毒と希望
試しにスプーンを手に取り殿下がつかんでいるカップの中からムースを一すくい取って口に運んでみる。口に入れる寸前、私の手の9の数字も0になった。
「いくら正式な婚約者になったからって、不敬だぞっ!いつだって婚約破棄してやれるんだからなっ」
スプーンを投げ捨て、殿下が自分の皿にカップを置こうとするのを奪うふりをして、テーブルの上に身を乗り出す。
そして、ケーキスタンドをわざとひっくり返す。
ガシャーンと耳障りな大きな音を立ててスタンドが倒れ、テーブルの上にお菓子が散らばる。
あたりに甘い苺の香りが広がった。
「なっ、何してっ」
殿下が驚いて目を見開いている。
「も、申し訳ございませんっ」
慌てて殿下の元へとテーブルを回って近づく。
そして、周りの者には聞こえない声で、謝罪しているふりをしてつぶやいた。
「殿下、騒がないでくださいまし。毒が仕込まれています」
「はぁ?」
「このまま片付けられてしまえば、証拠を隠滅させられるかもしれません。信用できる者を呼んでください」
「ど……毒……?」
少し離れて控えていた侍女たちや護衛たちがガゼボに駆け寄ってきた。
「まぁ、大変ですわ。すぐに新しいものを用意いたします」
「場所を替えましょうか」
「お怪我はございませんか?お召し物は大丈夫でしょうか」
何人もの使用人たちが入れ替わり立ち代わり声をかけてくる。
全部で10人近くの人間がいる。
「問題ない、お前たちは立ち去れ!」
殿下が声を張り上げた。
「で、ですが……」
「シャリアーゼは、僕と一緒だと緊張してしまうようだからな。どうやら今回もそれが原因らしい」
1年前に、緊張して意識を失ったという話を殿下は信じているらしい。
そして、それを利用した。頭の回転が速いな。
ある程度周りの者にも伝わっているのだろう。殿下の言葉に、使用人たちはなるほどと納得したようだ。
「僕に慣れてもらわなければ困る。ここはいい、お前たちは控えていろ。ジェフだけ残れ」
殿下が皆を下がらせた。
テーブルの上に散乱したお菓子たちはそのままになって……は、ない。
「殿下、ありません、ムースのカップが……」
小さな声で殿下に伝えると、殿下もテーブルの上を確認する。
「ちっ、持ち去られたか。だが、やましいことが無ければ持ち去る必要もない。何かが仕込まれていたことは確かなようだ」
殿下の側近のジェフが現れる。
私が11歳、殿下12歳。ジェフは27歳だ。
下の者が育てば側近は卒業。殿下が王位についた時に宰相補佐などの重要ポストに就くと思われる有能な人物。
実力で今の地位を掴んでいる子爵令息だ。
「ジェフ、準備された菓子に毒が入っていた」
殿下の言葉にジェフがすぐに言葉を返す。
「毒ですか?いったいどこにその毒が?」
ん?
ちょっと、おかしな発言?
毒の在処よりも、まずは殿下の身を案じるのではない?ぴんぴんしてるから平気だと思ってる?
それとも殿下のことが嫌い?
もしくは……。
うーん、怪しい。
もしかして、犯人の仲間?
「なんだよ、嘘じゃねぇって。だいたい言いだしたのは俺じゃねぇし」
「……本当なんですね?苺が食べたくないから毒だって言っているわけじゃないんですね?」
え?
まさか……殿下、嫌いな食べ物が出てきたら毒が入ってるとか言って残してたり……の、前科持ち?
それでジェフはそんな態度を……。
っていうか、苺が嫌い?
え?苺が大好きだから用意された苺尽くしじゃないの?
「シャリアーゼ様、毒……とは?お体に問題はございませんか?」
ジェフが慌てて私に礼を取った。
「え、ええ。ムースの香りがおかしかったんですわ。苺のムースにはありえない香り……毒物の勉強をしたときに嗅いだような臭いがしたため、もしかしたら毒が混入されているのではと……。騒ぎ立てて申し訳ありません」
ジェフが息を吐きだした。
「そうでしたか。ご無事で何よりでした。ですが、毒見はさせておりますし……香りは勘違いではございませんか?念のためお菓子とお茶を調べさせましょう」
ジェフの言葉に素直に頷く。そして、ジェフと殿下の視線がそれた瞬間に、床に落ちたスプーンと、スプーンからこぼれ落ちたムースをハンカチにくるんでスカートの中に隠した。
犯人はムースのカップを持ち去っているが、スプーンですくった分までは持ち去ることができなかったようだ。
これを、後で調べてもらおう。
……うちの、公爵家のほうで。
ジェフは気のせいじゃないかと言っていたけれど……。
私が毒だと思ったのは本当は臭いが理由じゃない。
寿命が見えたからだ。もしかすると毒以外の死因だった可能性もある。あのままムースを食べていたら、矢が飛んできたとか……。
いや……でも、考えられる可能性は……。
やっぱりムースに毒が入っていたんだろうな。私の寿命も、食べようとしたら0になったし。
私の寿命と言えば……、あの騒動ですっかり忘れていたけれど、今日は一瞬寿命が戻ったタイミングがあった。
あっという間に元に戻ったけれど、あれはいったい何がきっかけだったんだろう?
その前後のことを思い出す……。
ダメだ、思い出せない。毒のことが衝撃的過ぎて何があったっけ?
殿下にエスコートされての移動中……の?いや、手を取られる前?
ガゼボにつく前だったよね?えーっと……。
ああ、もう!分からない!
でも、殿下といて何かをしていると、そういうことが起きるのであれば、その状態をキープすることができればいいわけだ。
寿命が戻る可能性があるということが分かっただけでも大収穫だ。
うん、希望が見えてきた!