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マリア様が、当家へいらしてから2ヵ月が経ちました。
はじめの一週間は、部屋から出る体力がなく、直ぐに倒れてしまうこともありましたが、元気によく食べ、よく笑うマリア様を侍女も使用人も、屋敷の者、全てが、可愛いがっていました。
2週間目に、監査官が、マリア様に会いに来ましたが、マリア様の監禁に近い様子を聞き、顔を曇らせ、目が不自由であることや、痩せ細った体と身のこなし、教養などから、親の不正についてどころか、世の中すらわからないだろうと判断していました。
あの、坊っちゃまを天使様と呼んで、感謝していたことも、多いに関係しているかもしれません。
坊ちゃまの裏のお仕事は、当家と王家のみが知る秘密です。マリア様には、一つだけ嘘をつくように言い含めました。
ここに居られなくなる事を怖がっている、マリア様は、二つ返信で了承いたしました。
嘘は難しいものでは、ありません。座敷牢の鍵が開いたので、手探りで無我夢中で、男爵家の屋敷の外に出たと、どこだかわからない、どうなったかも、気を失いわからない。そう答えるように言いました。
場所や状況は、坊っちゃまが、買い物帰りの道に倒れていたのを助けた事にしています。
身元がわかるものが無かったのでとい言う理由に、数日後に、捜査官には、連絡しています。
あまりに、直後では、その道にその時間、そんな人は倒れていなかったなど、目撃者がいたりしたら、厄介ですからね。
監査官には、彼女の身柄は、そのまま家で預かりたいと、申し出ました。
怯えている女性を放り出す事は出来ないと…。
マリア様でなければ、私は、躊躇なく放り出しますがね。
屋敷の者は、旦那様からの密命を理解しています。
あの、坊ちゃまが、結婚できるなど、はじめから、そういうものだと、刷り込むしかありません。
それに、素直で、好奇心旺盛ですが、注意はきちんと聞き、スポンジの様に知識を吸収していくマリア様は、皆が舌を巻くほどの記憶力です。
これは、長い目で見れば素敵な令嬢となるやもしれません。
マリア様はことさら、音に対しての記憶が優れているようです。
音楽の教養は、小さな頃から、身につけなければ、きちんと身につきませんから、私どもは、そちらは諦めていました。
ですが、ダンスは、必須。
少しダンスの音楽に、慣らそうと聴かせてみれば、一度で、それを覚え口ずさんでいました。
戯れに、ピアノに触らせてみれば、はじめは、不調和音を奏でていたものの、少しづつ自分の耳触りの良い音を見つけながら、楽しく奏ではじめました。
これには、私も、侍女もびっくりいたしました。
気に入っていた様なので、お部屋にピアノを持ち込んでおけば、暇さえ有れば触るようになりました。
直ぐに、ピアノの教師をつけました。
令嬢の教育に、知識、マナー、音楽、全てを一度、聞いて理解して行き、わからないことは、積極的に、周りに解説を求めていました。
目が不自由な分、理解が難しいことも、多かったのです。それでも、なんの不自由も無い令嬢のように、時折り勘違いしそうな程、優秀でした。
そんな彼女の楽しみは、坊ちゃまが、屋敷に帰って来てから、一緒に過ごす時間です。
人を周りに置きたがらない坊ちゃまですが、目が不自由な彼女からは、目線を気にしなくて済むためか、さほど嫌悪を示されず、今では犬や猫に懐かれたかのように、なんとなく可愛く、思っているようです。
発する言葉数が、それを物語っております。
私が、一番に沢山の言葉数を得ていましたので、少しばかりの、嫉妬は覚えてしまう所です。
マリア様は、驚いた事に、言葉数の少ない坊ちゃまの、言わんとする事を察している節もあります。
当家については、知らない事が多いため、さほどそう見えませんが、彼女のわかる範囲ないでは、私が、坊ちゃまの言葉から察しる事と、彼女の察する事が、同じなのです。
これは、本当に、素晴らしい拾い者だったかもしれません。
マリア様が、坊ちゃまを支えて下されば、坊ちゃまも、他人とご結婚なさるより、心穏やかでしょう。
家柄が釣り合いませんが、まあ、ご主人様が、認めていれば、なんの障害もありません。
私は、暖かく2人を見守って行く事にいたします。
そんな、こんなと過ごすうちに、2年の月日が流れました。
マリア様は、18歳、レオン坊ちゃまは、24歳となられました。
マリア様は、助け出された時とは別人の様な御令嬢に成長なさいました。
健康的な食事に、運動。細かった、手足も健康的な太さへ、体つきも女性らしくなりました。
平均よりも痩せ気味で、身長は、小さめ、ですが、あの状況からの成長です。素晴らしいものでしょう。
それに、元々可愛らしいお顔付きでしたが、さらに磨きがかかり、赤く小さな唇は、ぷっくりと女性らしく慈愛に満ちた笑顔を彩り、光を映さない大きな瞳は、溢れんばりで、長い睫毛に彩られ、不自由な事が嘘のように、存在感があります。小さく通った鼻筋は、彼女の優しさを表しているようでした。
世の男性の視線を釘付けにするような、庇護欲をさそう、儚げな、美しい御令嬢に成長されました。
そんなマリア様ですが、一つだけ、困っていることが、ございます。
耳がいいので、致し方ないのですが…。
雷に、尋常ではない程の恐怖が有るようです。
それは、来た当初からでしたが、なかなか克服することができず、今にいたります。
今は18歳のれっきとした御令嬢ですが、雷がなりますと………。
コンコン。
「そろそろお見えになる頃合かと思っておりました。客間に、ベッドをご準備してございます。」
「たのんだ。」
寝間着姿の、レオンお坊ちゃまが、私の部屋を訪ねて参られました。
本日は、雷が夜半からなりはじめたので、こうなる予感はしておりました。
マリア様は、雷が鳴る日だけは、ご自分の部屋から抜け出し、レオン様のベッドに潜り込まれるのです。
寝入った所をご自分のベッドに移しても、しばらくすれば、また、お坊ちゃまのベッドに舞い戻ってしまうのです。
当初は、犬や猫や子供と寝ている感覚で、坊ちゃまも、そのまま放置していましたが、徐々に成長なされ、年頃となる最近は、坊ちゃまの方が、マリア様が、寝入ったのを見計らい、部屋から出てくる事が増えました。
マリア様に、ベッドを変えられたら起きるのに、坊ちゃまが、抜け出しても、起きない理由を伺えば、坊ちゃまの、ベッドなら、坊っちゃまの匂いで安心して、目が覚めないとの事でした。
匂いですか…。気が付きませんでした。
どうやら、嗅覚も、犬並みなようです。
18歳になったマリア様は、一度王家の主催するパーティーに出席し、貴族会へのお披露目と、男爵令嬢である証明をされなければなりません。
これは、我が主人の思惑の、坊ちゃまとの結婚には、必要な事だからです。
このパーティーには、嫌がる坊ちゃまも、毎年渋々参加されています。
パーティーでのエスコートは、坊ちゃまです。
嫌な様ですが、我が主人の命令です。わざわざ主人を説得に行く気力もないようです。
優しい坊ちゃまの事です、マリア様が可哀想だと思ったのでしょう。
こういったパーティーでの、エスコートのパートナーは、婚約者が肉親と決まっています。
坊ちゃまと、マリア様がら赴かれた場合。
側からみれば、婚約者となります。
豚の剥製をかぶった坊っちゃまの婚約者は、儚げな庇護欲を誘う美女。
どんな陰口を言われるかわかりません。
自分の悪口は、いつもの事であり、豚にて武装している坊ちゃまには、痛くも痒くもないでしょう。
しかし、初めての貴族の場で、緊張するだろう場所で、こころ無い言葉を聞かされるマリア様のお心を思えば、さらに行きたく無くなると、肩が、語っています。
「坊ちゃま。良い機会です。それを外して、行かれたらよろしいんですよ。」
の、その一言が、言えません。
坊っちゃまが、外に出られるのは、あの豚の剥製のおかげです。
人からの好奇な目線が苦手な坊ちゃまには、仕方ないのです。
豚の剥製の方が、そう言う目を向けると思いますが、みな、逆に盗み見るだけで、目を合わせようとはせず、振り向けば、目線を逸らすのです。
あとは、覆われている安心感…。と以前に坊ちゃまが、言っておみえでした。
坊ちゃまのお顔は、あまり知られていませんが、相当な美丈夫です。
お世話している我々は、知っていますが、あの顔で、外を歩けば、確かに人の目線は総ざらいだと、私も思います。
坊ちゃまの奇行のおかげで、その美貌や財産目当ての御令嬢が、奥様とならない事は、唯一の救いではあります。
マリア様は、目が不自由である為、坊ちゃまの髪の色しかわからない様子。
初対面で触った顔は、豚の剥製です。
それでも、坊ちゃまの人柄を好いているように、見受けられるので、我々は、マリア様が、奥様となられる事を心から願っています。
ですが、この計画は、坊ちゃまには、秘密ですから、悟られないように、アシストしなければならないのです。執事の、腕の見せ所と言ったところでしょうか?
側から見ていれば、坊ちゃまも、まんざらでは無い様子。ただ、ヘタレなのは、本家から来る治癒魔法使いにマリア様を合わせない事です。
坊ちゃま曰く、「嫌われる覚悟が、できていない」そうです。
お見合いの度に、御令嬢が、ばったばったと倒れておりましたからね…。
マリア様に倒れられたら…と、思う所があるようですが、私に言わせれば、そんな心配はない様に思います。
マリア様は、レオンハルトと言う人間を見ておいでです。見た目ではなく、中身を…。ですから…。
まあ、ですが、坊ちゃまに、とっては由々しき問題なわけで…。
我々は、静かに見守り最低限の口出しに止め、本人たちの意思を尊重しようと決めています。
坊ちゃま。頑張って下さいませ。
まずは、王家主催のパーティーでの、エスコート、無事果たして下さいませ。