馬?
「殿下は、いい気になって近づいたりはしませんでしょう?」
殿下がびくりと肩を震わせる。
「いや、そりゃ、いい気になったかなってないかといえば……き、嫌われてないと思ったらそりゃ……」
ああ、私と一緒だ。エスコートされたときに、嫌われてはいないんだなとちょっとホッとしたもの。
「政略結婚なのですから……嫌われていなければ十分だと私はそう思っておりますわ……。私のこと、殿下はお嫌いでしょうか?嫌われていなければいいのですが……」
「お、俺は、お前のこと嫌ったりしてないからなっ!」
殿下がきっぱりと口にした。
「では、バルコニーへ、エスコートしていただけますか?」
手を差し出すと、殿下が私の手を見下ろした。
殿下が不安そうな顔をして、私の目を見る。
「本当に……その、無理をしていたりしないのか?家に戻ってから寝込んだり……お、俺と会った後体調を崩すとか……」
すごく心配されてる。
「会うたびに気分が悪くなる相手と……自分ならもう会いたくないと思うと、叔父上に言われ……確かに、その……」
いやいや、だからさ。殿下と私の婚約は、政略結婚なんだから。王室の一員としては嘘でもうまくいくように助言してくださいよ。
子供っぽい人なのかな、王弟殿下。もう、27でしょう?
緊張して倒れたと言うことにしてあるんだから、緊張をほぐすために楽隊を呼んで音楽を聴いたらどうだとか、よい香りのする花で部屋を埋め尽くしたらどうだとか、なんかあるよね。他にアドバイス。
いや、そのどちらもいらないけれど。
あれ?待ってよ。
もしかして、王弟殿下は、毒苺ムース事件のことを知らされてない?
あれも、表向きは私は殿下の前で飲食するのに、粗相をしたらどうしようと緊張したあまりに倒れてしまったことになっているはずだ。
王宮で毒物混入など外聞が悪いため知っている者は制限されている。
しかし王弟殿下も王族だし流石に知らされてるよね?
知らされてないのは、毒物混入に気が付いたのが私だという情報だろうか。あの場では匂いで気が付いたとジェフに伝えたけれど……。誰にどこまで私が毒の混入を疑いわざと倒れたふりをしてお菓子やお茶を駄目にしたと知っているか……。
王弟殿下はすべて知っていて、私が巻き込まれないようにと遠回しに殿下に距離を置くように伝えようとしているとか?
私のために?
いや、違うんだよ。王弟殿下……何もしないと私の寿命はあと11年。殿下と関わることで増えたり減ったりするから、関わらないでいると早死にしちゃうんだってば。殿下に距離を置かれたら、困るのは私!私なのよ!
殿下の寿命のチェックして守るために婚約破棄もあきらめたんだから、殿下に避けられたら私の覚悟も無駄になっちゃうんだってば!
もうっ!小さな親切大きなお世話なのよ!王弟殿下ぁぁぁ!
いつまでたってもエスコートのための手を出さない殿下の腕に手を回した。
「平気ですわ。いつまでも緊張しているようでは、乗馬もできませんでしょ?」
殿下が急に腕を取った私に驚いた表情を見せる。
「乗馬?」
私の顔を見た殿下に笑って見せる。
「ええ。初めて乗馬の練習をするときに、大きな馬を目の前にして緊張しませんでしたか?」
殿下がその時のことを思い出したのか、小さく頷く。
「ああ、確かに、初めて馬に触るときも、馬にまたがるときも、緊張の連続だった」
「今も、まだ馬にまたがるときは緊張なさいますか?」
殿下が今度は首を横にふる。
「いや。緊張が馬に伝わると言われ、馬にまずはブラッシングするように指導された。触れ合ううちに、次第に緊張しなくなるだろうからと」
そうか。
私の場合は馬は賢いから好きでいてあげれば馬にもそれが伝わって助けてくれるよって言われたなぁ。
でも結果としていっぱい頭をなでたりしていたから、触れ合ううちに緊張しなくなるという殿下と同じ効果があったわけだけど。
貴族令嬢で乗馬をたしなむ人間はさほど多くないんだけれどね。いざというときに馬に乗って逃げることができるようにと、私は乗馬をたしなんでいる。