②王子様
(わたしの名前は、ラオフィーネ・コルドン)
心のなかで己に暗示をかけるように唱える。
目の前にはアウグストの背中。
そしてその向こう側はサザナミ王子殿下の執務室だ。
顔を合わせるのは、二日前に呪いを解いて以来になる。
もっともラオフィーネは知らないだけで、サザナミは密かに会いにいきていたのだが……。
「いいですか? 貴女と殿下は初対面です」
「わかっています」
ラオフィーネはしっかりと頷いた。
それを見届けたアウグストが執務室の扉を叩く。
間を置かずに、すぐに「入れ」と返事がかえってきた。
先にアウグストだけが中に入り、ラオフィーネは扉の前で待つ。もともと、そういう段取りだったのだ。
かすかに声が漏れ聞こえてくる。
「殿下、わたしはこの度、グルド師の弟子の弟子……を一ヶ月の間、助手として雇うことに……」
交わされる二人の会話に、ラオフィーネは落ち着かない気持ちでいた。
実は朝からずっとソワソワしていたのだ。
真新しくて高価そうな制服に身を包んでいるのも、落ち着かなさを助長させているのかもしれない。
いつもこの暖かい季節に着ているのは、綿でできた足首までくる長い丈の締め付けが少ない服だ。
しかしこの制服は、薄く軽く織られた上質な麻の上衣に、重ねるように履いた下衣は、滑らかで光沢があることから、おそらく絹を使っている。
さらに職人技としか思えない緻密な刺繍と、ところどころに真珠が縫い付けられた豪華な腰帯……。
制服だから、助手としての役目を終えたら返すことになるだろう。もしも汚したり破いてしまったらどうしようと心配になる。
それに他にも気掛かりなことがあった。
(サザナミには、わたしが助手になることまだ言ってないんだよね)
あくまでラオフィーネ・コルドンとして紹介されることになっている。
(サザナミ……わたしが働くこと、どう思うかな?)
びっくりするとは思う。
(喜んでくれるかな? でも、迷惑だって思われたらどうしよう……)
補修師として一流の腕を持ちながらも、ラオフィーネの心は少女のままだ。
不安に心が押し潰されそうになる。
扉が薄く開かれた。
これはアウグストから入室しろという指示だ。
ラオフィーネは目を伏せて執務室に入り、しっかりと扉を閉める。
注がれる視線と、はっと息をのむ音……。
「初めまして。ラオフィーネ・コルドンと申します。生誕祭までの短い間ではありますが」
「ラオフィーネ!」
用意していた口上の途中で名前を呼ばれて、ラオフィーネは思わず顔を上げる。
瞳を射抜く眩い黄金色。
それは窓から射しこむ光に透けたサザナミの髪の毛だった。
(きれい……)
見惚れてしまう。
まるで芸術品。もしくは、万物に恵みをもたらす太陽神の使いが、地上に舞い降りてきたかのような神々しい光……。
「ラオフィーネ、きみなのかっ!?」
もう一度名前を呼ばれて、ラオフィーネはこくこくと夢中で頷いた。
次いで、サザナミの濃い紫色の瞳が見えた。
(……良かった……嫌がってないみたい……)
ラオフィーネは心の底から安堵する。
予想していた通り、サザナミは最初は驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうな笑顔になってくれた。
「殿下、あくまで彼女とは初対面という設定ですからね。お忘れなく!」
「あ、ああ……わかっている」
ごほんと一つ咳払いをしたあと、サザナミは表情をキリリと引き締める。
「ラオフィーネ・コルドン。貴殿の助力に感謝するとともに、これからの働きに期待している」
「……はい」
「その、まあ……アウグストは人使いが荒いからな、困ったことがあれば、いつでも相談するといい」
「ありがとう……ございます……」
(……なんていうか)
ラオフィーネの胸の奥がふわりとする。
頰が熱を持っていくのが分かる。
(なんていうかサザナミって……"王子様"なんだぁ……!)
なにをそんな当たり前のことを、とアウグストが聞いていたら呆れるだろう。
だけど改めて実感してしまう。
背筋の伸びた堂々とした佇まい。
そこにいるだけで、光の精霊が集まって祝福しているかのように、ぱっと明るく見える存在感。
男らしい低い声は、微かに甘やかだ。
高価な宝石よりもずっと綺麗な紫色の瞳。
世間の女性達が、サザナミに夢中になるのも理解できる。
それと同時に思うのだ。
(こんな、かっこいい人を傷つけるなんて許せない!)
サザナミを陥れようとするなんて、アルベール国の女性全てを敵に回しているようなものだ。
「……ラオフィーネ?」
何も喋らないラオフィーネを心配そうに覗き込むサザナミ。
揺れた空気から、爽やかな薄荷の香りがした。
「だ、大丈夫です!」
ラオフィーネは、一歩後ろに下がった。
「サザナミ様。……生誕祭、ぜったいに成功させましょうねっ!」
「あ、ああ……」
急に意気込んだラオフィーネを一瞬不思議そうに見つめたサザナミだったが、すぐにまた優しい笑顔を向けてくれる。
今度は胸の奥がどきどきした。
挨拶を終えたラオフィーネは、王城の回廊で一人ぽつんと佇んでいた。
アウグストには忙しいから構っていられないと言われた。
別に問題はない。ラオフィーネにはやるべき事があるのだ。
(よし! 犯人探し開始!!)
ラオフィーネは、慣れない回廊をひとり歩き始めた。




