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「行くぞ。」
夜の闇に紛れながら、動く影、その影は、軽々と塀を越え、屋根を上がり、素早く移動する。
先頭を行くのは、リーダーだ。
長く伸ばした金髪を一つに結んだ、その人は、暗闇でも、目を奪われるほどの見目麗しい美男子だった。
涼やかな碧眼の周りには、長いまつ毛が飾られ、すっと通った鼻筋と薄い唇は、彫刻のように整っている。
しなやかについた筋肉と、しなやかに伸びた四肢は、そんな顔からは想像できない、軽々とした身のこなしで、次々に見張りの兵の意識を刈り取りとっていった。
周りに居る、10人程の影も次々に、周りの兵を無効化して行った。
ある屋敷に侵入した、黒い影は、手の合図だけで、その屋敷の主人の部屋と、書斎とその他屋敷の捜索に分かれていった。
リーダーは、この屋敷の主人の部屋では無く、書斎へ向かった。
そして見つけたのは、不正に入手したお金の流れが、書かれた書類だった。それをもち、汚職に塗れたこの屋敷の主人の部屋へ向かった。
主人夫婦はすでに、他の影の者により、意識は刈り取られ、縛られていた。
その側にその書類を放り投げ、床にカードを突き刺さした。カードには、虎の形のマークがついていた。
『さて、これで仕事は、終わり。』
と、リーダーが、踵を返そうとすれば、そこに、1人の影が現れた。
そして、リーダーに耳打ちをする。
「行ぞ。」
リーダーは、その影について、屋敷の奥へと進む。
その後を他の影も追った…。
そしてついた先は、窓がひとつもない、簡素な座敷牢だった。
そこに居たのは、まだ、秋だとはいえ、この寒空に、薄いワンピースを1枚羽織っただけの、12歳くらいの少女だった…。
手足は、細く、寒さに赤切れ、髪はボサボサで、部屋の角で、部屋に唯一ある、汚いシーツに包まり震えていた。
「誰かいるの?」
少女は、震える声で、牢の外に呼びかけキョロキョロと首を動かすが、視線が、違う方を向いている。
そして人が居る辺りには、耳が向けられていた。
「天使様ですか?助けに来てくださった?」
少女の目は、余り見えていないようだった。
でなければ、黒ずくめの怪しい集団を天使などと呼ぶはずが無い。
ガチャ
リーダーは、簡単に、鍵を壊して中に入って行った。
そして、そっとその少女を抱き上げるとそのまま連れて行った。
少女は、極度の空腹と、人肌の温もりに、安堵し、そのまま気を失った。
その顔は、とても幸せそうに微笑んでいた。
リーダーは、そのまま自分達のアジトへと帰った。
メンバーの1人は、虎のカードに、標的の屋敷で拝借したミツロウを押していた。それを届けに、警備の役人がいる場所へそのまま向かった。
これで、明日、街の警備やら騎士やらが、汚職貴族の家に行き、証拠と共に逮捕してくれる。
リーダーは、自室に入ると、ベッドに、担いでいた少女を横たえた。
自身は、シャワーを浴びて、いつもの服に着替えると、ベッドの脇にあるソファーに、脚を投げ出して寝た。
朝になり、こうるさい執事が来る前に、目をさますと、顔を洗い、普段の仕事着に着替えて、忘れずに豚の剥製の被り物をした。
その後、ベッドで、幸せそうに寝ている、あどけない少女を見下ろした。
頬はこけ、髪はパサパサで、唇も乾燥している。
劣悪な環境で、食事や飲み物すらろくに与えられていなかったであろう事が、簡単に推察できた。
しばらく眺めていれば、長いまつ毛を揺らして、少女の目が開いた。
「………。」
少女は、窓からの日差しが、眩しいのか、目を細めて周りを見渡した。
そして、徐に、豚の剥製に手を伸ばした。
「天使様ですか?では、ここは、天国?」
少女は、両手で、しきりに豚の剥製を撫で回す。
「???天使様はお鼻がおっきいんですね?」
レオンハルトは、不思議な反応に、しばらく思考が停止していたが、少女の手を掴みそれを止めた。
「あ。沢山触ってごめんなさい。」
少女は、シュンと、うなだれた。
ぐうううう…。
「天国でも、お腹は空くのね…」
レオンハルトによって、細く今に折れそうな両腕を持ち上げられ、そのままの体勢でうなだれた少女は、張り付けにされたような状態だ。
そんな状態で、少女の腹が豪快になった。
「レオン坊っちゃま、そのまま引っ張っては、引き千切れてしまいますよ。その顔はなんです。(豚ですが抗議している事はわかります)紳士は女性をその様に持ち上げることはしませんよ。しかも、また幼子ではありませんか!?人を人として扱えないどころか、なんと無体な事を…。嘆かわしい…」
こうるさい執事が、朝の支度にやってきた。
少女のだらんと、吊り下げた状態を見て、幼子に、ひどい事でもした様に見えたらしい…。
『まずい状態を見られ、説教がはじまる。』
しまった!とばかりに、レオンハルトは、両手を離した。
少女は、ベッドに力無く落ちた。
「…。」
少女は、少しだけ起き上がり、ボサボサの髪の間から、セバスチャンのいる方を見上げてた。
「だあれぇ?違う天使様?」
「私は、執事長のセバスチャンです。レオン坊っちゃまのお客様…。
主人に代わり紳士に、あるまじき行いをお詫び申し上げます。
では、まず、お召し替えと、食事のご準備を…っっっ。
お嬢様。失礼します。
こちらをご覧になれますか?」
セバスチャンは、観察しながら少女に話しかけた。
だが、不意に言葉を止めると、少女の前に、自身の懐中時計を差し出した。
少女は、首を捻りながら、差し出された手の方ではなく、セバスチャンがいるよりさらに右を見ていた。
「えっと…。すみません。私、目があまり良くなくて…。明暗くらいしか…」
セバスチャンは、やはりと言う顔をして、
「失礼しました。では、杖と、身の周りの世話をする侍女を連れてまいります。それまでは、危のうございますので、そのままお動きになられませんよ。お願いします。
さて、坊ちゃまは、今日は、どうされますか?」
「行く。この子…。ダレンが調べた。ダレンに…」
「「仕事に行く。この子の事は頼んだ。詳しくは今、ダレンに調べてさせている。ダレンから聞いてくれ。」」
で、ございますでしょうか⁈
賜りました。では、仕事着のご準備致します。先に朝食をなさいませ…。」
レオンハルトの、短い言葉をセバスチャンは、正確に読みとっていく。
レオンハルトは、その通りと言わんばかりに、頷き、
「ああ。僕は…」
「「ああ。僕は、食堂に、1人で行くから、この子の事をまずやっくれ。」ですか⁈承知致しました。」
レオンハルトは、頷いた。
セバスチャンは、礼儀正しくお辞儀をすると、数少ない侍女を呼びに行った。
「僕が帰るまで、セバスの言う事を聞いて…」
「はい。天使様。」
「……。僕の名は、レオンハルト。悪いが…天使ではなく、人間だ…。では…」
レオンハルトは、なんとか、頑張って片言で、少女に話しかけた。
「人間?人間?」
人間と言われた少女は、自身の手を眺めた。
脳裏には、先程触った、豚の剥製の感覚だ。
『人間の顔にしては、何か変なような…』
と、首を傾げる少女の心がわかったのか、慌ててレオンハルトは、部屋から出て行った。