魔神の力です
キャバル近郊の人気のない森の中、そこには血まみれのクラスタが立っていた。
全身切り傷だらけで出血から倒れないのが不思議といったところだ。
対照的にオリシアは全くと言っていいほどの無傷である。
ただオリシアの表情には本来あるはずの余裕が見られない。
オリシアが斬りつけている感触は岩に近い。
(こいつ、剣より耐久力があるとはどれだけ頑丈だ?まるで大型の魔獣とでも戦っている感じだ)
オリシアの手にしている剣の刃先はぼろぼろに欠けていた。
普通の人間ならば動けなくなるほどのほどの斬撃をその体に受けてもクラスタは膝を折らない。
(それに頭や首などの致命傷はすべて躱されている)
どうやらこのクラスタと言う男はこちらの攻撃が見えているらしい。
それは感なのか、予測しているのか。
おおよそ天性のものだろう。
そして相手が俺に向けての敵意は全くと言っていいほど感じられない。
むしろ楽しんでいるようにも感じられる。
剣術はまだ未熟だが修羅場を何度もくぐり抜けてきたような歴戦の勇士の纏うそれである。
怖ろしいほどのポテンシャルを感じる。まだ伸び代も多く残されている。
ひょっとしたら自分にも届き得るかも知れない。
今食べてしまうにはもったいない。そうオリシアには感じられた。
オリシアは剣を持つ手を降ろす。
「どうしたよ。かかってきな」
「やめだよ。少し惜しくなった」
「…どういう意味だ?」
クラスタは怪訝な表情で問いかえす。
「もうわかっただろう?君と僕とでははっきりとした差があるんだ。
これ以上やっても君は僕に技すら使わせられないどころか、剣を当てることすら叶わない」
オリシアは自身とクラスタのどうしようもない力の差を指摘する。
「ただ君にはまだ原石だ。可能性がある。
時間をかけそれを絶えず磨いたのならば、ひょっとすれば僕といい勝負ができるようになるかもしれない。
これから何十年と折れずに、剣を学び、僕との差を埋められたならもう一度戦ってあげるよ」
言い終わるとオリシアはクラスタに背を向ける。
「もう少しやってみたかったんだがな…まあいいや、本当は止められているんだが今回はいいだろ」
直後、クラスタの背後から魔素で作られた二対の黒い翼を現し、オリシアの足元に羽を飛ばす。
振り返ったオリシアの足元がえぐられていた。
「魔族…本物か」
オリシアは目を見張る。オリシス自身、魔族と対峙するのは今回が初めてである。
同時に今までの頑丈さと二本の長剣を自在に振り回す馬鹿力に納得した。
「さあ、これであんたとの差は埋められたぜ?さあ、命のやり取りをしようぜ」
血まみれの姿でクラスタは笑う。
魔族は人類にとっての天敵とされている。放っておけば自分と同等の脅威になりかねない。
オリシアは芽を早いうちに摘むという思考に切り替えた。
「やれやれ、魔族であるならば手加減する道理はないね」
オリシスはぼろぼろになった剣を投げ捨て、もう一本の剣を引き抜く。
細やかできらびやかな装飾が施されている一方で、どす黒い黒い霧のようなものが刀身に纏わりついている。
彼自身が本気の時に抜く秘蔵の一本。
「カムギムランコレクションの一本。魔剣ヴリラ。イーファベルドと対を成す魔剣」
オリシスが剣を振ると斬撃の衝撃により大地が切り裂かれる。
「君には悪いがここで君の命を摘ませてもらう」
オリシスは剣を構え、腰を落とす。
真っ赤な夕陽の光がその男の横顔を照らす。
魔族特有の翼は隠し、その身はスーツに身を包んでいる。
端正な顔立ちに金色の双眸が怪しく光る。
魔神の一柱。この世界の絶対の管理者。魔神ラーベ。
この世界の魔族を束ねる六体の魔族のうちの一柱である。
「お父様」
アルバが声を上げる。
「迎えが遅くなってすまないね。なるほど。なるほど」
ラーベがぱちんと指を鳴らすと、アルバとシエルを包み込んでいた結界が打ち消される。
俺が本気で駆けた魔石数個分の結界を事も無げに打ち消すとか。
今更ながらラーベは相当な化け物だと思う。
「ユウ殿、オズマ。すまない、どうやらこちらのいざこざに巻き込んでしまったようだ」
ラーベは俺たちの前に立ち止まり、こちらに顔を向け優雅に会釈する。
「…く、くそ。そこの新入りめ…卑怯なマネを」
ここで岩の直撃を受けて気絶していた小柄な魔族が目を覚ます。
俺の小細工で負けた小柄な魔族は負け方に納得がいかないのか怒り心頭である。
まあ、一番すぐに終わる手段を使った俺も悪いのだが。
目の前にいるラーベを視界にとらえ小柄な魔族は絶句する。
「…ラーベ様」
そして、小柄な魔族は声を引きつらせる。
「わかっていないようだな。ゲルゴル。君はユウ様に加減されたのだ。
動きを見切られていなければ、予測した場所に岩をピンポイントに転移させることなどできはしない」
半分はラーベの言う通りでもある。もう半分はこの大聖堂に配慮していた。
「ユウ殿は元私の部下と聞いて手加減をしたのだ。それを君は卑怯な真似と。
キミらは魔族の力を年で測る傾向がある。ただしそれは一面でしかない」
「ボーロン、君もだ。魔族にとって敗北は潔く認めるべきだろう。
ましてユウ殿の仲間を人質をとるなど…恥を知れ」
「ひっ」
ラーベがボーロンに向けて発したのは少し苛立ちを含んだ視線。
それだけでもこの魔族を怯ませるには十分だったようだ。
「ユウ様。一つだけ言わせてください。
ユウ殿に牙をむける魔族がいればそれは我々に牙を向けたのと同義。
我々魔族とて一枚岩というわけではありません。異なる意見を持つモノも多数存在します。
魔族とはその力を持って在り方を通すもの。生死を問わず容赦なく叩き伏せられるよう」
「…わかった」
俺の返事を聞くとラーベは再び二人の魔族に向き合う。
「追放され封印されたはずの君たちがここにいるということは…ブリオンの封印が解けたということか」
カツカツとラーベの靴音だけが大聖堂にこだまする。
「さて質問だ。封印された期間は一万年のはずがまだ二千年もたっていないな。
ブリオンの奴に封印を自力で解く力はあるまい。ならば封印を解いたのは外部からだ。
…君らの封印を解くのを手引きしたのは誰かね?」
頭を上げたラーベが二人の魔族に向いて問いかける。
二人の魔族からはごくりとつばを飲み込むような音が聞こえた気がした。
「答えるつもりはないか…まあいいさ。君らの協力者に口を割ってもらおう」
びくりと二人の魔族が反応する。
それはつまり用済みと言ったも同然のことである。
「いるのだろう?私の娘が今日ここにやってくるというのは限られた者しか知らないはずだ」
ラーベの頭上に巨大な禍々しい門が出現する。
暗く深く、異質なそれは地獄に通じるような瘴気を纏っていた。
門がゆっくりとその扉を開いていく。
扉の中にはただ暗い虚があった。それは闇というよりさらに濃い黒い何か。
虚の中心に巨大目玉が現れる。周囲に小さな目玉が無数に出現する。
とてつもない圧が周囲を包み込む。まるでその虚が世界を塗り替えられたようだ。
それはあのオズマですら顔を青ざめさせ、二人の魔族に残されたわずかな反抗心まで奪った。
殺気ではない。皮膚がピリピリするほどの存在感。
言い換えれば存在感だけでこれなのだ。
敵となり対峙したのならばあの女神にすら匹敵するかもしれない。
俺ははじめてラーベ達と出会ったときのことを思い出していた。
知らなかったとはいえよくこんな化物中の化物に喧嘩を売ったと思う。
「…さて、ボーロン、ゲルゴル。
ユウ殿への無礼と我が娘たちに手を出そうとしたことはさすがに見過ごせない。
私に言い残すことはないかね?」
ラーベは淡々と二人の魔族に告げる。
「我々こそが人間の…いや、世界の頂点に立ち、管理し、導くべきなのです。
なぜあなたほどの方がそれをわからないのですか」
のっぽの魔族が懇願するように声を上げる。
「…変わらんな。まあ、変わらないゆえの魔族か」
ラーベはつまらなさそうにつぶやく。
「それについては論じるつもりはないと以前も言ったはずだ。私は二度も同じことは言わない」
「ラーベ様…」
魔族の二人の表情は絶望に染まる。
「安心したまえ。君らには苦痛は与えない。かつての部下への私なりのせめてもの慈悲だ」
ラーベは無慈悲にそう言いつつ、ぱちんと指を鳴らす。
虚から伸びた黒い触手が二人の魔族めがけて襲いかかった。
それは瞬きの間、刹那の時間。圧縮された時間の片鱗。
人間ならば引きづりこまれたことすらも理解できないだろう。
二人の魔族は反応すらすることなく、虚から伸ばされた触手に捕まえられ、引きずり込まれていった。
すべてが済んだ後、その扉はぱたんと音を立てると嘘のように消えていた。
こうして今回の騒ぎを引き起こした魔族は文字通り消え去ったのだった。




