⑰別離
「ひどいな……」
闇の法具の暴走は止められたが、目の前の惨状にただただ言葉を失う。
明るい陽射しを映した海は、暗く濁っており、かすかに腐敗の臭いがした。人間に恵みと豊かさをもたらしていた海の生物たちが死滅したせいだ。
「状況が掴めないな。陸のほうはどうなっているのか……。大きな被害が出ていなければ良いが」
「こんなことになるなんて……」
ーーもとは、人間が起こしたこと。
ガジムにも罪はあるが、ガジムを利用した人間がいることも事実だ。
なんの目的かは知りたくもないが、そのせいで法具を悪用した結果がこれだ。
この美しい世界を破壊してしまった。
「どうにかする方法は……」
ラオフィーネは救いを求めるようにリーネに眼差しを向けるが、暗い面持ちで首を振られてしまう。
何ももなす術はないと、現実を突きつけられる。
待つしかないのか。少しずつ年月をかけ、自然の営みによって再生される時を……。
ーー"我の腹に 力は満ちた"
「ダイン?」
闇を喰らい続けていたダインが翼を広げ、ふわりと舞いあがる。
「どうしたのっ、ダイン!? どこへ行くつもり!?」
ラオフィーネの問いに答えたのは、イーフだった。
ーー"ダインは地の竜鳥 かつてこの惑星の大地の一部になった創世の主"
知っている。
地の竜鳥は、遥か太古に存在し、肉体はこの大陸の礎になったといわれている。
ダインはその地の竜鳥の精霊だ。
かつては在った肉体は、既にこの大地と一体になっている。
ーー"つまり ダインであれば この不浄を清めることができる"
「!!」
ダインが細めた双眸で、ラオフィーネを見降ろす。
ーー"我にまかせよ 我はこの世界が愛しいのだ 時を越え 降霊したとき 我らの眠る大地が潤い 命を育む美しい存在だと 誇らしかった"
揺れる双眸の奥には、はっきりとした決意が宿っている。
ダインがこれから何をしようとしているのか、ラオフィーネは理解する。
ーー"我は ふたたびこの大地とひとつになる 肉体がないぶん この力は隅々まで行き渡るであろう"
「待って! ダインーー!!」
ラオフィーネが止めるのも聞かず、ダインは大きく翼を広げたあと、沈むように海の底へと姿を消した。
緩やかに波が立つ。
そして変化は起こった。
黒く濁っていた海は、蒼穹を映し、穏やかな色を取り戻す。
ラオフィーネの瞳から涙が溢れた。
「ダインのばかっ……いっつも勝手なんだから……なんでも食べようとするし、今度は勝手にいなくなっちゃうし……っ」
美しく澄んだ青色を前に、ラオフィーネは大声で泣いた。
哀しい。
離れてしまったことが。
もう二度と会えないことが。
(ダイン……ダイン、さよならも言えなかった! いつもわたしを励まして、何があっても助けてくれようとしたのに……ありがとうも言えなかった!)
寂しさと、後悔と、大好きの気持ちも。
幼い頃からずっと半身のように傍にいた大切なダイン。
こんな別れがやってくるなんて微塵も思っていなかった。
「ラオフィーネ……」
泣き濡れるラオフィーネの肩を、優しくサザナミが抱きしめる。
「アズーラと相見えた今だからこそ、俺にも言えることがある。……ダインはすぐ傍にいる。人も同じだ……例え死んでしまっても、生きていた時の痕跡はこの世界に残っている。声は空気を揺らし、想いは人の心に溶け、どこまでも続いていく。空気はあらゆるものと交わり、心は言葉となって誰かの力となる……すべては一つだ。この世界はそうやって全てを包んで続いていくんだ。だから……ダインはすぐ傍にいる。俺達が忘れさえしなければ……」
「……っ、忘れないよ、絶対に忘れることなんてないっ!」
「そうだな。俺も忘れないーー」
サザナミが語ったのは、世界の理だ。
例え姿は見えなくとも、声は聞こえなくとも、留まり続けるものがある。
ーー"主 哀しむな ダインは別れを言わなかったであろう"
イーフが言った。
天の竜鳥であるイーフは、対のダインがいなくなったことに動揺した様子はない。
ーー"我らは既に一度肉体を失っている だからこそ知っているのだ 永遠を"
「永遠……」
途方も無い言葉だった。
ーー"永遠を知っているからこそ ダインは躊躇いなく飛び込んだのだ"
そう言って、イーフは笑った。
つられるように、ラオフィーネも微笑んだ。
一隻の船が近付いてきた。
こちらに向かって手を振っているのはアウグストだ。
私兵を伴いサザナミを追ってきたのだ。
幸い、カスファールの街は大きな混乱もなく、落ち着いた様子だと聞いて、サザナミは安堵する。
ただ海の状態がおかしいと漁師達が騒いでいるらしい。
領主が捕らわれた今、代わりに采配をサザナミが取らなければいけない。
重度の怪我を負っているハーキマーのこともある。
ボロボロになった密売船は兵達に任せ、サザナミはアウグストが乗ってきた船に移ることになる。
しかし、後に続こうとしたラオフィーネは引きとめられた。
「ラオフィーネ、貴女はこのまま、私達と一緒に行きましょう」
「え……母さま、父さま?」
「サザナミ君と離れたくない気持ちも分かるが、ラオフィーネ、きみのためだよ。キズナをそのままにはしておけない」
「キズナを、どうするの?」
「私の故郷なら、儀式を行って闇の法具を外すことができるわ。もとは……私が降霊させたものだし」
つまり、この法具の呪いから解放されるということだ。
(本当にそんなことができるの? でも、そしたらわたしは……)
振り向いた先にいるのは、サザナミ。
(サザナミと離れることになってしまう……!)
話しを聞いていたサザナミが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
いつものように優しい眼差しのまま。
戸惑うラオフィーネの両手を取ると言った。
「行っておいで、ラオフィーネ」
「!!」
「ずっと離れていたんだ。家族水入らずの時間を過ごすのも良いんじゃないか?」
「で、でもっ」
「俺は、待ってるーー」
そう言って、持ち上げられた手の甲に、誓いを立てるように口付けされる。
「いつまでもラオフィーネを待っている。どんなに時が経とうとも俺の心は変わらない。待ちきれなくなったら、その時は迎えに行く」
「サザナミ……」
「大丈夫だ。安心して行ってこい」
「……うん!」
ラオフィーネは大きく頷く。
(わたし、絶対に戻ってくるから!)
「キズナ、ちょっといいか?」
別れを前に、何故かサザナミがキズナを呼ぶ。
ーー"なんだよ ラオフィーネと離れるっていう文句なら他をあたってくれ"
「そうじゃない。ラオフィーネに悪い虫がつかないように頼んだぞ!」
ーー"それ オレに頼むのかよ!? おまえこそ変なのに殺されないようにしろよな!"
「ああ、頑張る」
サザナミは大真面目に頷いた。
そう、幼いサザナミの窮地を救ったのは、ラオフィーネであり、キズナだ。
注意されても仕方ない。
ラオフィーネも、それだけを懸念している。
(もしも、また法具を使って命を狙われたりしたら……)
王城に補修師はいても、降霊法具を扱える人間はいない。
サザナミの身に何かあったらと考えると、不安で堪らなくなる。
ーー"主 主のその望み 我が叶えよう"
「イーフ……。うん、お願い。ハーキマーさんならイーフと一緒に戦える。だから、わたしが帰ってくるまで皆を守ってくれる?」
ーー"うむ 任せよ"
これで心配事はなくなった。
イーフがついていれば、どんな危険も薙ぎ払ってくれるだろう。
別れを惜しみながら、ラオフィーネは両親と、それから拘束されたガジムとともに船出する。
「必ず帰る」という約束をサザナミと交わして。
お読み頂き有難うございます!
次回、最終話になります。
もう既に予想がつく展開かと思いますが、ラスト楽しみにお待ちください。




