①生まれたときから
新章スタートです。
ディントンが部屋を訪ねてきてから数日間、ラオフィーネは何食わぬ顔をして日々を送っていた。
補習師たちが集う部屋で書物を読み、茶を飲みながら他愛のない会話に花を咲かせる。その間、ヴェーテに怪しまれない程度に様子を窺い、行動を見張る。
彼が犯人である可能性はかなり高い……。
サザナミを苦しめた呪い。
呪いを引き起こすために使われた紋様と、同じものが描かれた紙片が、ヴェーテの部屋から見つかった。
あの紋様は法具を冒涜する呪いだ。
美しく正しいものを、力づくで捻じ曲げ、悪用するものだ。
補修師であれば忌み嫌うし、そんな紋様の描かれた紙片など、手元に置いておくことすら憚られる。
(……本当に、ヴェーテさんが犯人なのかな)
ラオフィーネは断定できないでいた。
城勤めができるほどにヴェーテは立派な補修師だ。とても悪だくみをするような愚か者には見えないし、同僚であるディントンの信頼だって厚い。
知り合って間もないラオフィーネですら、ヴェーテは周りに親切で、好感が持てる人柄だと思う。
(たとえば……脅されて、とか?)
ディントンが気になることを言っていた。
『遠目にだけど、城では見掛けたことのない服装の男とヴェーテが話してた』
しかもつい最近の出来事らしい。あまり良い雰囲気ではなかったようで、ディントンはずっと引っ掛かりを覚えていたという。
確かに、気になる出来事だ。
(とにかく、一度、アウグストさんに相談したほうがいいよね!)
ラオフィーネは聞いたことのすべてを、アウグストとサザナミに打ち明けた。
それから数日のうちに、晩餐という名の「作戦会議」に、ラオフィーネだけでなくディントンも招かれる。直接、話を聞くつもりだろう。
サザナミが呪いを受けたことや、ラオフィーネが城にいる本当の理由をディントンは知らない。そのため、急に王子殿下や側近によばれたことに首を捻っていた。
食事をしながら、サザナミは最近の補修師達の仕事のことや、なにか困りごとはないか、などの質問をした。それに対しディントンは緊張しながらも、いつもの調子で淡々と答えていた。
(……王族の、サザナミだ……)
会話を聞きながら、ラオフィーネは思う。
ラオフィーネといるときのサザナミはどこか砕けたかんじで、自分のことを「俺」と言うし、敬称をつけて呼ぶと、わざわざ訂正してくる。
でも今ディントンと話しているサザナミは、自分のことを「私」と言い、王族としての振る舞いをしている。
威厳と気品を持ち合わせたサザナミはかっこいい。
それと同時に、こんなに近い距離にいるのに、身分的にとても遠い存在なのだとラオフィーネは思い知らされる。少しだけ、残念なような、寂しいような気持ちになった。
サザナミが話題を変えた。
ヴェーテの部屋で見つけたいう紋様の描かれた紙片について、質問を始める。
これこそが本題だ……。
ディントンは包み隠さず、見聞きしたことや、法具補修師として天才的なラオフィーネに紋様について確認したくて部屋を訪ねたことも含め、淀みなくすべてを打ち明けた。
「話してくれて感謝する。……ディントン、ひとつ確認したいことがあるが、いいか?」
「はい。なんでしょうか殿下」
ディントンを見るサザナミの眼差しが、一瞬、鋭さを帯びた。
「きみは未婚の女性であるラオフィーネの部屋に訪れ、しかも二人きりで宵の時間をすごしたようだが、彼女に不埒な真似などしていないだろうな?」
「……ふええっ!?」
(聞きたいことって、ソレっ!?)
驚いたのはラオフィーネだ。
他にも色々聞くことはあるだろうに、開口一番にサザナミが確認したのは、ラオフィーネが傷物にされていないかだった。
呆れたアウグストがガクリと肩を落としたあと、ずれてしまった眼鏡を元の位置に正している。
大真面目なサザナミを前に、ディントンもまた平静を保ったまま答える。
「サザナミ王太子殿下、ラオフィーネ嬢には、指一本たりとも触れてはおりません」
「本当か? 神聖なる法具に誓えるか?」
「はい。法具に誓って、やましい事も、邪な気持ちも抱いていないと誓えます。命をかけても構いません」
「そうか……。ならば良い……」
「はい……」
満足そうにサザナミに、ラオフィーネは堪らず声を上げる。
「な、なにも無いですからっ! もし、わたしを、お、襲うとかしたら、イーフとダインが飛び出してくるだろうしっ……!」
「イーフと、ダインて?」
「わたしの降霊法具に宿る精霊だよ」
「!!」
長い前髪の奥のディントンの瞳が、大きく見開かれる。
「法具の精霊……見てみたい。ラオフィーネ嬢を襲えば、見れるの?」
「ちょっ、そういう問題じゃないから〜!」
「ラオフィーネを襲う……だと?」
サザナミが殺気立ち、ふらりと立ち上がる。
一方で、法具の精霊に興味を持ったディントンが、きらきらした眼差しをラオフィーネに投げてくる。
(もう〜!! なんなの〜!!)
見兼ねたアウグストが仲裁に入る。
「殿下! 冗談を間に受けないでください! それにディントン、女子を襲うなど犯罪ですよ。そんなに法具の精霊が見たいのでしたら、私は一度目にしていますから、肖像画を描いて差し上げますよ」
「本当ですか!?」
「ええ、構いませんよ。これでも幼い頃から貴族の嗜みとして、絵画の勉強もしましたからね」
アウグストの計らいのおかげで、やっと二人は落ち着きを取り戻す。
「さあ、話して喉も渇いたでしょう? シェフが特別に用意してくれた林檎の果汁があるんですよ」
今夜も率先して給仕をしてくれているアウグストが、磨かれたグラスに白い液体を注いでいく。
よく冷えていて美味しそうだと、ラオフィーネは思う。
しかし……
"主 それを口にするでない"
"飲むというなら 我が浄化する"
いざラオフィーネがグラスを手にした途端、イーフとダインが顕現する。
突然のことに、ディントンがぽかんと口を開けて瞠る。
「もしかして、毒入りなの!?」
食卓に緊張が走る。
「アウグスト、この果汁は毒味したのか?」
「いえ……頑丈に封が閉じられていたので大丈夫かと思い……」
「シェフが特別に用意したと言っていたが」
「誰の差し金か、吐かせます」
アウグストが油断したと唇を噛みしめる。
"主 これは毒を入れられたのではない"
"大地が すでに穢れているのだ"
「どういうこと……?」
訝しむラオフィーネのそばで、サザナミがふと思い出したように漏らす。
「兄上が私財で購入した土地を、果樹園にしていた……。技術者を雇い、品種改良をしているらしいが……」
「殿下、まさか……」
「ああ。噂を耳にしたことがある。……どうやらその果樹園には野生の動物による被害が他に較べると少ないらしく、なんでも……そこの果実を食べた生き物は死ぬと……」
「そんなっ……!」
ラオフィーネの背筋に冷たいものが走る。
グラスを持つ手が無意識のうちに震えていた。
「ただの面白おかしい噂だと思っていたが、毒林檎をつくる畑だったとはな」
苦々しい表情で呟くサザナミ。
(まさか、サザナミお兄さんが、サザナミを狙って……?)
幼い頃からサザナミが命を狙われていることをラオフィーネは知っている。
その理由は、王位継承権を持つからだ。
次代の王はまだ正式に決まっていない。サザナミは末っ子で上には二人の兄がいる。
王族として生を受けた瞬間から、蹴落としあいは始まっていたのだ。
「どうしたの? ラオフィーネ?」
「あ……ううん、なんでも……」
ラオフィーネの震える手から、グラスを取り上げるサザナミ。
心配そうに見つめてくる瞳はとても優しくて、胸がぎゅっと締めつけられる。
「ごめんね。俺のそばにいたせいで、危険な目に遭わせてしまって」
「違うよ! そうじゃない……そうじゃなくてっ……」
(一番、辛いのは、サザナミでしょ……)
言葉に出せないまま、泣きそうに顔を歪ませたラオフィーネの頭を、サザナミは優しく撫でる。
温かい手のひらの熱が、胸のなかにも染みわたっていくようだ。
イーフとダインは役割を終えたと、すでに姿を消していた。
念願の法具の精霊を見ることができたディントンが前髪を掻き上げた。
美しい顔が露わになる。そして言った。
「サザナミ王子殿下、少し前、城の"ある法具"に異変を感じました。同時期に、殿下が黒い影に覆われているのを見ました。でも、それが消え去ったあとに、ラオフィーネ嬢が現れて……。一体なにが起こっているのでしょうか」
ディントンの緑灰の瞳が、まるですべてを見透かすように煌めいていた。
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