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加護と魔法

 古の時代リンドブルム王国が女神より授かった『女神の加護』は実は王国が受けたものではなく、当時の王女個人が授けられたものであった。『女神の加護』は加護を授けられた女子の直系嫡子のみに受け継がれ、16歳の誕生日にその女子が祈りを捧げた地(国)が恩恵を受けることができるものだった。

 その秘密は『女神の加護』を継いだ女子と国王のみに口伝によって引き継がれていたため、他国がどんなに手を尽くしても調べられる筈もなく、国内の要職者さえも『女神の加護』はリンドブルム王国に授けられたものだと思っていた。

 そして『女神の加護』を受け継いだ女子の嫡子は必ず『女神の加護』を受け継ぐ女子が産まれることも必然の理とされてきた。兄王がリムステラの子を堕胎できない訳はこのせいだった。

 リンドブルム王家は『女神の加護』を受け継ぐ王女を王家に近しい貴族へ降嫁させては、加護持ちの子供をまた王族へ娶ることを繰り返し血統を守ってきたのである。だからリムステラは自分が他国へ嫁げないこと、即ちラインハルトの元へ嫁げないことを悟っていた。


 こうして『女神の加護』を持つ女子を囲ってきたリンドブルム王家だったが、国王さえも知らない加護持ちの女子のみに受け継がれた魔法の力があった。

『女神の加護』を継いだ女子は、女神の力を1度だけ次の加護持ちのために使用することが出来たのである。

 ただ女神の力は万能ではなく『幸せになるように』などの漠然とした願いや『不老不死』などの願いは不可だとされたので、今までは娘を想う母親らしく『酷い怪我をしませんように』や『老化が遅くなりますように』などの魔法を使ったらしい。

 だがリムステラはそんな魔法を我が子にかけるつもりはなかった。

 勿論健康に育ってほしいとは思う。けれど同様にこの子は愛する人と幸せになってほしい。

 しかし兄王や従兄がこの子に目をつけこの国へ縛りつけることは明白だった。『女神の加護』持ちというだけで齢が親子とも違う国王へ嫁がされた例は過去に何度もあった。自分に執着する従兄もどんな無体をするかわからない。だからリムステラは愛する我が子に残酷な魔法をかける決心をしたのである。


『リンドブルム王国の人間にだけ醜悪な外見に見えるように』


 そのことをラインハルトに告白したリムステラは嗚咽を堪え涙を溢れさせていた。誰が好き好んで愛する我が子にこんな魔法をかけるだろう。この子は自分のことを恨むだろう。でもそれでもいい。リムステラは何としてもこの子を守りたかった。

 流れる涙を拭いもせずリムステラはラインハルトへ懇願した。


「どうかこの子をいつか貴方の国へ連れだしてあげて。そして幸せにしてあげてください」


 泣いてはいたがリムステラの深紅の双眸には強い覚悟が灯っていた。彼女は我が子のためにリンドブルム王国を見捨てたのである。

 リムステラの覚悟を悟ってラインハルトは自分の無力さに打ちひしがれた。そんな彼にリムステラは優しく微笑むと黙って彼を抱きしめ「私は幸せです」と花も綻ぶような笑顔を見せた。


 それがラインハルトがリムステラを見た最後だった。


 後ろ髪を引かれる想いで王宮を後にしたラインハルトの濃紺の瞳は決意と怒り、そして悲しみで満ちていた。



 リムステラは無事女の子を出産すると従兄であるノート公爵家へ嫁いでいった。

 ノート公爵はリムステラを監禁し彼女を片時も離さない執着ぶりを見せたが、一向に自分に靡かない彼女に次第に手をあげるようになっていった。それは醜い継子であるラインステラにも向けられたがリムステラは必死に我が子を庇った。しかしそれが余計に気に食わず、ある日彼はリムステラをいつもより強く殴りつけた。殴られたリムステラは反動で床に頭を強く打ち付け意識を失った。ぐったりと横たわってしまったリムステラに慌てたノート公爵はすぐに医者を呼んだが、結局その日のうちにリムステラは帰らぬ人となってしまった。


 ノート公爵はリムステラを病死としたが国王は訝しんでいた。リムステラと結婚した途端に賄賂を寄越さなくなったことにも立腹していたので、国王はノート公爵を王宮へ呼びつけた。

 この時公爵が執愛するリムステラを失くして半ば自棄になっていたことに国王は気づいていなかった。

 傷心の自分を容赦なく糾弾してくる国王へノート公爵ははっきりと敵意を持った。公爵は結婚して5年たっても子を成さず離婚を言い渡されていた王妃に近づき、甘い言葉で誘惑すると国王へ毒を盛らせた。

 王宮医師を買収し国王を病死とさせた公爵は、他に有力な王位後継者がいなかったため自分が国王へ即位した。公爵が王妹であったリムステラの遺した唯一の子、ラインステラの父だと認知されていたことも彼の王位継承に大いに役立った。公爵は毒を盛らせた王妃をそのまま自分の王妃とし、ラインステラを後宮の一角へ放り込むとその存在を無視し続けた。彼にとってラインステラは愛する人が自分を裏切った象徴でしかなかった。そもそも裏切る以前にリムステラは公爵を愛してなどいなかったが、そんなことは考えもしなかった。


 こうして国王となったノート公爵だが前王を毒殺してしまったがために『女神の加護』の秘密を受け継げなかった彼は、ラインステラの重要性を知るよしもなかった。

 そのためリムステラとの約束を守り、宰相となってバスティーヌ帝国を強国に仕立て上げリンドブルム王国を蹂躙したラインハルトが突きつけた降伏条件を、愚かにも快諾したのである。


 母が死んだ時ラインステラはまだ7歳だった。

 いつものように突然入室してくるなり自分へ手をあげた父から、母は身を挺して守ってくれた。しかしそのまま倒れて動かなくなった。医師が呼ばれ父が泣き崩れても、ラインステラは冷たくなっていく母を呆然と見ていることしかできなかった。

 母の葬儀が終わり自室へ帰るとガランとした部屋に一人で蹲った。

 もともと嫉妬心が強い父が母の側へ使用人を近寄らせなかったため、侍女たちは最低限の食事の世話と簡単な清掃だけをして、それ以外にこの部屋へ近づくことはなかった。

 母が亡くなって数日後、侍女が用意した母がいる時より明らかに粗末になった夕食に手をつけず、相変わらず部屋の隅で蹲っていた彼女はふと風が流れてきたことに気が付いて顔を上げると、泣き出しそうな顔をした男が天窓から降りてきていた。

 男は呆気にとられるラインステラに近づき優しい声音で話しかけた。


「ラインステラ、やっと会えた」


 天窓から忍び込んできた怪しい男なのに、ラインステラはその声に泣きたくなるような衝動を覚えた。それでも泣くまいと必死に顔を歪めていると、その男はラインステラを優しく抱き寄せ彼女の頭を何度も撫でた。自分を抱く男は音もなく涙を流しているようだった。

 そのことに気が付いたラインステラは堪えていた涙を止められなかった。

 暫く2人は抱き合ったまま声を殺して一緒に泣いた。父に暴力を振るわれても、母が亡くなっても、一切涙を見せなかったラインステラはこの日漸く泣くことができたのだった。


 ひとしきり泣いてラインステラが落ち着いた頃、彼は真剣な顔つきでこれまでのことを教えてくれた。

 今まで父だと思っていた男は父ではなかった真実にラインステラは衝撃を受けたが合点がいくと共に安堵を覚えた。最後まで自分を守ってくれた母には申し訳なくて遣り切れなかった。その事を自分の本当の父だという目の前の男に話すと、彼は痛ましいように端正な顔を歪ませた。


「それは自分も同じだ。私もリムステラに守ってもらうことしか出来なかった。彼女の願いもまだ実現できていない。でも必ず…必ず君を助け出すからそれまで頑張ると約束して?」


 懇願する男にラインステラは小さくコクンと頷いた。

 今まで母以外誰も自分を必要としてくれなかった。使用人達にも容姿が醜いと蔑まれラインステラは孤独だった。けれど大嫌いだったこの容姿も母が自分の幸せのために願ってくれたことで、本当の父も自分のために奔走し助けようとしてくれていることがラインステラにはこの上なく嬉しかった。


「例え騙されているのだとしても、私はお父様を信じます」


 ラインステラの言葉に「ううっ…」と情けない声を上げラインハルトは項垂れた。

 我が子に信用されない悲しさに胸が詰まったが、ラインステラを長らく放置していた罰だと自分を戒めた。

 ラインハルトは改めてラインステラの髪を撫で、その日は深夜まで彼女と共に過ごした。

 その間、部屋へ入室してくる者は誰一人いなかった。

 リムステラが亡くなったからだろう。ラインステラの部屋の警備はほとんど機能していなかった。リムステラが生きていた頃には蟻一匹侵入できなかったというのに、彼女が亡くなったおかげで娘と対面できた皮肉さにラインハルトは乾いた笑みを浮かべた。


 近衛騎士団長を辞し宰相へ就任したラインハルトはリムステラとの約束を守るため、自国を強化する傍ら頻繁にラインステラの元を訪れた。彼女の父とされたノート公爵が国王になり、ラインステラが第一王女として後宮へ入ったあとも変わらず忍んで会いにいった。

 宰相と兼務して軍までも統轄するラインハルトは多忙だったが、掛替えのない愛しい娘に会う時間を時には皇帝を脅して何とか絞りだしていた。


 ラインステラは家庭教師をつけてもらえなかったが元来賢い性質だったらしく、ラインハルトが王族としての知識や振る舞いを教えるとすぐに吸収していった。使用人たちの目を盗んで図書室で本を読み、得た知識を披露してラインハルトを驚かせることもあった。

 醜悪に見える魔法がかかっているとはいえ国王の関心を誘わないため、ラインステラが感情を表に出すのはラインハルトの前だけだった。

『醜い愚鈍な娘と思わせること。父の元へ辿りつくまで生きぬくこと』

 ラインステラはそのことに心血を注いで、リンドブルム王宮の奥でひっそりと逞しく過ごした。

 そしてラインステラが16歳を迎える年に漸くラインハルトは約束を果たしてくれたのである。


 バスティーヌ帝国宰相となったラインハルトは『女神の加護』の秘密を親友であった皇帝へ告げていた。いくら宰相とはいえ皇帝の協力なくして他国の王女を自国へ引き入れることなど出来なかったためである。皇帝は親友と親友の愛した人を救えなかったことを悔やみ、ラインステラを助けることを快く承諾してくれた。そもそも宰相の彼の力がなければバスティーヌ帝国の今の繁栄はなかったと認識しているので異論など唱えるべくもない。それに帝国の利益を考えても『女神の加護』を持つラインステラを自国へ引き入れることに諸手を挙げて賛成だった。

 人質という名目の皇太子妃として迎えるが、彼女の気持ちが息子になければ宰相へ預けて自由な恋愛をしてもらっていいとさえ皇帝は思っていたので、皇太子にも事情を話して納得させていた。


 だがまさかこちらへ来る馬車の中で、侍女がラインステラに成り代わっているとは予想できなかった。

 王女の馬車を出迎えたラインハルトは、美しいドレスで着飾った見覚えのない女が扉から出てきた事に括目し、ジワリと背中に汗が伝った。

 リンドブルム国王に勘付かれて替え玉とすり替えられたのかと思ったのだ。

 しかし女のすぐ後にラインステラが侍女のお仕着せを着て出てきたのを見て一気に脱力した。

 脱力したが腐ってもそこは帝国宰相である。すぐに立ち直りラインステラへ目配せすると、彼女は困ったようにそっと右手を上げて薄く微笑んだ。


 ラインステラの笑顔に出迎えの騎士や侍女達が一瞬呆けるように彼女を仰ぎ、頬を染めた。それもその筈で地味な色合いの侍女のお仕着せを着てはいるが、バスティーヌ帝国民である彼らから見るとラインステラの容姿は輝くばかりに美しかった。

 ラインハルトの後ろの侍女などは小さな声で「あれが侍女? 王女様より格段に綺麗じゃない」と呟いて、先輩侍女に思い切り足を踏まれていた。

「そうだろう! 俺の娘とびきり可愛いだろう!」と叫びたくなる衝動を抑えながら、ラインステラの表情と右手にリムステラから引き継がれた指輪が無いことから事態を悟った宰相は、早速皇帝と皇太子へ報告した。


 ラインハルトにしてみれば侍女だろうが何だろうが、可愛いラインステラが自分の元へ無事にたどり着いたことの方が重要なので、この際侍女が王女を騙ってもどうでも良かったのだが、ラインステラを名乗った女が愛しの娘に蔑むような視線を寄越したのと、侍女長からの報告を受けて怒髪天を衝き一計を案じることにしたのである。

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[気になる点] そして『女神の加護』を受け継いだ女子の嫡子は必ず『女神の加護』を受け継ぐ女子が産まれることも必然の理とされてきた。 とあるのですが、そうだとしたならば実の兄弟ならば『王妹』ではなく『…
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