黄昏の分岐点
「パパ」
二人の娘がラーベに駆け寄る。ラーベは二人の子供を両手で抱きしめる。
ラーベの顔は二人の娘の前では緩みっぱなしである。
その点では人間の親子となんら変わるところはない。
先ほどの厳としたのがまるで夢のようである。
横のオズマはラーベの前で片膝をついて頭を垂れている。
「…ふむ、少し人間を見くびっていたようだ。
ユウ殿らのほかに私の存在に数名気付いた人間がいるな」
ラーベは小さくもらしたその一言に、俺は一人だけ思い当たる人間がいた。
(…ジャックさん辺りなら気付いたかもしれないな)
にしてもキャバルの都市は少なくとも十万人以上はいる。
その中で数名を見分けるとか、ラーベさん、どれだけの感知能力しているんだろうか。
「私たちは騒ぎになる前にこの場を去るとしよう」
そう言ってラーベは指をぱちんと鳴らす。するとラーベの背後に白い扉が出現した。
扉の内側からは先ほどの様な異質な存在感はない。
今度のは至って普通の扉である。
「ユウ様。オズマ。今日はありがとう」
「ありがと」
アルバとシエルは扉を開けると当然のようにその中に入っていった。
「ユウ殿。今日は一日娘たちの我儘に付き合っていただき感謝します」
ラーベは恭しく一礼する。
「そうそう、これは私からの贈り物です。どうかお納めください」
ラーベは懐からネックレスを取り出し、俺に差し出す。
黒い真珠のような漆黒の球が真ん中についている。
「あ、ありがとう」
俺は礼を言ってそのネックレスをラーベから受け取る。
「そのネックレスは疑似的な『魔眼』です。これを見たモノへ命令を強制することができます。
効果は一日、一定以上の魔力を持つ者には効果はありません。
使えるのは一日二回までとなっております。詳しくはオズマに聞くといいでしょう」
ラーベの言葉にオズマが頭を垂れる。
精神干渉系の魔道具。…他者への命令とかこれ相当やばいのでは?
『収納の指輪』『天月』『天の目』『黒蜥蜴』そして今回受け取った『魔眼のネックレス』。
これで六人いる魔族(魔神?)たちから俺は五つの魔道具を受け取ったことになる。
改めてみるととんでもない代物ばかりである。
あと残るは一つ。ゼロスからか。
「ラーベ、一つ聞きたい」
俺は去り際のラーベに声をかける。
「なんでしょうかな?」
「さっきの魔族の言ったようになぜ人間を管理しないんだ?」
ラーベの横顔を真っ赤な夕陽が照らす。この男ならばさほど困難ではないだろう。
ただなぜしないのか気になった。
「永遠に等しい寿命の我々の生み出すものは安寧と停滞。安寧と停滞とは死と同義。
それは世界の死に他ならない。人とは世界の可能性。可能性が消え、停滞した世界はもれなく死に向かう。
…かつて創造主はそうおっしゃっておりました。
私は創造主のその考えに同調しております。
ユウ殿、他になにか質問はありますか?」
にこやかにラーベ。
「いいや」
「では、またのちほど」
にこやかにラーベは一礼すると、門の中に消えていった。
俺はガチャガチャと鎧を身に着けた者たちがここに向かってくる音を聞きつける。
警備兵だろうか。人間の気付いた者が動き出した様子。
「オズマ。ここから立ち去るぞ」
「はい」
俺たちは天井に魔族たちが割った窓に跳ぶ。
直後、数人の警備兵らしき人間が大聖堂に踏み込んできた。
俺たちはそれをしり目に大聖堂から立ち去った。
近郊の森にて、クラスタとオリシアとの戦いはお互いに動きを止めていた。
それというのも先刻、大気を通してとてつもない存在を感じ取ったためである。
言うまでもなく原因はラーベである。
ラーベの呼び出した存在が戦闘中の二人に影響を及ぼしたのだ。
「なんだ…」
オリシアは困惑していた。剣を握りしめる手は震えている。
久しく感じることのなかった本能からくる震え。
まるで駆け出しのころに巨大な魔物に遭遇したような感覚。
その存在を感じたのはキャバルの方角からだ。
その理由を考えるが幾ら考えても答えが出ない。
そんな中、一羽のカラスが空からクラスタに向けて降りてくる。
「クラスタ、大変です。…何ですかそんなにぼろぼろになって」
慌てているのかかなり混乱している。
それも纏っているのは魔力ではない。
「しゃべるカラス?…まさか神族…?」
オリシアは動揺交じりの声を発する。
「あ、やべ…」
「…まあいいさ。ここは僕が引いておくよ。次会った時は容赦しないよ」
そう言ってオリシアは剣を収め、その場から立ち去る。
「よかったのですか?見たところ戦闘の途中だったのでしょう?」
「…まあ…あんなのを見せられちゃな…」
クラスタはため息交じりに、手にした双剣を鞘にしまう。
同時に背に具現した二対の翼が霧散する。
クラスタからはさっきまでの闘気が嘘のように消えていた。
「そ、そうです。クラスタ、さっきのは…」
「…あれはラーベのおっさんのところのヤツだ。かなり距離があるんだろうが…びりびりくるな」
「ま、魔神ラーベですか…」
アタは恐る恐るその名を口にする。
魔神ラーベは神族からも畏怖と恐怖の対象でもある。
「状況と場所から見てししょーと大将がらみっぽいな」
「まさかキャバルを消すつもりだとか…」
「そりゃねえよ。ラーベのおっさんがやる気なら人間の都市なんか一瞬で消し去ってるだろうよ。
それにラーベのおっさんはししょーを大将の部下に差し出すぐらい大将を買ってる。
そういう動きがあるなら事前に一言連絡があってもおかしくねえ。
そうしなかったのなら何か別の理由があるんだろーよ」
「そ、そうなのですか?」
クラスタに言われアタは少しだけ落ち着いた。
「そう怖がらなくてもいいぜ。ラーベのおっさんは親馬鹿だが、筋は通す。
それでいて力に振り回されるような愚か者じゃねえ。
何か力を行使せざる得ないような理由があったんだろうよ。
…帰ったらししょーと大将にそのあたりのことを聞かねえとな…ってえ」
血まみれの姿でクラスタはキャバルに向けてゆっくりと歩き始める。
「あ、…しまった」
ふと、クラスタが立ち止まる。
「どうしたのです?」
「あいつの名前聞くの忘れた…」
クラスタは茫然と男が去って行った方角を見つめた。
魔物の侵攻を留め、人々を護るために造られた城壁。
時にそれはスタンピードから人々を護る防衛の要にもなる。
彼の身長の七倍以上はあるが彼にとってそんなことは関係ない。
オリシアはキャバルの城壁を垂直に駆け上がる。
Sクラス冒険者。十天星の一人である彼にとって城壁などないに等しい。
城壁の上に至った時、視界がパッと広がる。
城壁の上から見下ろすキャバルではいつもと変わらぬ光景があった。
夕闇に包まれはじめた通りは人であふれ、家々の煙突からは煙が立ち上っている。
キャバルには変化は全くと言っていいほど見られない。
そして、先ほどの存在感は嘘のように消えていた。
目的は既に済み、キャバルを破壊する意図は無いと考えてもよさそうだ。
オリシアは城壁に立ち例の存在の痕跡を探しつつ、考察する。
それを感じたのはわずかな時間。ここから推測するに今漏れ出たのは何かを行うため。
相手の意図としては、自身の別に知られてもいいから手早く目的を済ませる。といったところか。
…もしくは見せつける為か。
オリシアが今まで経験した最も巨大な存在は竜である。
それすらかわいいと思える気配の巨大さから見て相手は神に匹敵する存在。
そんな存在がいるとすれば極北に住むと言われる魔神。
それはこの世界の頂点であり絶対不可侵とまで言われる存在。
精霊、竜種、神族。それらの最強と言われる種族の中でも一際その存在は際立っている。
オリシアはそこまで考え、自身の手がまだ震えているのに気づく。
彼自身、多くの魔物を屠ってきている。
どんな魔物にだろうと、自身の力を磨くため、自身の限界引き上げるために乗り越えてきた。
それは千や万を越える魔物の屍の山を。
ただ今回それらと異なる点があるとすれば、そんな自身が体の芯からくる震えが止まらないところだ。
こんなことはオリシアは初めてだった。
クラスタと戦闘をしたオリシアはオズマに対しての興味が薄れていた。
その一方で今は彼にとって最も興味を引く最強の存在が近くにいる。それも自身の手の届く場所に。
彼の願望により、極限まで研ぎ澄まされた彼の感覚はその存在を捉える。
その存在の元はご丁寧なことにかすかに魔力の痕跡を残していた。
まるで自身を誘うかのように。
今なら追える。
オリシアはその存在と対峙することを決意する。
果たしてこの世界の頂点の一角に自身の剣が超越者に届きえるのか。
「待っているがいい、魔神」
オリシアは城壁の上から姿を消した。
男は残されたかすかな残り香をたよりに、頂に向かう。




