侍女の暴挙
帝国の豪奢な馬車に揺られながら、エアリエルはラインステラをゆっくりと観察した。
ラインステラは王女であるということ以外褒める所がなかった。醜い王女が帝国への見栄で国王が急遽用意させた豪華なドレスを着て輝く宝飾品を身につけている様は、田舎の農家の小娘に貴族の衣装を着せたようなちぐはぐさだった。右手の薬指に第一王女の証である王家の指輪をしていなければ、ラインステラが王女だとは誰も思わないだろう。
先程エアリエルは騎士団長が伝えた国王の言葉に驚いたが、こんな醜い王女では国王に邪険にされるのも仕方がないかと心の中で嘲笑った。
ラインステラは相変わらず黙って外を眺めている。
先程騎士団長が放った国王の言葉にも全く動揺していないようで、この王女には感情が一切ないのかと疑うほどだった。
醜く感情もないこんな王女では帝国の皇太子の寵など得られそうになく、侍女である自分の未来も真っ暗だと暗鬱たる気持ちになったところで、ある恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
その考えに促されるように目の前の王女の容貌をマジマジと凝視する。
髪の艶は自分の方が断然いいが鼠色という点は一緒だった。鼠色の髪など王国ではありきたりの髪色だったので、ラインステラは彼女の母親の王国の宝石だと讃えられた美しい顔だけでなく、輝く星のようだと言われた銀髪も受け継げなかったらしい。
瞳の色は王女が暗めの濃紺で自分は明るめの藍色。身体はラインステラほどではないが、エアリエルも痩せ気味で背格好は同じ位だった。つまりラインステラとエアリエルは似ているといえば似ているのである。
勿論、エアリエルは顔の造形を含めて目の前に座る醜悪な王女より自分の方が何千倍も美しいと思っている。エアリエルにはこれまで何人も言い寄ってくる男がいたので自分がそこそこ美人だという自負があり、醜い王女に髪色や瞳の色が似ているのは癪ではあるが今ばかりはこの平凡な色に感謝した。
頭に浮かんだ考えにドキマギする心臓を落ち着けるため胸元に手をやると、お仕着せの中に隠れたペンダントトップが指先に触れた。そこにはエアリエルの母が寝付けない時のために処方されていた睡眠薬が入っており、何か使う機会があるかもしれないとくすねてきたものだった。
(これを上手く飲ませればいけるかもしれない)
そう考えたがこの王女はエアリエルを警戒しているのか、これまでの道中も決して自分の用意した食べ物も飲み物も手をつけなかった。ひたすら固そうなクッキーを少量食べ、宿についてからも宿の下女が用意した水を先にその女に飲ませてから自分が飲むという徹底ぶりだった。
さすがに全ての食事を下女に毒見させるのは申し訳ないと思ったのか食事には手をつけずにクッキーを食べ続けていたラインステラに、一応他人に気遣いはできるのかと鼻で笑ったが、自分を信じていない王女に自分だって好きで付いてきたわけではないが、もう少し位信用してもいいんじゃないかと嫌悪感は募った。
まるでエアリエルに殺されると思っているような王女の素振りに最初は苛ついたが、今も違う意味で苛々が増して忌々しげに王女を眺めた。
自分を信用していない王女に睡眠薬をどうやって飲ませるか悶々と考えていたところで、ラインステラが舟を漕ぎ始めたことに気が付く。
リンドブルム王宮を出て既に5日、慣れない馬車での移動中ラインステラ王女は只管黙って外を眺め続けた。宿へ着いても隣の部屋のエアリエルより早く起き出し身支度を1人で済ましてしまっていたが、ずっと後宮に閉じこめられていた王女が初めての長旅で疲れていないわけないのだ。
エアリエルは期待の眼差しを込めて、じっとラインステラを見つめた。
程なくラインステラが小さな寝息を立て始めると、ギュッと握りしめていた手荷物の袋が手から零れ落ちた。
手荷物の袋の口の隙間からラインステラが毎日食べているクッキーの袋がチラリと見える。
エアリエルはペンダントトップを外すと小さな瓶を取り出した。揺れる馬車の中で慎重に立ち上がりゆっくりと袋へ手をかける。
袋の口を開きクッキーの袋を取り出す。袋に残された量と王女が食べる量を計算するとあと10日位はゆうに持ちそうだった。
(何とも用意周到なことで。それなのに自分のような者に出し抜かれることになるとは夢にも思わなかったでしょうね?)
そう考えると思わず笑いがこみ上げてきそうになるが、ここで王女に気づかれるわけにはいかないのでぐっと堪える。
袋からクッキーを取り出し小瓶の薬を染みこませた。
日持ちするように作られたのであろう、カラカラに乾いた固いクッキーは容易く薬の水分を吸収していった。そのクッキーをなるべく袋の上の方へ置いて、元の通りに手荷物の中へ戻す。そのまま何食わぬ顔で王女が目覚めるのを窓の外を見て待ち続けた。
程なくして王女は眠りから覚め昼休憩のため立ち寄った王国最後の街で、いつも通り食事に手をつけず手荷物からクッキーを取り出した。
(こんな料理、二度と食べられなくなるとも知らずにバカな王女だわ)
ラインステラが無言でクッキーを食べている間、エアリエルは豪華な食事を王女を横目で見ながら堪能していた。侍女が主の食事を断りなしに食べている光景は異様だったが、王女の食事は特別室に用意され騎士団の者とは別々に食べるのでそのことを咎める者はいなかった。
エアリエルは祖国で食べる最後の食事に舌鼓を打ちながら、ラインステラが薬入りのクッキーを食べますようにと、普段は信仰心など皆無のくせにこの時ばかりは心の中で女神に祈った。
馬車へ戻り暫く揺られていると、ラインステラがこめかみを抑え困惑したような顔つきになっていった。グラつく頭を首を振って何とか眠気を堪えているようだったが、重い瞼をついに持ち上げられなくなるとガクンと横へ突っ伏してしまった。
エアリエルは恐るおそる手を伸ばし、ラインステラの身体を揺さぶり彼女が深く眠っていることを確認すると歓喜した。
まさかこんなに早くラインステラが薬入りのクッキーを食べてくれるとは、正に女神に祈った甲斐があったというものだった。
ドクドクと激しい鼓動を打つ心臓を落ち着かせ高揚で震える指を叱咤しながら、エアリエルは自分の着ていたお仕着せを素早く脱ぎ始める。ヘッドドレスやタイツも脱ぎ捨て、ネックレスは王女の宝飾品や下着が入っているトランクへ押し込めると、今度は眠っているラインステラのドレスを脱がせにかかった。
揺れる馬車の車内で意識がない人間のドレスを脱がせるのはかなり労力を擁したが、何とか脱がし終わると自分が着ていたお仕着せを王女へ纏わせた。そして自分はラインステラのドレスを着こみ宝飾品を身に着け王族の証である指輪を嵌める。指輪はラインステラには少し緩めだったがエアリエルにはぴったりのサイズだった。
そのことにエアリエルは満面の笑みを浮かべた。
ガクンっと馬車が揺れてラインステラは目を覚ます。
どうやら大きな石に乗り上げたようだったが車輪は脱輪することがなかったようで、そのまま馬車は進んでいった。
重い瞼を擦ると肌に触れる服の質感の違いに気が付いた。
不審に思って袖口を見て、やはり違うと思い胸元に目をやると自分が侍女のお仕着せを着ていることに目を瞠った。
混乱する頭で侍女の方を見ると、そこには眠る前まで自分が着ていたドレスを身に纏った侍女のエアリエルが不敵に笑っていた。
事態が呑み込めずさすがのラインステラも口を開く。
「これは一体、どういうことなの?」
「口の利き方に気を付けなさい。貴女と私の立場は今この瞬間から逆転したのだから」
「…何を言っているのかわからないのだけど?」
「だから今から私が王女ラインステラで貴女は侍女のエアリエルになったのよ」
自信満々に入れ替わったと主張するエアリエルにラインステラは溜息を吐いた。
「そんなこと許されるわけないでしょう? こんなことをして貴女はタダでは済まないわよ」
「何故? だってここにはラインステラ王女を知ってる者なんていないのよ」
「だからって入れ替わりなんて隠し通せるわけがないでしょう」
「そうかしら? ずっと王宮に籠っていたラインステラ王女の容貌はリンドブルム王国の者もほとんど知る者はいないし、それがバスティーヌ帝国の者なら尚更知る者なんていないわ。しかもその見た目じゃ王女だと名乗った所で誰も信じやしないわよ」
エアリエルはクスクスと嘲笑ったがラインステラは毅然と顔を上げた。
「それでも私がリンドブルム王国王女だということは正真正銘の真実よ」
「証拠は?」
「証拠?」
「ええ。貴女が王女様だっていう証拠」
「それは…」
そう言って右手を差し出そうとしたラインステラは指輪が無くなっていることに気が付き、ハッとしてエアリエルを見た。
にたぁっと弧を描いた唇から押し殺した笑いが聞こえると共に、エアリエルが右手を挙げる。
その薬指には王家の第一王女に引き継がれる女神が彫られた銀の指輪がしっかりと嵌められていた。
「この指輪が何か?」
「それは私の物よ。返しなさい」
「いいえ。これは私の物になったの。だから言っているでしょう? 貴女が王女である証はもう何もなくなったのよ」
「…」
黙ってしまったラインステラにエアリエルは勝利を確信した。
実の所エアリエルが計画した入れ替わりは考えた本人だって不安はあったのだ。
指輪以外にもしラインステラが王族である証を所持していたらこの計画は失敗に終わり、さすがのラインステラもエアリエルを罰しただろう。
だが天は、女神はエアリエルに味方したのだ。
そのことは目の前で黙ったまま固まってしまっている元王女をみれば明白だった。
高笑いをしてしまいそうになる自分を抑えながらラインステラとなったエアリエルは、エアリエルとなったラインステラへ宣言した。
「帝国へ到着して皇太子へ泣きついても無駄よ。指輪を所持していない貴女の言うことなんて誰も信じないわ。黙っているなら命だけは助けてあげる。でももしこのことを誰かに話したらその時は…わかっているわよね?」
「…わかりました…」
ラインステラは侮蔑を込めた瞳でエアリエルを見つめると諦めたように俯いた。
エアリエルは全て自分の計画通りに事が進んだ高揚感で頭がいっぱいで、俯いたラインステラの口角が微かに上がったことに気が付かなかった。