激突
黒の塔八十三階の某個室。
そこでは二人の女性がいる。
「だから私は拉致されて連れてこられたって言ってるの。
私を見逃してほしいのよ」
「セリア殿が何と言っても私はファイ様のことを信じるであります。
百歩譲ってそれが本当だったとしてもファイ様の考えあってのこと」
「なんでそう頑ななのかな」
セリアは額に手を当てる。セリアはイーヴァに何度も説得を試みていた。
イーヴァはファイを心底信じ切っており、こちらの話を聞く気配が全く見られない。
まるで強い暗示にでもかけられているようにも見える。
ここで彼女たちのいる塔全体が激しい揺れに見舞われる。
原因はファイがユウに向けて放った魔力の爆発である。
それはおそよ二十階離れたこの部屋にも伝わってきていた。
イーヴァは塔を襲う振動を受け、明らかに動揺をみせる。
塔は本来地震などがあっても影響を受けない構造になっている。
その上塔の周辺は地震などが起きにくい地層である。
初めてのことに驚き、怯えるイーヴァ。その振動は小さいものを含めながらも続いていた。
下からの振動ではない。上からのものだ。
ドリアの実験が考えられるが、ドリアはここまで大きな振動を伴うような実験を行わない。
そもそもドリアはファイに塔の中での実験を禁じられている。
ならば誰か。ファイ本人に意外に考えられるものはいない。
イーヴァはその異様な状況を理解する。
「…まさかファイ様が戦ってるのでありますか?」
セリアはイーヴァのその一言に言いようのないような嫌な予感を覚えた。
「イーヴァ、ここを出ましょう」
不安そうにするイーヴァにセリアは立ち上がり手を差し出す。
「…ですが私はセリア殿がどこにもいかないように見ているよう言われております」
いきなりのセリアの声にイーヴァは戸惑っていた。
「なら私と一緒に来ればいい」
「それだとファイ様の命に背くことに…」
イーヴァのファイに対しての在り方は洗脳に近い。
愛情という歪な鎖に縛り付けられる関係。セリアはやり取りをしてそれを感じ取っていた。
「イーヴァ、あなたは何がしたいの?」
「私は…」
イーヴァは口を開く。
黒の塔九十九階、宝物庫。
ユウの着ている服はぼろぼろだった。その横では巨人が地面に背をつけている。
「驚いたな、この姿の私を投げ飛ばすとは」
ファイはゆっくりと起き上がる。
「あんたは確かにすごいが、あんたの一撃はヴィズンの一撃には遠く及ばない」
俺はぼろぼろの服でファイに向かって言い放つ。
ファイの放つ巨人の一撃は凄まじいが、あの魔神の一撃の圧倒的な絶望には遠く及ばない。
「ヴィズンとは、大きく出たな。『極北』の魔神の名を語るか」
ファイはのっそりと立ち上がる。
「今度はこっちの番だな」
俺は収納の指輪から、石を取り出し振りかぶる。一直線に石がファイ目がけて飛んでいく。
一つ受けるとファイを貫くような衝撃が襲い、肉がえぐれた。
「この程度…」
無数の石がこちら目がけて飛んでくるのが見え、ファイは咄嗟にそれを両手でガードする。
超高速の石が雨あられのように降り注ぎ、鋼鉄よりも硬いはずの腕の肉が削がれていく。
「馬鹿な。この私がただの投石ごときで」
ファイは巨人の体がダメージを受けていることが信じられない。
魔力でできた体のために回復ならすぐにできるが、元に戻すには魔力を消費する。
受けているだけではじり貧である。
ファイは跳躍し、ユウに接近し、思い切り殴りつける。
巨人化したファイの攻撃である。人間ならば瞬時に肉片と化している代物だ。
それを俺は踏ん張って飛ばないように足元に力を逃す。
一撃で足元は地面に埋まり、衝撃がユウの背後の足元に無数の亀裂を生み、床が瓦礫に変わる。
「…この状態の私の渾身の一撃を生身の人間が受けきるだと」
目の前で物理を越えた力を目の当たりにし、ファイは声を上げる。
「お返しだ」
俺はそれを耐えきるとファイの懐まで進み、一撃を見舞う。
拳が体にめり込みファイは悶絶しそうになる。
だが、ファイは右手を打ち付け、俺を釘のように地面に突き刺した。
足元から俺は飛び出ると頭突きをファイの顔面に放つ。
ここからは互いに一歩も引かない殴り合いになる。
人と巨人の殴り合いである。
それは互いの意地と譲れないものをかけた攻防。
ユウは地面に足を埋まらせながら踏みとどまり、さらに反撃してくる。
ファイにはすべてが信じられないことだった。
体積も質量も違うはずの一人の人間が巨人と化した自身と殴り合っている。
リーチも違う、体格も違う、質量も違う、吹けば飛びそうな小さな体の男が
巨人と化した自身と一歩も引かずに打ち合っているのだ。
人間なら一撃で絶命していてもおかしくない攻撃を受けつつ、
ユウはファイに向けて数歩踏み出し拳を繰り出してくる。
一撃一撃に鋼鉄のはずの体に槍で貫かれたような衝撃を感じる。
怖ろしいのは、その動作が怖ろしく速いことだ。
距離が離れているために、ファイはぎりぎりでそれを見切れた。
『魔眼』は魔族のもつ能力の一つであり、ファイは魔族の血も受け継いでいる。
そのためにファイはユウと同じように空間自体を認識することができる。
その感覚を使っていなければ見失っているであろう動作。
自身の姿が巨人でなく、人間同士の戦いであったのならば気が付かないうちに攻撃を受けている。
打ちこむ際の三歩という間合いがファイに有利に作用していた。
ユウの肉体はこの世界で最高峰の神滅魔法メギドや、ヴィズンの全力の一撃、
さらにパールファダの権能『光炉』にまで耐え抜いた肉体である。
呪いで魔力が使えないとはいえ、生半可な攻撃ではユウは倒れない。
ユウはファイとの攻防で体の節々に鈍い痛みを感じ始めていた。
口の中に鉄の味が広がり、全身が軋む。
鋼鉄のように固い拳の一撃に意識が飛びそうになる。
ユウは飛びそうになる意識を必死に手繰り寄せる。意識を手放せば終わりだ。
打ちこむには三歩前に出なくてはならない。リーチの差は大きい。
幾ら足を踏ん張ったとしても一発で間合いから押し出される。
踏み込んで一撃を打ち、打ち返され、もう一度踏み込むんで一撃その繰り返し。
靴は敗れ去り、素足。踏ん張る足が地面にひびを与えていく。
圧倒的に不利な状況ではあるが、ユウはここで引かない。
引いたらあの日常は二度と手には戻ってこない。
互いに一歩も譲らぬ攻防。二人の足場は既にぐちゃぐちゃに壊れている。
引いたのは優位であるはずのファイの方だった。
ファイは上に飛んで距離を取る。
ファイとしてはもう少しそのまま打ち合うことは可能だったが、
巨人の肉体を長く維持するには多大なる魔力と精神力が消費が必要になる。
ファイは天上に張り付いてこちらを見下ろす。
巨人の表情は後ろに引いたという事実からくる屈辱に怒りに染まっていた。
「次に放つのはこの私の渾身の一撃だ。貴様はここで殺す。私によって殺されなくてはならない」
ファイが宣言するとファイの巨人の体の形状が変化する。
上半身はミサイルのように尖っていく。下半身には無数の足が生えている。
なりふり構わずといったところだろう。
魔素で体を構成しているゆえに、ファイはイメージで体を作り変えられる。
貫通という点に特化したそれはいかにこの塔の強度が高いとは言え、
全力ならば数階を隔てる仕切りすら破壊することができる。
ファイが温存していた対ゼームスのための切り札である。
通常の精神状況ならばそんな技はこの塔内部で放つことはないが、
今のファイは怒りの感情で理性を失っていた。
「この一撃を耐えた個体は存在しない。誇りに思うがいい。
人相手で私にここまで出させたのは貴様が初めてだ」
ユウはそれを見上げながら考える。
直感的に肉体ではアレを受け止めることはできないと理解する。
避けることはできるかもしれないが、それでは奴に勝ったとは言えない。
今から放たれるのはファイの正真正銘の全力。これを打ち砕くことが奴を打ち砕くこと。
だが、今の俺にその力はない。
ならばどうするか。
「こい」
ユウはそう言って始源魔法を使い、遠く離れた落ちた『天月』を手に呼びせる。
ユウの持つのは彼の持ちえる魔神ヴィズンが造り上げた最強の武器。
ただし、ユウは鞘は抜かない。これは互いの心を折る戦いなのだから。
ユウは全身を襲う激痛に歯を食いしばりながら魔力をその剣に込める。
自身の持っている魔力を使えば残りわずかな寿命も削ることになる。
だが、ユウはこの相手には全力で相手をしなければ勝てない気がした。
鞘の隙間から黒い靄のようなものが発生し、まとわりつく。
お互いに相手を見つめ合う。
それは互いに最大の技を繰り出す準備ができたという合図にもなった。
「行くぞ」
ファイの掛け声とともにファイの足場だった天井にヒビが入り、ファイが消える。
巨大な質量物が怖ろしい速度でユウ目がけて飛んでくる。
ユウは全力で『天月』を振りぬく。力と力のぶつかり合いである。
巨大な力がぶつかり合い、轟音を上げ、揺れるはずのない塔を揺らす。
巨大な力のぶつかり合いで空間そのものが揺れているのだ。
その揺れは今までとは違う種類のものだった。
ファイは壁に叩きつけられていた。壁にぶち当たったように先はひしゃげている。
ユウはヒビの入った鞘のついた剣を持ち、その場所に立っている。
ユウの立っている場所は陥没し、魔力で作った体はねじ曲がっている。
「…私を撃ち返した?馬鹿な…」
避けるのではなく、撃ち返された。それは飛んでくる巨大な隕石を撃ち返すようなものだ。
ユウは片膝を地面につけた。外部的な傷もある上に、『天月』を全力で使ったダメージがある。
ユウの体は外側からも内側からも限界に達していた。
もう一度『天月』は振れない。
「ならばもう一撃…」
ファイは再び『魔眼』を使い、魔力を集め始める。
次の瞬間ファイの体を纏っていた魔力が瓦解する。
ガラスのように割れた破片が魔力に戻り、大気に霧散していく。
がくんとファイの体から力が抜ける。
「…反動か」
ファイが両目から血の涙を流す。全身が鉛のように重く立ち上がることはできない。
そのファイの目の前を剣を杖代わりにしてユウはやってくる。
「セリアは返してもらう」
それだけファイに対し言い放つと、ユウは背を向けて去ろうとする。
このままユウを返すことはファイは自身の敗北を認めるということだ。
力を信奉するファイにとって自身の敗北は到底認められないものだった。
「認めん、認めんぞ。この私が負けるなど」
ファイは執念で体を起こす。
その表情からは初めのころに見せた余裕など微塵も感じられない。
「私は貴様を認めない。認められるものかっ」
ファイは叫ぶ。目から黒い液体を流しながらファイは執念で手に黒い槍を作り上げる。
ファイは振りかぶりユウに向けてそれを投げ放つ。
残された最後の力を込めたファイの渾身の一撃。
「散れ」
ユウがそう言うと、ファイが放った槍はユウに届くことなく砂のように消えていく。
『始源魔法』は原初のプロトコル。この世界を根底から変化させるもの。
創造神のみが使ったといわれる奇跡の力。
『魔眼』は魔力を支配する能力に対し、『始源魔法』はこの世界すべての理を意のままに変質させる力。
『始源魔法』はこの世界において『魔眼』よりも遙かに上位の権限である。
下位の権限では上位の権限にはうち勝つことはできない。
「馬鹿な…貴様の能力は私の『魔眼』の支配力よりも上位の力だとでも?」
ファイはそれを一目で理解する。
突きつけられたのは今の戦いの中でそれを使われていれば勝負にすらならなかったという事実。
「認めなければそれでいい。セリアは返してもらう」
ぼろぼろの姿でユウはファイに再び背を向ける。
去っていく背中にファイは自身の敗北を悟る。
ファイは膝をつき、地面に両手を打ち付ける。
この日、『十天星』の一人が一人の冒険者に敗北した。




