皇太子
真実の姿を自分の瞳で確認できるようになってから、ラインステラはよく笑うようになった。それまではいつもどこか寂しそうに笑っていたが、今ではパっと花が咲いたように笑い、俯きがちだった顔を上げるようになった娘が可愛くないわけがなく、宰相の父は多忙だったが必ず朝食と夕食は共にし、夜は添い寝までしている溺愛ぶりだった。
そのことをお忍びで遊びにきたアルフォンスに話すと思いっきりしかめっ面をしていたので、ラインステラは不思議そうに首を捻っていたのだが。
ラインハルトは使用人達にラインステラについて詳細を言わなかったが、元々公爵家に古くから仕える使用人達は事情を察したようで、彼女をお嬢様と呼び丁寧に扱った。
人から優しくされることがなかったラインステラは当初かなり困惑して萎縮していたが、使用人達のきさくな態度に徐々に屋敷に馴染んでいった。
また毎日のように訪れる皇太子アルフォンスに、ラインステラの心は次第に開かれていった。
◇◇◇
今日もまたアルフォンスはヘーゼル公爵邸へ足を運び、ラインステラとお茶を楽しんでいた。
「すごく美味しいです」
お土産のアップルパイを口に含んだラインステラが顔を綻ばせる。
その笑顔にアルフォンスは悶えるが、自制心を総動員して表情を緩ませないようにしていた。
この国へやってきた頃ラインステラは魔法のせいで自分が醜く見えていたらしく、いつも俯きがちで顔を隠そうとしていた。彼女の母であるリムステラがかけた魔法は、リンドブルム王国の者のみ彼女が醜く見えるものだったので、バスティーヌ帝国の者からすればラインステラはとてつもなく美しい女性にしか見えず、それは皇太子であるアルフォンスも例外ではなかった。
それにラインステラは隔離されて育ったせいか純粋で可愛らしい。かといって常識外れなわけではなく教養もマナーもしっかりした女性で、彼女に魅かれていく自分を止められず毎日猛スピードで執務をこなし彼女との時間を捻出していた。それが功を奏してなのか、ラインステラが真実の姿を知って明るくなったお陰なのか、最近彼女はあまり俯かなくなりアルフォンスの前でよく笑うようになっていた。
自分に自信を持ったラインステラの輝くような笑顔にアルフォンスの心臓はここの所高鳴りっ放しで、ステラと愛称で呼べるようになった時は王宮に戻った時に嬉しさで回廊を全力疾走して、侍女長にがっつりとお説教をくらってしまっていた。
嬉しそうに自分が持参したパイを頬張るラインステラに、アルフォンスは眉尻を下げる。
「気に入ってもらえて良かった」
「殿下が持ってきてくださる食べ物はいつも美味しいです」
「そう? リンドブルムとは味付けが違うらしいから心配だったんだ」
「そうなんですか?」
「え?」
「あ…」
国が変われば食文化も違う。リンドブルム王国からやってきたラインステラが、バスティーヌ帝国の食事と味が違うことに気づいていないことにアルフォンスは驚いた。
アルフォンスの視線を避けるように、躊躇いがちに目を伏せたラインステラは困ったように微笑んだ。
「母が亡くなってから祖国の食べ物はあまり口にしなかったので、忘れてしまいました」
ラインステラの告白にアルフォンスの端正な顔が歪む。その顔を申し訳ないように見つめてラインステラは言葉を続ける。
「母が生きていた頃は毎日ちゃんとした食事が出ていたのですが、亡くなってからは私の食事は抜かれてしまったり虫の死骸や腐肉、石などが混入されるようになってしまって、そのことをお父様に話したら、帝国から日持ちのする食べ物を持ってきてくださるようになったんです」
ラインステラの話にアルフォンスは言葉を失う。
食事に異物を混入していたのが国王なのか王妃たちの指示なのかはわからない。しかしもし使用人の独断だとしたら、とても一国の王女にしていい仕打ちではなかった。
「ずっとそれを食べていたものですから、あの国の料理のことはほとんど覚えていないんです」
そう言って悲しそうに眉を下げるラインステラにアルフォンスは憤慨する。
「リンドブルム王国は不敬な奴らばかりだな…ってステラは違うよ! あと君の母上も立派な人だと思う。君にかけた魔法は考えようによっては残酷なものだったけど、愛する人達を最後まで守った強い人だなって尊敬する」
「ええ、母は私を守るために愛のない結婚をして父と離れ離れになりました。挙句に私を庇って亡くなってしまって…」
ラインステラの濃紺の瞳に涙が滲み、アルフォンスが慌ててポケットを弄りハンカチを取り出す。そっと目元を拭いてあげると、ラインステラは恥ずかしそうにしながらも柔らかく微笑んだ。その天使の笑顔に引き寄せられるようにアルフォンスの指がラインステラの頬に触れる。2人で見つめ合う何とも甘い空気が数秒流れた後、我に返ったラインステラは赤くなった顔をぱっと逸らして話題を変えた。
「あ、あの、魔法といえば私が持参してきた代々加護持ちに受け継がれてきた指輪にも、魔法がかかっているんですよ」
脳内が「キスしたかった! キスしたかった!」と盛大に連呼する声に支配されたアルフォンスだったが、『女神の加護』持ちの魔法に興味もあったのと、ここで無理強いして嫌われたくないとの思いから、名残惜し気にラインステラから手を離し首を傾げる。
「そうなの?」
「はい。物に魔法をかける加護持ちはあまりいなかったので貴重な指輪なんです。それに何故かあの指輪の魔法は、最初の所持者だけではなく代々の加護持ちも使用できる唯一の代物だったので受け継がれてきたんです」
「加護持ちがかけたなら凄い魔法なんだろうなぁ。…あれ? それなら指輪の魔法で、あの不届き者を撃退することができたんじゃないの?」
不届き者が誰を指すかは言わずもがなでラインステラは苦笑する。
「それがですね…あの指輪の魔法は花を降らせるだけなんです」
「花が降ってくる魔法?」
「はい」
「ただ花が降ってきて…もしかして、それだけ?」
「それだけです」
きっぱりと言い切ったラインステラにアルフォンスが噴き出す。
「ぷっ! 何ソレ!? ウケる。何とも呑気な魔法だねぇ」
「はい。うふふふ、私も母から聞かされた時は目が点になってしまいました」
アルフォンスに釣られて笑うラインステラの眩しい笑顔に、自然と瞳が奪われる。
「そんな魔法を使用した人もいたんだね」
「ええ、花の好きな加護持ちだったようで、娘に贈る指輪にそのような魔法をかけたそうですわ」
「その魔法の是非はともかく、その頃は平和だったんだな。きっと女神もそんな魔法だから、代々の加護持ちに使えるようにしたのかもね」
「そうですね。きっとその頃は平和で優しい国だったのでしょうね」
アルフォンスの言葉にラインステラが寂しそうに笑う。遠くを見つめるラインステラの横顔に庇護欲が刺激され抱きしめたくなり腕を伸ばしたアルフォンスへ、絶対零度の声音が響いた。
「皇太子殿下、節度を守ってくださらなければ娘への接触を禁じますよ?」
アルフォンスが声のした方を振り返ると、引き攣った笑みを浮かべたラインハルトがツカツカと歩いてくる所だった。
「げ、宰相。今日は帰ってくるのが早くないか?」
「我が家に愛する娘がいるのです。仕事などやってられませんよ」
「この国の宰相であるお前が、それを皇太子である私の前で言うか?」
「問題ありません。皇太子である殿下が毎日拙宅へお越しになる位ですから、我が国は暇を持て余しているのでしょう」
実際の所、現在バスティーヌ帝国の王宮は皇太子の結婚式の準備のために目の回るような忙しさだったので、ラインハルトの言葉は完全なる嫌味だ。
思わず舌打ちしそうになったアルフォンスへラインハルトが黒い笑顔を浮かべる。
「殿下の事務官が、外出したまま戻ってこないとボヤいておられましたよ」
「くそ。よりにもよって宰相にチクリやがって。あとで締める」
「チクられたわけではありませんが殿下がここ最近、我が屋敷におられることは側近たちには周知の事実ですので、私がお迎えにあがった次第であります」
「ちっ!」
宰相の言い分に今度こそ舌打ちしてしまったアルフォンスは、しまったとばかりにラインステラへ視線を向けると、それまで事の成行きをニコニコと笑顔で眺めていた彼女が小さく呟いた。
「殿下は舌打ちしても素敵ですね」
「へ?」
「は?」
アルフォンスとラインハルトの間の抜けた声にラインステラがはっとして赤面する。
「も、申し訳ありません。思ったことをつい口に出してしまって、って私は何て失礼ことを言っているのでしょう」
オロオロと真っ赤になりながら視線を彷徨わせるラインステラに、アルフォンスの頬が緩む。
「全然! 全然、失礼じゃないから!」
「でも…殿下にはご迷惑ばかりをおかけしてしまっているのに…婚約だって父に頼まれて仕方なくなのでしょう?」
今にも泣き出しそうなラインステラの手をアルフォンスが間髪入れずに握り締める。
「ステラ、私は君と仕方なく結婚するわけではない。君だから、ステラだから結婚したいんだ。まいったな…私の気持ちは全くステラに届いていなかったのか…」
「え?」
「ステラ、愛している。もう君以外は見えない。ずっと溺愛してあげる。だから早く結婚しよう! 何なら今から一緒に王宮へ帰ろうか!?」
「殿下…本当に?」
「アルって呼んで?」
「…アル…様」
見つめ合い、どちらともなく顔を寄せる2人を大きな咳払いが襲う。
「ウオッホン!!」
「何だ、いたのか。宰相」
「お、お父様!」
憮然とするアルフォンスと弾かれたように赤面するラインステラを見て、ラインハルトは拗ねたように口を尖らせた。
「ステラが幸せなら私は喜ばしい限りだが、でもまだもう少しだけ私の娘でいてくれないかな? やっと一緒に暮らせるようになったんだ。まだこの幸せを噛みしめていたいんだよ」
そう言ってラインハルトは愛しい娘に手を伸ばした。
ラインステラは少し逡巡したが、父親の手をとるためにアルフォンスの側を離れる。
娘を抱き寄せ勝ち誇った顔をしたラインハルトがアルフォンスを見下す。
「殿下、娘を嫁がせるのは結婚式が滞りなく終了した後でございますから、早々にお引き取りを。それまでは何があっても私の可愛いステラをこの屋敷から出すつもりはございませんので。さあステラ、親子水入らずでお茶会を再開しよう。今日はシフォンケーキを買ってきたんだ」
「えっと…お父様、申し訳ないのですが先程殿下から頂いたアップルパイを食べたばかりで…」
「殿下からの? それは仕方ない。殿下ですからな。そうか…殿下か、殿下ね」
「お父様?」
やたらと殿下、殿下と連発する父親にラインステラが首を傾げ、そういえば名前で呼んでと言われたばかりだったと気が付いて口を抑えた。
するとラインハルトは己の顎を撫でながらラインステラに語り掛ける。
「フム、やはり婚姻前は節度ある付き合いということで、名前で呼ぶのではなく敬称で呼んだ方がいいだろうな」
「そうなのですか? わかりましたわ」
「そんな!」
素直に頷くラインステラにアルフォンスは地団太を踏む。素直な所もラインステラの長所の1つだがこればかりは否定してほしかった。
悔しそうにアルフォンスがラインハルトを睨みつけると、宰相はドヤ顔で鼻の穴を膨らませている。
これがあの常に冷静沈着で怜悧と呼ばれている宰相かとアルフォンスは呆れつつも、また舌打ちをした。
(絶対に結婚式までに、名前で呼び合う仲になってやる!!)
アルフォンスはそう決意したがこの日以降結婚式までの間、ラインハルトは今まで以上に娘を溺愛するようになり、アルフォンスは愛しい彼女の手も握れない日々に悩まされるのであった。