最終話
「殿下も長生きできるように危険なことはしないで。約束して」
もし、私が若くして死んでしまっても、殿下を支えてくれる「真実の愛」の相手を見つけなければ。
ジェフを失って、私を失って……殿下が自暴自棄にならないように。
「約束するよ、シャリアーゼ。俺は、シャリアーゼのために生きるから。だから……」
アーノルド殿下の右手が私の頬に触れた。
「ずっと一緒に……」
それから、殿下の顔が近づいてきて。
息がかかるほどの位置。
殿下の青い瞳に、私の驚いた顔が映ってる。
殿下が少し顔を傾けて、私の顔にさらに近づき。
な、な、何これ。
まさか、えっと、キ、キ、キ、キス?
だって、婚約者だけど、でも、でも……恋人同士じゃないんだよ?
好きとか嫌いとか恋愛関係でもないのにっ!
キスって、好きな人とするものじゃないの?政略結婚の相手……結婚したらするかもしれないけど、婚約中にする?
誰か、教えて~!
こ、心の準備が!
バクバクと高鳴る心臓。
近づいてくる殿下の顔。
そして……。
ガタンと馬車が大きく跳ねあがった。
石にでも車輪がのりあげたのだろうか。
椅子から浮いてバランスを崩して、二人で壁に肩をぶつけた。
「だ、大丈夫かシャリアーゼっ!」
殿下が慌てて私の無事を確認する。
「だ、大丈夫。むしろ、大丈夫」
「むしろ?」
あ。
キスされなくて済んで助かったとは言えない。
って、まだ顔が近い。ど、ど、どうしよう。
話をそらさなくちゃ。
と、思っていたらふとレモンの香りがする。
「あれ?殿下はレモンは好きじゃないと聞きましたけど……?」
マーカスが殿下は酸っぱい物が嫌いのようだと確かに言っていたと思うけど。
「ああ。酸っぱすぎるだろう。好んで食べるようなものだとは思わないが……」
まぁ、単体では確かにそうですけど。紅茶に入れたり、お菓子にしたりすれば美味しく食べられますよ?
「レモンを使ったお菓子でも食べましたか?」
「いや。腹が減ったのか?何も食べてないからなぁ……」
「そうでしたわね。朝から駆けずり回って。……でも空腹感は感じません。ただ、レモンの香りがどこからかしたので……」
殿下が首を傾げた。
それからすぐに匂いの元を見つけて私に教えてくれた。
「これだ。これの匂いじゃないか?」
殿下が、ジェフからの手紙に鼻を近づけて匂いを嗅いでから、私に手渡す。
手紙を顔の前に持ってくると、確かにレモンの香りがした。
「レモンティーでも飲んだのかしら?」
マーカスがレモンの汁を殿下からの白紙の手紙にこぼしたのを思い出す。
「どこでジェフがレモンティーを飲むんだ?」
殿下の言葉にハットする。
ジェフは逃亡中の身だったはずだ。優雅にレモンティーを飲むような生活をしていない。
レモンはどこででも手にはいるようなものではないし、そのあたりで採れるものでもない。そして、逃亡中にわざわざ選んだ入手して食べるような物でもない。
「船にでも乗っていたのか?」
「ああ、航海中の船には脚気予防にレモンを載せていると聞いたことはありますね」
だけど、逃亡中なのに、逃げ場がない船に乗るだろうか?いや、船にのって海外へ逃亡しようとした?でも現実にはジェフは国内にいた。
『あなたでよかった』と白い紙にそれだけ書かれたジェフの手紙。
小さく折りたたまれて……。
こんなに小さく折りたたんで持ち歩くくらいなら、はじめから小さい紙にかけばよかったのに。
いえ、大きさが必要だった?なくさないように?だったら折りたたむ意味が……。
手紙を裏返すと、ふわりとまたレモンの香りが鼻をつく。
裏側は折り目だけで何も書かれていなくて真っ白な手紙。
真っ白な……。レモンの香りがする手紙。
「あ!まさか!殿下、ランプが欲しいです」
「分かった」
殿下はすぐに馬車の扉を少し開くと、手を伸ばして馬車につりさげられているランプを手に取って中に入れてくれた。
ランプには蝋燭が立てられている。殿下がすぐに蝋燭に火を灯してくれた。
蝋燭に手紙を近づけると、殿下が慌てた。
「燃やすつもりか?」
「ええ、そうです……。燃やすつもりだったんです。あの時暖炉に入れたレモンの汁が飛んだ手紙は……」
汁のとんだ部分が焦げた。
「こうして燃やすつもりで火に近づけると……」
見る間に、紙が焦げていく。
レモンの汁が付いた部分だけが。
茶色く変色していく。
「文字……が……」
殿下が目を見開いた。
「ジェフが殿下に伝えたかった言葉です。きっと……」
伝えたかったのか、伝わらなければいいと思っていたのか。どちらなのか分からない。
蝋燭の炎で炙り出された文字には、こう書かれていた。
『私は間違えてしまった。
妹のためを思うならこんなことをするべきではなかった。
あの子は化け物だ。
世界を破壊する化け物を育ててしまった』
あと1話あります