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夕凪のファンタズム

作者: Loxia

プロローグ


「ねえねえ結奈!今日は何して遊ぶ?」

私は友達の涼子に聞く。

「貝探し!砂浜の貝を探そうよ!」

涼子は私の手をつかんで言う。

「いいね!行こう行こう!」

私たちは走っていつもの砂浜に行った。



1.幼少期


相模川沿いを高速道路で走り続けて1時間半が経過した。

高速道路を下りた国道一号の車窓からは、荒波のたつ太平洋が見える。

私たちは車に乗って故郷の海へ向かっている。

幼い頃、私たちは海沿いに住んでいた。家は海が見えるほど海に近く、休日は海辺で遊ぶのが日常だった。その頃の私は天真爛漫そのものだった。

もうすぐ海に着くという期待よりも、私は不安を強く感じていた。トンネルに入ると、ナトリウムランプの不自然な色の光が私に余計な不安を与える。しかし、それはむしろ心理的休息だった。通るトンネルを出る度に雨は強くなり、とても止む様子もない。

有料道路を挟み、私たちは目的地に着いた。

風雨は私の微かな期待に抗うように威力を増している。

――結局、雨は止むことは無く、家族旅行はご破算になった。



2.夏と私


あの黒い家族旅行から8年。以来家族旅行に行くことは無く私は中学生になった。

成績は良好。親からも先生からも褒められるほどだ。

部活は吹奏楽部で部長を務めている。今夏は2年生として初めての大会があるので、それに向けて練習に励んでいる。

そんなある日の部活帰りのこと。

「結奈は今年旅行とか行く?」

帰路、少し急な坂を上っている時、友達の亜美が尋ねてきた。

私は8年前の家族旅行のことを思い出す。

「多分行かない。……うん。」

私は一度亜美の方を見てから俯く。

「ふーん。そっかー。」

「それよりさ!今度一緒に買い物行かない?アウトレットの新しい……」

旅行。普通は行くものなのかな。

――帰宅後、私は気になって母親に尋ねてみた。

「旅行ね。もう大きくなったし、あんたもやる事、やりたい事が沢山あるでしょう?お兄ちゃんも忙しいしそもそも日程が合わないもの。」

夕飯の準備をしながら、母親はそう答えた。私は納得した。あの頃は、みんな小さいからああいう風に旅行が出来た。けど今は違う。そういうことだ。

私は部屋に戻り宿題の続きをする。『連立方程式 演習』と書いてあるプリントは既に3分の2は終わっていた。

(宿題……あとは他に何があったかな?)

(大会の練習もしないと……本番まで残り1週間しかない……)

問題を解きながらそんなことを考えていた。



3.不安


終わりは見えているものの、学校の宿題は私の想定以上に多く、こなすのが大変だった。それに加え部活と塾の三重奏に私は疲れ切っていた。

答え合わせをするも間違えが多く、塾に行っても集中力が続かなかった。

(……どうして……?)

私は自作した夏課題リストを見ながら考える。

(娯楽が足りないのかな…………ううん。そんなことはないはず。今週末だって亜美と買い物行けるし……)

私は開いているノートにうつ伏せる。

自問自答を繰り返すうちに、私は不安になってきた。

(自分が嫌……怖い……何の所為?誰の所為?……)

考えても答えは出ない。

「どうしてっ!…………」

不覚にも声が出てしまった。私は我に返る。

(だめ。こんな事してないで塾の宿題を……)



4.心の南京錠


宿題に手をつけても進まない。

夕飯を食べ、お風呂に入ってもそれは解決しなかった。

私の不安は増大する。

(どうすればいいの……)

私は考える。

(……私は何……?)

自問自答の終着点とも言える質問にまで到達した。

何を考えても何もできず、思い浮かばずの私は、子供の頃のノートなどの入っている引き出しを開け現実逃避を始めるまでになった。

(あぁ、懐かしい。これはアニメの塗り絵だ……)

(これはお父さんとの交換日記で……)

思い出に浸っているうちに、私はキーとなるひとつのメモを見つける。

(これは……あの旅行の……)

『旅行』というキーワードが、私の中の南京錠を解いた。

自分の中の矛盾に気がついた。私は行きたかった。海にまた行きたかったんだ。積乱雲が青空に点在し太陽が注ぐあの景色に、私は会いたかった。

自分は8年間もその願望を抑えていた。私は久しぶりに泣いた。小学校高学年から、私は感情表現に乏しくなっていた。改めて、泣くことは良い事だと思う。

漠然とした不安はやがて次の行動への勇気へと変わった。



5.現実


両親には内緒で、私はあの場所へ行く計画を立てる。

試しに乗換案内で最寄り駅からの経路を調べる。やはり海は遠かった。運賃は往復数千円まで跳ね上がり、所要時間も普段と比べ物にならないほど長かった。それでも私は何とかして行きたかった。

立ちはだかる壁はこれだけでは無い。部活の大会は来週に迫り、塾は平日には毎日ある。私は部長としてメンバーをまとめる必要もあり、自身の演奏もまだ練習が足りない。塾に至っては全ての教科で大量の宿題が出されて、終わらせるには数時間はかかる。

私が計画に行き詰まりかけていると、それに追い討ちをかけるように『連立方程式』の文字が目に入る。

それらのタスクを全てこなせる自信は、私にはなかった。

6.普通って、

週末の亜美との買い物の帰り道、私は亜美に聞きたいことがあった。

「亜美は、宿題とか終わりそう?」

「えー?宿題〜?全然終わりそうにないよ〜もう助けてほしいくらい!」

「どうせ結奈は終わってるんでしょ?」

「いや。」

私は間髪入れずに言った。

「え?あの結奈でさえ?やっぱ今年多いよね〜」

私は安心してはいけないことを知りながら安心してしまった。易きに流れるのは駄目。そう分かっていたはずだった。でも……

「そう!私英語の答えなくしちゃってさ〜。あとで…?」

私は考え込んで亜美の声すら聞こえていなかった。

「どうしたの?」

「!……ごめん。ちょっと考え事してて。」

行動を起こせる自信がついた。

いいんだ。私。これでいいんだ。



7.対立


あの日から考えていた計画を、明日実行する。私は決めた。お金なんてどうせ滅多に使わない。一万円ほどに出費が嵩んでももうどうだっていい。私は私の思うがままに動く。それは、時に理性を伴わないこともある。それでも私は後悔しない自信がある。

私は両親にその旨を伝えた。

「宿題はどうする。継続は力なり。一日でも抜けがあることは許されない。」

父親はそう言い、

「あなた部活は?大会まで残り少ないのに部長がそんな事してていいの?」

母親はそう言った。

だから何だと両親に歯向かいたくなった。私はそれを抑えた。

「それは明後日どうにかする。」

いかにも理性的な返答をしたつもりだった。

「学生の本分は勉学だ。好き勝手に動くことではない。お前もそれを分かっているはずだ。」

「それでも私は行きたい。」

ついに私は両親と対立する姿勢を見せた。

「結奈。」

強い口調で私の目を見ながら父親は言う。

「わがままも大概にしろ。」

――

「何が駄目なの」

リビングで2人きりになった私は父親に聞く。

「お前にそんな時間はない。」

「私の人生だから、時間の使い方は私が決める。」

「たとえそれが身を滅ぼしてでもか?」

父親は少し脅迫じみた言葉を発した。

「なぜお前が勉強しているのか、もう一度思い出せ。」

このままでは埒が明かない。

私は論理で父親に勝てる自信はない。

無理だ。このままだとまたご破算になる。

欲望に素直に動きたい。なら、何が私を止めている……?

何を無くせばいい……どうなればいい……

答えはこれだ。

「嫌だ!」

私は椅子から立ち上がった。

「分からんのか。」

「分からないのはお父さんでしょ!?8年間も連れていかなかった……あなたは何も分かっていない!」

「落ち着け。お前はそんな人間だったのか。」

ああそうとも。私は本来、真面目で優等生でリーダーシップのある人間じゃない。

これが本物の私なんだ。

「私は……優等生じゃない!」

父親にそう言い放ち、私は部屋に閉じこもる。

これでいい。もう私は優等生でいたくない。それは努力が嫌な訳では無い。そうある為に何かを犠牲にするのが嫌になった。



8.自立


朝6時半、私は家を出て最寄り駅に向かっている。

結局、最後まで両親はまともに許可を出さなかった。

でも、これが間違った判断だとは微塵も思っていない。この意志に狂いはない。

最寄り駅までは十分ほど歩く。その短い旅路は、私が初めて歩いた旅路とも言える。

見えてきた東口のロータリーには、朝日に照らされる路線バスが止まっている。

私は足を進め、券売機の前に来た。私はICカードのような近未来的なものは持っていない。熱海までの運賃は数千円。今までに買ったことも無い高額な切符である。

私はその小さくも大きい物を背負っている切符を改札機に入れる。

誰もいない島式ホームで、私は紙に書いた行程表を確認しながら電車を待つ。

(これに乗った次は……相模線直通……?に乗ってめがさき……?いや、ちがさきだ!)

私は電車には慣れていないので、遠くまで行くのは少し怖かった。

考えていると、最初に乗る電車が来た。私はいつも通りドアボタンを押して車内に入る。

意外にも電車の中には客が数十人いた。

七人がけの椅子は全て埋まり、私は空いている三人がけの椅子に座る。

山と森の中を走り抜ける、見慣れた景色が視界に広がる。



9.追憶の車窓


見慣れない世界はここからだった。私は八王子という都内でも大きな駅に着いた。

ホームの数は私の最寄り駅とは比べ物にならないほど多く、また長かった。

乗換案内によれば、6番線に行けばいいらしいが、そこまでの道程が私は分からない。

とりあえず階段を上ると、そこは完全に異世界だった。人が沢山行き交い、6番線を見つけてもそこにたどり着くまで一苦労だった。

長いホームの真ん中に、安心するくらいの短い電車が止まっている。未知の世界への第一歩を私は歩む。

また私は三人がけの椅子の端に座った。車窓はだんだんと都市からニュータウン、そして私の住むような田舎へと変わっていく。

途中、川沿いを走る高速道路が見えた。それは紛れもなくあの時の高速道路だった。私は来た。あそこまで来れたんだ。あれだけ遠くに感じた場所に、今私は一人でいる。私は感動した。



10.海


一時間と少し電車に揺られ、めがさきもとい茅ヶ(ちがさき)に着いた。空は8年前とは正反対の透き通るような青空で、真上から降り注ぐ夏の日差しが私を照らす。

次に乗る電車は伊東行きらしい。電車を待っている間に、上り列車が一つ私の目の前に現れた。その列車は宇都宮、即ち栃木県まで行くらしい。

私は自分がいままで知っていた世界が箱庭程度に思えてきた。今私はその箱庭を越えている。自分の足で、自分の力で。もう一人でどこにでも行ける。そんな気がした。

乗った車両にはボックスシートがあった。私は贅沢にそこに座る。

毎日使う人からすれば、それはなんて事ないものかもしれない。しかし、私には目に見える全てが輝いて見えた。

早川駅を出ると、美しい太平洋が見えた。

そうだ。私の望んだ海は、もうそこまで来ていた。



11.望んだもの


午前10時、ついに私は熱海駅に来た。

熱海駅を出ると、そこはまさに灼熱地獄だった。外気温は38℃に迫る。

暑さで倒れそうになりながら、私は改札を出て歩き出す。

多少坂のある道を下った先には、私の求めていたそれが見えてきた。

――海、青空、太陽、雲

私はただこれを求めていたんだ。

私は砂浜に立ち尽くす。その時の私には、大勢の海水浴客など眼中に無かった。

私は両手を思いっきり天に伸ばす。

今日だけ……せめて今この瞬間だけでも、私は戻りたいと思った。海辺(ここ)に住んでいた頃の、天真爛漫な私に。

いや、戻るんじゃない。()()戻るんだ。これが本物の私なんだ!

海水浴客を横目に、私はコンクリートに座り海風に吹かれながら海を眺める。

海を眺めていると、あの時のことをいろいろ思い出した。小学1年生の頃だったかな。海水浴とはまた別の、誰もいない浜辺で私は友達と貝を探していたんだ。あそこが何処か分からないのが惜しいくらい。場所が分かったらまた行きたいな。

他にも……あれは幼稚園の頃にまでさかのぼる。多分貝探しと同じ場所で私は水遊びをしていた。ただ水をかけ合って戯れるだけ。そんな日常が、私は大好きだった。

この機会がなければ一生思い出すことが無かったであろう、私の海辺の記憶が蘇ってきた。



12.夕凪のファンタズム


私が回想をしているうちに海水浴客は殆どいなくなり、日もあと少しで没するまで低くなっていた。

私は立ち上がり、砂浜に移動した。

風は止み、砂浜には私だけが残されている。それを見守るように夕焼けが私を真横から照らす。

私は夢の世界を独り占めしている。

私は太陽に向かって右手を伸ばす。一番近くで私を見ていて、それでいて一番遠くにいる。それが太陽だ。

その太陽の恩恵を、私は全身で浴びる。

……いよいよ日が没した。

家に帰ったら両親には何て言おう。合わせる顔も、返す言葉もない。宿題は、部活は、塾はどうしよう。何一つ手付かずだ。それでも…………


――あの時からの夢は、全て叶ったんだ。――


私は砂浜に倒れた。



エピローグ


目が覚めると、そこは病院だった。

医師いわく、私は砂浜で倒れているところを通りすがりのランニング中の人に発見されたらしい。

あのままでは亡くなっていたかもしれない。そう告げられた。

どうでも良かった。夢が叶った後で私が生きていても、私を待つのは苦しみだけなんだ。

そんな失望しかけている私に、看護師はこう言った。

「夢は1つ?答えは否よ。」

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