②紳士の持ってきた法具
「法具」とは一般的に国のあらゆる祭儀のときに使用される神聖な「器」と認識されている。起源は古代、海の向こうの大陸から伝わり、神々の祝福や恩恵を賜わるために特別な金属、そして意味のある言葉や紋様を彫ることで様々な効力をもたらすとされていた。
現代では、王族の戴冠式や、豊穣祭のときなどにしか法具は使われない。そのため一般庶民にはあまり馴染みのないものになっている。
ラオフィーネは荷物袋から、汚れのない真っ白な手袋を取り出すと両手に嵌めた。これは依頼主をまえにして大切な法具を預かる時のマナーのようなものだ。実際に補修するときは手袋はしない事のほうが多い。
紳士が持ってきた法具は全部で三つ。どれも葡萄酒を飲むときに使う盃のかたちに似ていた。
「では、拝見させていただきます」
ラオフィーネはまず一番端っこの法具を手に取った。それから目の上の高さまで持ち上げると、陽の光にかざして表面を確かめる。
(ふーん。なるほどね)
盃の表面には独特な模様が彫られている。これは法具の特徴のひとつで補修師達は「紋様」と呼んでいる。紋様のすべてには意味が込められている。これを理解し、もしも紋様がなんらかの原因で破損しているようなら補修しなければいけない。
「いかがでしょう。直りそうですか?」
窺うような紳士の眼差し。かけている眼鏡のふちが太陽の光に反射してキラリと光る。
「うーん……。そうね……」
ラオフィーネは盃をぐるりと回して表面を確認したあと、中を覗き込み、底もしっかり見てから敷布のうえに置いた。二つめ、三つめも同じようにする。全部見終えると手袋を外した。
「結論から言います。補修をご希望のようでしたが、わたしには直せません――」
「ほぅ。それは何故ですか?」
「良くできてはいるけど、これは三つとも法具の模造品だから。道具修理ならともかく、あなたは法具補修師のわたしに向かって依頼したのよ」
責めるように言ってみるが、紳士は薄い笑みを口元に浮かべている。
「見破られてしまいましたか……」
「どうせ、わたしのこと試したんでしょ? でも残念ね。補修師だったらこのデタラメな紋様にはすぐ気付くんだから」
紋様の種類は数百以上に及ぶ。複数の紋様を組み合わせる時にはルールがある。そうじゃなければ「意味」が無く、法具として成り立たないからだ。
(だいたい、本物の法具を簡単に持ちだせるわけないしねっ)
「くく、さすがですね。では……こちらの法具はいかがでしょう。ああ、これはちゃんと本物ですよ」
紳士が別の包みを敷布の上に置く。
「フィーネ気を付けろよ。この人、ぜってーなんか企んでるぜ」
「わかってるよルオー。気をつける」
ルオーの忠告に気を引き締める。しかし紳士が包みを開いた瞬間、ラオフィーネの頭のなかは法具でいっぱいになった。
「これはとても古い時代……それこそ千年以上まえに、王族がよく使っていた法具だわ」
「そのようです。王城の倉庫を整理をしていたときに見つかったものだそうです。年代まですぐに特定するとは。……すごいですね」
「あたりまえよ。小さな頃からずっと法具と一緒だったんだから」
ラオフィーネは法具補修師の父のもとで、あらゆる法具に慣れ親しんできた。知識は当然として補修の腕前も確かだ。
「この法具……とても優しい祈りが込められてる……」
手のひらにすっぽりと収まるくらいしかない法具。見た目は香水瓶のように細長い形状で蓋がついている。表面には点描のような紋様が一定の間隔をあけて彫られていた。
ラオフィーネは紋様に指先を滑らせる。手袋のことはすっかり忘れていた。
(星の運行と、夜の風をあらわした紋様ね)
太陽が水平線の彼方に沈み、夜空に浮かび上がる星々。その星々が夜明けまでゆっくりと空を移動していく様が紋様としてあらわされている。
そして闇を司る精霊が吹かすといわれる風を模した曲線。これも紋様のひとつだ。紋様のほとんどは自然界の片鱗を形としてあらわしていることが多い。
「これは昔、眠れぬ王族のために眠剤を調合するときに使われた法具ですね?」
「ご名答……で、補修はできますか?」
「無理ね。紋様の欠けてる部分の補修はできるけど、もうなんども使用した後だから、法具そのものの「器」としての機能が失われてる」
法具はあらゆる力を受けとる「器」だ。どんな道具にも寿命があるように法具にも寿命がある。それは補修師にもどうにもならないことだと、ラオフィーネは説明する。
「で? こんな茶番に付き合わせてどういうつもり? あなた王城の人でしょ。王城にもお抱えの補修師くらいいるでしょう?」
「それに、なんの目的があってフィーネに近付いたんだ!」
紳士は周囲を確認したあと声をひそめて言う。
「試すような真似をしたことは謝罪します。わたしの名はアウグスト・シュルツナー。この国の第三王太子殿下の側近をしております」
「シュルツナーって、代々王家に使える名門貴族だよな?」
「その通りです」
紳士……アウグストは名門貴族の次男で、数年前から第三王太子殿下の側近をしている。王都でシュルツナー家は有名で、財力もあり地方支援もしていることから、庶民からの評判も良かった。
(第三王太子殿下……)
眼裏に蘇る記憶。
ラオフィーネはその者に幼い頃会ったことがある。名前も教えてもらった。
「サザナミ王子殿下……」
「そうです。ラオフィーネ・エルネスタ殿。あなたは幼い頃、暗殺者の手から法具の力を使って、サザナミ殿下の命を救ったとききました」
「……はい」
「わたしは殿下に内緒でここに来ました。あなたの力を貸して頂きたくて」
「どういうこと?」
「殿下は以前よりお命を狙われることが多かった。毒を盛られたり、暴漢に襲われるなどはよくありますし、我々も細心の注意を払っていたのですが……」
アウグストの眼鏡の奥の瞳が曇る。
「つい先日、何者かが法具を使って殿下に呪いをかけたのです」
「法具を使ってですって!?」
つい大声を上げてしまい、ラオフィーネははっとして口を押さえる。
(許せない! 法具をそんなことに使うなんて!)
知るものは知っている。
法具には秘められた力があり、それを悪用すれば人だって殺せてしまうことを。
「真っ先に疑われたのは、王城に使える三人の法具補修師達だったのですが、彼らは犯人ではないと殿下はおっしゃいました」
「そうなの?」
「わたしは法具に関してはさっぱりですが、殿下はあなたに救われてから、法具について色々勉強をなさっていたようです。それで王城の補修師には呪いをかけられるほどの力を持った者はいないと判断されたようです」
「え、じゃあ、サザナミ殿下にかけられた呪いは?」
「はい、まだ解かれぬままなのです」
「!!」
法具を使っての呪い。
それを解くためには、法具を使うしかないとラオフィーネは知っている。
(王城にはたくさんの法具があるはず。なのに補修師が機能していないなんて!)
補修師達の数は年々減っている。それと同時に法具に対しての認識も、祭儀に使われるただの道具としてしか見られなくなっている。
「先ほどあなたに見せた法具についても、補修師達の回答ははっきりしないものでした」
「ひどい……」
「殿下にかけられた呪いを解除するために、あなたの父君を訪ねましたが」
「父さまは出掛けてるから」
「なので殿下にラオフィーネ殿を頼ってみてはと進言したのですが、危険に巻き込みたくないと……」
「もう! そんなこと言ってる場合!?」
「殿下の容態はよくありません。一緒にきていただけますね?」
「もちろん! 法具のことなら任せといて!」
法具によってかけられた呪いの解き方も当然知っている。
それには多少の危険が伴うが、それに対しての備えも出来ているのが一人前の法具補修師だ。
(待ってて! 今、助けにいくからね!)
アウグストの馬車に乗り込もうとすると、ルオーに引き止められる。
「オレも一緒に行く。フィーネをひとりで行かせるの心配だから」
「大丈夫だよルオー。わたしには法具がついてるもの」
「それは分かってる。でも」
「心配しないで。あと、磨いた鍋を渡しておいてもらえると助かるわ」
「分かった。気を付けてな……」
「うん!」
心配そうな顔の親友に見送られながら、ラオフィーネは王城に向かう。