①露店の少女
アルベール国。首都ゼノス。
その城下町の一角に、ラオフィーネ・エルネスタは店を構えていた。
店と言っても、敷布を広げただけの露店だ。
【どんな道具でも直します。ご相談ください】
手書きの立てかけ看板には、はっきりとそう書かれていた。
「本当にどんな道具でも直せるのか?」と、まだ年若いラオフィーネを揶揄って聞いてくる者もいる。
そんな時、ラオフィーネは決まってこう答えるのだ。
「もちろんです! 切れ味の悪い包丁も、焦げがついてしまった鍋や、装身具の補修まで、なんでもご相談くださいっ!」
その瞳は自信に満ち溢れた琥珀色。滑らかな肌は、海を挟んだ隣国の先住人の血を含んでいるのか赤銅を薄めた色をしている。
低いけれどすっとした鼻に、ふっくらと小さなクチビル。
真っ黒で癖のない髪の毛は、三日月を転がしたような眉の上と、肩の下あたりで切り揃えられている。
誰もが美しいと称える世間の令嬢達の、抜けるように白い肌や、眩い金色の髪の毛とはかけ離れているが、どこか奥深く、秘められた「美」を感じさせる容姿だ。
「フィーネ、今日も鍋磨き?」
話しかけてきたのは隣の露店で靴磨きをしている、十七歳のルオーという名の男子。栗色の髪に、青空のように澄んだ瞳。ひょろりと背が高いから遠くにいてもすぐに見つけられる。
ルオーは、差し入れだよ、と言って林檎をひとつ敷布に置いてフィーネの隣に腰を降ろしてくる。二人は一年ほど前に知り合い、今では親友と呼べる仲だ。
「そうよ。鍋にひっついた焦げを取ってるの……よしっ、終わった!」
「お疲れ〜」
「ルオーは? きょうは何客磨いたの?」
「オレは三客やった」
「わたしは二客……負けたっ……」
負けたと言っても、さほど悔しい顔もしていないラオフィーネ。
(任された仕事を、誰の力も借りずにやり遂げて、しかもお金が貰えるというのは達成感あるよね!)
そう満足気に微笑むと、そばに置いてある水の入った桶に両手を浸す。
右手の人差し指には真っ赤な石が埋め込まれた指輪。左手首には複雑な紋様が彫り込まれている黄金の腕輪。これはラオフィーネが片時も離さず身に付けている、父から譲り受けた装身具だ。不思議なことに、焦げ付いた鍋を洗っても一切曇らず、傷ひとつ付いていない。
丁寧に手を洗い、乾いた布で拭ってから、ラオフィーネは林檎に手を伸ばす。
「いただきます」
「は〜い。召し上がれ〜」
熟れた林檎に齧り付くと、ジュワッとあふれた蜜の瑞々しさに頬が緩む。
「フィーネ、明日もくる?」
「んー、晴れたらね……」
「じゃあオレも。明日も来ようかな」
ラオフィーネの住まいは、この城下町から少し離れた森の奥にあった。
そして週に二、三度、こうして森から出てきて小銭を稼いでいる。とくに生活に困っているわけではなかったが、退屈しのぎに一年前から露店で道具修理の仕事を始めた。
唯一の家族である父親が仕事で家あけることになったのが一年前。
父親は腕のいい補修師だ。とにかく色んな道具を直していた。
ラオフィーネも幼い頃から見習いをしていたから、父親がいる時は、いくつか仕事を任されたりもした。だから父親がいなくなって何もする事がなく、暇になってしまったのだ。
こうして露店で働いているおかげで、充実した日々を過ごせている。
「ねえ、ルオーはちょっと働きすぎじゃない?」
「そうかぁ?」
「そうだよ。だって靴磨きにあとは、夕方からは酒場で働いてるんでしょ? 少しは休まないと体に悪いよ」
「んー、だってオレ、金を貯めたいし」
「そうだったの? はじめて聞いた……」
「うん。つい最近、そう思い始めたばかりだから」
「ふーん……」
ラオフィーネは、空返事をしながら林檎を齧る。
甘くて、蜜がたっぷりの林檎。
いつもいつもルオーは、ちょっとした差し入れをしてくれる。
そのちょっとした……は、美味しいものばかりで嬉しい。
親友のルオーの実家は城下町で青果店を営んでいる。
長年続いている老舗らしく、ルオーはその一家の末息子。店を継ぐのは長男だと決まっているようだ。それを考えると、いつかは家を出て独り立ちしないといけないから、お金を貯めたいと思うのも頷ける。
「フィーネは女の子だから」
「っぐ……なんの話?」
「フィーネだって、いつか誰かの嫁になるだろうってハナシ」
「っ……ゴホッ……ゲホ……」
盛大に咽せるラオフィーネ。
一体いつから、お金を貯める話から、嫁にいく話になったのだろう。
「オレは男だからさ……嫁をもらうなら、金が必要になるなって」
「ああ、そういうことね。でもそれとわたしが嫁に行くのは全然関係ないじゃない。それにルオーは、わたしが結婚出来ないって知ってるよねっ⁉︎」
ラオフィーネは親友に抗議する。
(わたしの事情……知ってるくせに……!)
親友だからこそ、打ち明けたラオフィーネの、とある事情。
それを忘れたとは言わせない。
改めて睨むと、ルオーは逆に真剣な目つきになる。
「でも、好きになったらそんなの関係なくね? 相手の事情がどうとか、さ……。フィーネは好きな奴とかいないんだよな? そろそろ嫁にいったって良い歳だし、オレは……ラオフィーネさえ良いなら、」
ルオーの言葉の続きは、石畳みに響いた車輪の音で掻き消された。
周囲にどよめきが広がる。
立派な屋根付きの馬車が、ラオフィーネの露店の前にとまった。
「こんな狭い露店街に……馬車でくるなんて……」
とくに家紋のようなものは見当たらない。でもその立派なつくりから金持ちが乗ってるのは間違いないだろう。こんな露店街に何の用だ、とみんな珍しがって眺めている。
馬車の扉が開いた。
中から出てきたのは、いかにも富裕層といった身なりの紳士。歳は二十代後半くらいで、眼鏡をかけているから知的な印象を受ける。
紳士は迷うことなくラオフィーネのいる露店の前にくると、恭しく腰を屈めて一礼した。
「失礼――、法具補修師のラオフィーネ・エルネスタ殿で間違いないだろうか?」
「……あなた、誰?」
見ず知らずの他人に名前を呼ばれ、訝るラオフィーネ。
(しかも、わたしの本業が【法具補修師】だって誰に聞いたの? 父さんの知り合い?)
警戒するラオフィーネに気付いて、ルオーが庇うように前に出る。
紳士は落ち着いた様子だ。
「私は、とある方の使いでやって参りました」
「とある……お方?」
「で、こんなとこに、何の用できたんだ?」
「まずは、これを見て頂きたいのです」
紳士は手に持っていた包みを敷布の上に慎重な手つきで置く。
それから幾重にも重なった布を取り払った。
中から現れたもの、それがラオフィーネには何かすぐに分かった。
「法具……ね」
「そうです。この法具の補修をお願いしたいのです」
紳士の眼差しは、どこか挑戦的な色を含んでいた。