここに駆けつけてくれるまでは時間がかかる。
「うおぉぉーーっ 」
雄叫びを上げ千里は自分の心を奮い立たせ二体のファーブニルの間に飛び込み片足を上げると体を回転させる。旋風脚と千里が名付けている大技だ。
「グギャァ 」
二体のファーブニルが血飛沫を上げて吹っ飛ぶが、魚の禍獣が体当たりしてきて、逆に千里が吹っ飛ばされた。激しく地面に叩き付けられた千里は一瞬意識を失う。地面が沼地の柔らかい土で幸いだった。これが固いアスファルトだったら、この一撃で戦闘不能になっていたのは間違いなかった。
・・・私の旋風脚を逆に吹っ飛ばす? なんて禍獣なの ・・・
ヨロヨロと立ち上がった千里に、休む間を与えずファーブニルが襲いかかる。
・・・もう、不味いかも ・・・
千里が思った以上にダメージを受けてしまったようで足元が覚束ない。それでも、かろうじてファーブニルの攻撃をかわし続けるが、とうとうファーブニルの尾の攻撃をまともに受けてしまい、また地面に叩きつけられる。なんとか起き上がろうとした千里の左腕が、ファーブニルの鋭い牙が並ぶ口で噛みつかれ、そのまま振り回される。
「ヒイィィィーー!! 」
グルグルと振り回され千里は悲鳴を上げ涙を流すが、ファーブニルはそのまま更に激しく回転させる。千里の腕から、ブチブチと嫌な音がしてきた。そして、千里の腕が千切れてしまうかと思われた瞬間ファーブニルは千里の腕を離し、空中高く放り投げ、その下で口を大きく広げる。ファーブニルの口が裂け千里を軽く呑み込める程の大きさになった。待ち構えるファーブニルの巨大な口を見た千里は、腰に吊るしている爆薬の起爆スイッチに手をかける。
・・・飲み込まれた瞬間、私もろとも爆破してやる 一体でも倒さないと、カッコ悪いですよね、紅葉さん ・・・
千里の脳裏に、憧れの女性だった拳勝の恋人、紅葉の顔が浮かんだ。
* * *
拳勝が近くまで駆けつけた時には、すでに千里が空中に投げられファーブニルが下で巨大な口を開けている時だった。
・・・くそっ間に合わない ・・・
紅葉の超技能“縮地“が使えればと走りながら考えていた拳勝は、そういえばあの時あいつなんて言ったっけ?と思い出していた。初めて紅葉の“縮地“を見た時……。
・・・思い出した 頼む紅葉、力を貸してくれ お前を慕っている後輩の為に ・・・
拳勝の視界が、ギュッと流れる様に動いたかと思うと目の前にファーブニルの口を拡げた頭部があった。
「うおぉぉっ 」
拳勝は思い切りファーブニルの頭部に拳を叩き込む。ヌルヌルとした粘膜で打点はずれたが、構わず拳を振り切る。ファーブニルの頭部の半分が吹き飛び、がくりと地面に横たわった。拳勝は落ちてきた千里を受け止めると、千里は右腕で抱きついてきた。
「大丈夫じゃあないよな、横山くん 」
「ありがとう、先輩 左腕は駄目だけど、まだ動けます 」
千里は気丈に答えると、あの魚の禍獣に注意して下さいと告げる。拳勝は魚の禍獣に目を向けると、ひとまず退却するぞと千里に言った。
「禍対委の資料で見た あれは旧約聖書に記されている悪魔ダゴンだ クトゥルフ神話にも登場する厄介な悪魔だ 」
「そんな強力な悪魔がこんな所に? 」
「この近くに深淵があるのかもしれないな 」
拳勝と千里は背中合わせに構え、禍獣からの攻撃に備える。まず、残り二体のファーブニルを倒し二人でダゴンに攻撃する。そして、隙を見て逃げる計画だが、ダゴン相手にそれが通用するか疑問が残る作戦であった。