聖王カルナの予言
ラータの街とその周辺で冒険者チーム二つと衝突してからすでに二日。
目的地であるデリス聖王国の国境は目と鼻の先に迫っていた。
エリスは歩きながら冒険者チーム黒豹の時の戦いを思い返す。
二つ、あの戦いでエリスは考えさせられることがあった。
エリスはまるで魔物として子の冒険者チームに追い込まれているような感覚を感じていた。
自身があの状況で狙うべきは各個撃破で選択肢としては間違えていない。
だが相手のチームは相当に連携が取れていて決め手となる攻撃を次々と躱される。
決めにかかろうとすれば投石が飛び、無数のナイフが降ってくる。
一対一ならばそれぞれに勝てる自信はあるが、チーム戦となれば全くの別物だと思い知った。
これが戦闘経験というものだろうか。
新たな発見があり、楽しいとも感じたが、連戦続きで体には限界が迫っていた。
あのリーダーは最後に戦士としての誇りよりも、冒険者としての仕事を取った。
別にそれで相手を責めるつもりもないし、それは当然でもある。
ただ自分自身が自分自身に納得できなかった。
戦士としていつでも死ぬ覚悟はしている。
ただ冒険者としての在り方を考えるのならば生き延びることを優先するべきではなかったのか。
勇者としての在り方を貫いてきたエリスにとってそれは衝撃的だった。
エリスは強いし、事実今まで真に追い詰められたことはない。
だからこそ冒険者チーム黒豹の在り方は彼女の在り方に一石を投じたのだ。
もう一つ考えさせられたことはユウと言う男の存在の大きさだ。
自分の前を行く男の背中を頼もしく感じた。
もちろんユウ殿が来なければ間違いなく倒されていたというのもあるが。
あの時ユウ殿が来てくれた時、なぜか胸が熱くなった。
感じたことのない感情が溢れ出すような感覚。
誰にも頼ることのできなかったエリスは今はこの背中が何より頼もしく感じている。
初めて出会った背中を預けてもいいと思える人間。
今までエリスは誰かを頼ることはしなかった。
勇者である彼女の使命は魔物との戦いの際に先頭に立って突き進むこと。
半年前はこんなことは思わなかった。
サルア王国での経験が彼女を変え始めているのだ。
「思ったよりも私はずっと狂ってしまったのかもしれないな」
エリスはその男の背中を見つめながら呟く。
その時、その男の背がぴたりと止まる。
「どうした?」
「エリス、国境だ」
いつの間にか森は開け、見晴らしのいい丘の上にいた。
懐かしい光景がエリスの目に飛び込んでくる。
半年以上前に確かに自身はここから旅だったのだ。
カルナ聖王からの命を受け、サルア王国に出現したというルプスティラノスの討伐に向かったのだ。
エリスはもう既に何年も経っているような気すらした。
エリスは思わず涙腺が緩みそうになるのを堪える。
今は感傷に浸っている場合ではない。
エリスは思考を引き戻す。
「黒豹は今どこにいる?」
エリスが背後から俺に声をかけてきた。
警戒しているようだ。エリスが警戒するのももっともだ。
実際、目下一番警戒しなくてはならない相手である。
もう一戦仕掛けてくるのならば油断しているであろう目的地直前の今だろう。
冒険者チーム黒豹は『天の眼』を使って追跡していた。
『天の眼』と言うのは『極北』の魔族からもらった人工衛星である。
『ルート』というイヤリングを通して操作ができる人工衛星。
これには追跡機能も備わっており、俺がマーキングしておけば昼夜問わず追跡してくれる。
「起きた後、魔の森を通って北に向かっていった。俺たちのことは諦めたみたいだな」
もう一度の遭遇を警戒したのと、エリスの体力上の都合のためにここまで来たために二日かかっている。
一日寝ていたということで追跡を諦めたということだろうか。
あっさり諦めてくれる相手にはどうしても見えないが、結果オーライというべきか。
「ラータの村で狙撃してきた方もか」
ラータの街中で襲ってきた冒険者チームである。こちらもマーキングしてある。
ラータの街で泊まっていた宿を爆破し、大砲の様なもので狙撃してきた相手である。
デリス聖王国の国境付近は見晴らしが良いため狙われる可能性は大いにありうる。
「そっちはかなり前の分岐道を北西にそれて、そのまま馬車でキャバル方面に向かってる。
現在進行で離れつつあるし、また襲ってくるとは考えにくいな」
見た限りコルベル側の国境付近には兵士の姿は見当たらない。
西の貴族連盟との確執があるために兵士は配置できないとのこと。
あっさりしすぎていろいろと釈然としないところではあるが、脅威はほぼ去ったと思ってもいいだろう。
「そうか。それにしても『天の眼』は凄いな」
「ほんとチートだよなー」
「ちーと?」
エリスが首を傾げ、俺の言葉を反芻する。
ちなみに俺の言葉は始原魔法で翻訳されている。
それに当てはまる言葉はこっちの世界にはないらしい。
「なんか国境付近に騎士らしき人たちがいます」
ベルガの声に俺は目を向ける。
確かに白い甲冑をつけた複数の人間が国境の壁の向こう側にいる。
俺にはそれに見覚えがあった。聖騎士たちの恰好にはいい思い出がない。
エリスと出会ってすぐの頃、火事を起こしてエリスを殺そうとしていた奴等が身に着けていた恰好だからだ。
「聖騎士だな」
「あれが聖騎士…初めて見ました」
ベルガがそれをまじまじと見ている。
聖騎士は法術を扱えるデリス聖王国の騎士である。
そのために聖騎士は子供のころからその専門の教育を受けなくてはならない。
エリスの話によれば法力や法術は体が作られる幼少期から成長期に受けることにより、
その使用に耐えられる体になるとのこと。
また法力や法術を使える聖騎士は一騎当千の力を持つと言われる。
そう言った理由から聖騎士の絶対人数は少ないし、デリス聖王国以外で見ることはないという。
「聖騎士って国境沿いに配置されるのか?」
それもかなりの数が配置されている。ざっと見えるだけでも十名以上。
聖騎士は法力、法術を使う。そのため一般の兵士などよりもはるかに手ごわいらしい。
もし戦闘になれば少しばかり大変なことになるかもしれない。
「…私が先に行く。ユウ殿は後からついてきてくれ」
エリスはそう言うと一人でその集団に向かって歩いていく。
聖騎士の方も気づいたのか、巨体な初老の男がこちらに気づいたのか歩いて向かってくる。
数名の聖騎士が初老の聖騎士の後を追いかけるようにしてやってくる。
次第にエリスとの距離が縮まる。
近づいてみればエリスとその初老の男は大人と子供ほどの体躯の差がある。
大丈夫なのかと心配になったが、すぐにその心配は杞憂に終わる。
その聖騎士はエリスを持ち上げ、抱擁しはじめたのだ。
周囲の聖騎士たちが一斉に膝をつき頭を下げる。
「一年ぶりです。エリス様」
初老の男はがっちりとエリスに抱き着き、エリスに頬づりしている。
エリスが振り回されているその様はまるで大型のネコ科の動物がじゃれているようにも見える。
「久しいな、ハーロウ」
エリスは親しげな表情になっている。
見たところすぐに攻撃されることはなさそうである。
「あちらの方々は?」
「私の仲間だ」
「あ、どうも。ユウと言います」
「ベルガです」
俺はエリスの親御さんに挨拶している印象を受けた。
「わしはそこのライフォーン領をおさめる。ハーロウ・ライフォーンだ」
このおっさん、領主らしい。人は見かけによらないものだ。
「その男はエリス様の従者ですか。ずいぶんとひ弱そうな男ですな」
「ユウ殿は私たちのリーダーで、こう見えて私よりも強いぞ?」
「はっはっは。御冗談を」
ハーロウはエリスなりの冗談と受け止めたようだ。
すでにいつものパターンである。
エリスが何か言いかける素振りを見せるが俺はエリスの腕をつかんで引き止める。
今はそんなことより聞かなければならないことがある。
「ハーロウ、どうしてこの場にいる?」
「偉大なる故人との約束を果たすために」
俺には意味が解らなかったがエリスにはその意味が通じたらしい。
「…では、ハーロウが受け取り手か?」
「…なるほど。我々の待っていた者たちというのはエリス様ということですか」
「…ハーロウなら信頼できるが、偉大なる故人にはせめて合言葉ぐらいは決めておいて欲しかったな」
「まあ、よいではありませんか。こうして会えたのは偉大なる故人の思し召しです」
「ユウ殿、ベルガ、安心していい。ハーロウは引き取り手だ」
エリスは振り返ると俺たちににこやかに語りかけてきた。
ここまで表情が緩んでいるエリスは珍しい。
ハーロウというのはエリスにとっても大切な人間なのだろう。
良くわからないが結果としてハーロウがベルガの引き取り手のようだ。
エリスはなぜか緊張を解いているし、俺も最低限の気配感知を維持しつつ警戒を解く。
「エリスさんは聖騎士の方々と顔見知りなのですか?」
横にいるベルガが俺にこっそり聞いてくる。
「エリスはもともとデリス聖王国出身だ」
「…当代の勇者も同じ名前だった気がするのですが」
「同一人物だ」
俺の一言にベルガの表情が一瞬固まる。
すぐさまエリスの前に出ると頭を深々と下げた。
「聖剣の勇者、エリス・ノーチェス殿、ここまでの道中、私の護衛、深く感謝します」
「冒険者として受けた話だ。そこまでかしこまらなくてもいい。
コルベル連王国第三王子ベルフォード・コルベル・クロニクル殿」
「御存知でしたか」
「旅の初めのころ七宝印が浮き出るのをみた」
ベルガは左手の手の甲を握りしめる。
「なるほど…そういうことでございましたか」
ハーロウはやり取りをみて納得したような表情を浮かべ、ベルガに向き合う。
「ベルフォード殿、隣国の王位継承争いは聞き及んでおります」
「では私を受け入れるという意味はご存じのはず」
隣国の王子を受け入れることは国家間の争いにもつながりかねない危険なことだ。
「ですがそれが他ならぬ、偉大なる故人の御意志であればデリス聖王国に反対する者はおりますまい」
ハーロウはそう言ってベルガに手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
ベルガはその手を握り返す。
俺とエリスは顔を見合わせる。
どうにか今回引き受けた仕事は無事終わったようだ。
その晩はハーロウの屋敷で俺たちへのささやかな歓迎会が開かれた。
山のように盛られた料理の皿がいくつも目の前に並んでいる。
喰いきれる量じゃないだろうというレベルだが、聖騎士と一緒の食卓は食事があっという間に消えていく。
法力や法力を基にする法術は代償として生命力を消費する。そして生命力は食事から摂取される。
俺とベルガはものすごい早さでなくなっていく料理を呆気にとられながら見ている。
「この味、帰ってきたという気がするな」
口に食べ物をつけながらエリスさん。
「はっはっは、良い戦士は食事もきっちりとるものです。
戦士たるもの喰える時に喰っておかねば有事の際にもちませんぞ」
ハーロウが俺の背を叩いてきた。
「はあ」
「…ところでユウ殿。そちらの皿はもういいので」
「…どうぞ」
俺は俺の脇にある料理の盛った皿をハーロウに手渡す。
やばい。大喰らいのエリスが普通に見えてきた。
俺は世の中広いなあとちょっと現実逃避気味になった。
聖騎士が他デリス以外の国で普及しない理由の一つがわかった気がした。
食事も終わると、その場は俺たちとハーロウの情報交換の場所になった。
「それにしてもエリス様が一介の冒険者をなされているとは」
「冒険者の方が国をまたいで動きやすいからな。さすがに私に行商は性に合わない」
「はっはっは。確かにそうですな」
勇者が冒険者しているなど恥かと思えばそうでもないらしい。
「…ところで偉大なる故人ってカルナ聖王のことですか?」
俺は気になっていたことをハーロウに問う。
「はい、カルナ陛下のことです」
ハーロウの答えにエリスは当然のような表情している。
「…聖王カルナは崩御されたはずでしょう?ハーロウさんはいつその予言を受けたんです?」
「陛下が崩御された後、数名に手紙が残されました。サインも筆跡も陛下のものの」
「おそらくそこに今日の日付と場所が書いてあったのだろう」
横からエリス。
「はい。陛下は既にコルベル連王国国王には事前に連絡をとっているとのことでした」
「つまり今日国境で待機していたのは聖王カルナの予言で動いていたということですか」
『予知』の賢者カルナは生前から今回のことをすべて見越して計画していたらしい。
改めて『予知』はとんでもない能力だったのだと思い知る。
「はい。カルナ陛下は存命当時からそう言うことをなされた。
一年近く経つというのにまだ生きていらっしゃられるような気がします」
「私もだ」
エリスとその初老の騎士は苦笑いを浮かべる。
「その予言ってのは他にあるのか?」
「カルナ様から頂いた『予言』を知る人間はそれを決して口にはしません。
また読んだ手紙はその場で処分する決まりになっております。
誰かが知ればその影響で『予知』が変わってしまうかもしれないからです」
なるほど徹底していると思った。
それはカルナの予言への絶対的な信頼が根底にある。
「ずいぶんと『予言』を信頼しているんですね」
「少なくともデリス聖王国に置いてカルナ陛下の『予知』を疑う人間はおりません。
御存命の時はデリスにおける農作物の凶作や、大規模な災害、
北のマルドゥク神聖帝国からの侵略すら言い当てました。
デリスがこうして国として存続できているのは一重にカルナ陛下のおかげなのです。
デリスの民であればそれを知り、感謝しない者はおりません」
「なるほど」
デリス聖王国は国全体がカルナ教みたいなものだろう。
『予知』とかいう規格外の能力のほかにカルナの人柄もあるのかもしれない。
一度だけ会う機会があったが、優しそうな外見だったが、食えないばあさんという印象がある。
一国の一番上に立つ人間が利用されていたらどうにもならんのだろうが。
「そう言えば一つ、わしとあろうものが言い忘れておりました」
ハーロウはしまったという様子でぴしゃりと額を叩く。
「?」
「顔見知り以外の者がいたら早く引き返す様に伝えるよう書いてありました」
「…引き返す?」
俺は意味が解らず首をかしげる。
たしかにいろいろとあって予定より数日遅れている。
本来なら既に仕事が終わってキャバルに着いててもおかしくはない。
セリアが心配しているだろうか。
「そうだな。俺は明日にはキャバルに戻ることにするよ」
その時の俺はカルナの予言の意味を軽く考えていた。
それがどれほど重要で取り返しのつかないことになるとその時の俺は考えていなかったのだ。




