②闇色のキミ
暗がりのなかで久しぶりに見たサザナミは、幼い頃の面影を残しつつも、男らしく端正な顔立ちに成長していた。明るい陽の下でなら、輝く金髪も、深い紫色の瞳も、もっと綺麗に見えただろう。
「本当に、ラオフィーネなのか!?」
さっきよりもしっかりした声が響いた。
(ちゃんと覚えててくれたんだ)
……嬉しい。
たった一度だけのサザナミと出会ったあの日が、ラオフィーネの人生を大きく決定づけた。だから忘れ去られていたら寂しいと思っていたのだ。
でもそれは杞憂だった。髪の毛も真っ黒で、肌も白くない。この暗闇にほぼ同化してしまっているラオフィーネを見失うことなく、サザナミは真っ直ぐに目を向けてくれる。
「そうですよ殿下。ラオフィーネ殿が呪いを解いてくださるそうです」
「アウグスト、おまえっ!」
椅子から立ち上がったサザナミが、側近を叱りつける。
「ラオフィーネだけは巻き込むなと、あれほど言っただろう!」
しかしアウグストに悪びれた様子はまったくない。
「お言葉ですが殿下、このままでは御身が危うく」
「それでもだ! ラオフィーネの身にもしものことがあれば……ゴホッ」
サザナミが苦しげに咳こむ。
ビチャッと嫌な水音がした。血を吐いていた。
「ゴホッ……ゴホッ……くそっ」
「殿下!」
「無理しないで!」
傾いでいくサザナミの身体。ラオフィーネは抱きしめるように腕を広げて上半身を支え、倒れないように両足を踏ん張る。すぐにアウグストも助けにはいった。
「アウグストさん、このままゆっくり寝かせましょう」
「わかりました。殿下! 殿下しっかりしてくださいっ!」
ぐったりしているサザナミを二人でそっと床に横たえる。ラオフィーネは自分も床に座ると膝の上にサザナミの頭をのせた。それから法具の指輪がついた右手で心臓のあたりに触れる。解呪の作業は既に始まっていた。
「アウグストさん、呪いに使われた法具が近くにあるはずです!」
「え、ええ……それならばグルド師が管理」
「今すぐ持ってきてください! 早くっ!」
もう一刻の猶予もないのだと叫ぶと、アウグストが慌てて執務室を出ていく。
サザナミの命は風前の灯火……。
いつ消えてもおかしくない状態になっていた。
(しかもこんな……卑劣なやり方……)
ラオフィーネは怒る。
自分の法具を使ってサザナミの呪いを解析をした。その結果、非常に厄介な手段で呪いをかけていたことが解る。
この時代、呪いの手法にも色々な種類がある。
一般に広まっている呪いの方法としては、紙に呪いの言葉を書き付けたあと、呪う相手の髪や爪などの肉体の一部とともに火に焚べるとか、霊視のチカラをもつ呪い師に生霊を飛ばしてもらうなどがある。子供騙しのようなものから、怪我をさせるくらい本格的な呪いまで存在する。
たが法具を使った呪いはそれをはるかに凌ぐ効果があった。
それは法具に刻まれる『紋様』を用いることが多いからだ。自然界の片鱗を象る「紋様」はそれ自体が"力"となる。
たとえば法具の紋様から呪いに必要な部分だけを引用し"呪いの言葉"をつくりあげたとしよう。それを行使すれば、生霊すら内包してしまう世界の理……自然の摂理のような現象で呪いは具現化することになる。ただこれはほんの一例だ。術師の力量により千差万別。人を殺めることだって出来てしまう。
(単純な紋様を使った呪いだったら、城の法具補修師でもなんとかなったかもしれないけど……この呪いだけはダメね)
普通の紋様を使った呪いなら、それより強い力で押し戻せばいい。そうすれば呪いをかけた張本人にすべて返っていく。そう……呪詛返しだ。
しかしサザナミを狙った敵は相当な手練れのようだ。
呪詛返しを食らうことのないよう、法具そのものを歪んだ力に変調させ、サザナミの肉体と同調するように仕向けたのだ。これではサザナミは命尽きるまで永遠に痛めつけられている状態だ。
(ひどい! こんなの……いつ死んだっておかしくない!)
幸い、こういう場合の対処法も熟知している。
けれど目の前のサザナミの呼吸が静かになっていくのが、ただただ怖い。
ラオフィーネのなかに焦りが生まれ始める。
「ラオ……フィーネ……」
うっすらとサザナミが瞼を開けた。
「殿下。もう少しだけ頑張ってください」
「サザナミと……」
「え?」
「殿下じゃなくて、サザナミと呼んで」
「……サザナミ?」
名前を呼ぶと、サザナミの口元が微笑のかたちになる。
「俺……ラオフィーネと会ってから、法具のこと色々勉強したんだ」
「はい。アウグストさんから聞きました」
「だから……この呪いもどうにかしようって思ったけど、うまくいかなかった」
サザナミが力無く自嘲する。
「俺のカラダ……"闇"が染まっていくのが分かるんだ」
「っ! そこまで気付いて……」
相当、法具について勉強したのだろう。
この世界に存在する物質のすべてに属性がある。木、火、土、金、水、光、闇。法具も例外ではなく、いずれかの属性に振り分けられる。
人間の肉体は魂を包む「光の器」と定義されている。もし器から光が消えてしまえば、魂は留まることが出来なくなるのだ。
そしてサザナミにかけられた呪いは"光"が"闇"へと変化するもの。つまり、死へと誘う呪いなのだ。
(それをサザナミは理解している……)
なんとかここまで踏ん張ってこれたのは、呪いを解くために試してきたことが、完全に闇に染まるのを幾分か遅らせたのだろう。それとサザナミが自身がもともと持っていた闇が濃いからだと、ラオフィーネは考える。
光と闇は表裏一体。闇があるからこそ光があり、光を宿すものは同時に闇をあわせ持っている。はじめから濃い闇を持っていれば、それは闇に対しての抵抗力にもなる。それが今回は良い方向に働いてくれたのだと思う。
(だけど……闇が濃い人は、それだけ心に癒されぬ傷を抱えているから……)
幼い頃から命を狙われてきたサザナミの境遇が強い闇を生みだしたのかと思うと、なんとも言えない切ない気持ちになる。
「待ってて! わたしが必ず解いてみせるから!」
「ありがとう。でも無理はしないでくれ。それにね……俺は"闇色"もけっこう好きなんだよ?」
サザナミがゆっくりと腕を持ち上げる。虚ろな眼差し。視界がおぼつかないのか、宙で腕を彷徨わせたあと、ラオフィーネの髪を一房つかむ。
「だって、深くて濃い"闇色"は、ラオフィーネの髪の毛と同じ色だから。……このまま闇に染まって消えていくのも悪くない」
瀕死の状態のはずなのに、サザナミの言葉は甘い響きを含んでいた。
「お願い……まだ諦めないで」
「ラオフィーネ?」
「せっかくまた会えたんだから、このまま死んじゃダメだよ……」
「うん。……うん、わかってる。泣かないでラオフィーネ」
「泣いてなんか……」
その時、ようやく執務室の扉が開きアウグストが戻ってきた。
隣には壮年の男がいて腕に大きな包みを抱えている。彼がグルド師に違いない。
「お待たせしました! グルド師に頼み、呪いに使われた法具を持ってきましたよ!」
「グルドさん、法具はこちらへ置いてください! アウグストさんは殿下をお願いします!」
言われた通りにグルド師は床に法具を置き、被せていた布をとり払っていく。
「どうぞ。法具補修師殿」
「拝見します」
燭台の灯りを近づけ、法具の表面を確認する。
法具は調度品の壺のような見た目だった。
(思った通りだね……)
グルドが説明を付け足してくれる。
「これは神々からの祝福を受け取るための法具で、来月の国王陛下の生誕祭に使われる予定だったのです」
「それを何者かが悪意をもって法具の根底を書き換えてしまった。……ですよね?」
「うむ。その通り。さすがエルネスタ殿のご息女」
「え、父さまを知って?」
「この国の補修師で、彼を知らぬ者はおりますまい。では、これを……」
グルドが一枚の紙切れをラオフィーネに手渡す。目を通してはっとする。そこには法具の力を歪ませるための紋様が書きつけられていた。
「これって!」
「そこに書かれた意味はお分かりになるはず。サザナミ殿下は、来月の国王陛下の生誕祭に使われる法具の点検をしておりました。しかし……この紋様を書きつけた紙が法具の下に隠されていると気付かず、直接手にとってしまわれたのです」
「それで法具と繫がり、呪いを受けてしまったということね」
「色んな手段で解呪を試みましたが、力及ばずで……」
グルドの瞳に涙が浮かんでいた。責任を感じているのが伝わってくる。城の法具になにかあれば、罪の所在はすべて管理を任されている補修師にある。まして一国の王子の命が危険に晒されたと知れればなおさらだ。
もしもグルドが城を追放されれば、サザナミの味方はひとり減ることになる。それを避けるために、この状況を周囲に悟られないようにしているのもあるだろう。
さまざまな思惑が見え隠れしている……。
「グルドさん、法具、身につけてますよね? 属性は?」
「え、ええ。ワタシの法具は"火"の属性ですが」
「なら相性ばっちり! サザナミ殿下のために、グルドさんの法具も貸してください!」
「殿下のためになるなら、もちろん……!」
グルドが襟元をくつろげて首からペンダントを外す。それを受け取ったラオフィーネは、サザナミの胸の上に置いた。
「じゃあ……始めます! 何があってもその場から動かないで!」
ラオフィーネは紋様の書かれた紙を、右手で握りつぶすと炎が噴き出し、塵へとかえていった。