リンドブルム王宮にて
冒頭に台風被害の記載があります。
ご不快になられる方もいると思いますのでご注意ください。
ラインステラが16歳の誕生日を迎え『女神の加護』をバスティーヌ帝国へ与えた翌日、リンドブルム王国を台風が襲った。
台風などという自然災害を、これまで経験したことがなかった国民の多くが濁流にのまれ命を失った。災害がなかったため堤防や土塁といった防災設備を一切造ってこなかったことも、被害が拡大した要因だった。
更に追い打ちをかけるように地震に見舞われ、雨で緩んだ地盤に立っていた建物は次々に倒壊し人々を圧死させた。
王都では大規模な火事が起こり、王城と一部の地域を残して焦土と化した。
『女神の加護』に守られているリンドブルム王国を襲った異変に、それまで緩慢に政務を取り仕切っていた官僚たちはただ手を拱いているだけしかできなかった。
突如として自然の猛威に晒されたリンドブルム王国は、ラインステラが輿入れしてから1年後には既に国として立ち行かない事態に直面していた。
そんな中、災害見舞としてバスティーヌ帝国皇太子の来訪が決まった。
しかも彼はリンドブルムの王女であった皇太子妃をともなって来訪するという。皇太子妃は言わずもがな、愛するリムステラがどこぞの馬の骨と契って産まれた憎くて醜い女のことで、帰ってくるなと念押しした王女の帰国に国王は苦虫を潰した表情を浮かべたが、帝国が皇太子と共に持参してくる見舞金は是非ともほしいところで承諾するしかなかった。
相次ぐ災害によってその年の秋の恵みを受けられなかった国民の生活は一気に傾いたにも関わらず、飽食な暮らしに慣れていたリンドブルム王国は備蓄の食糧をあっという間に食いつくしてしまい途方に暮れた。
官僚たちは食料を他国から援助してもらえるように使者を派遣したが、豊富だった鉱山資源もピタリと取れなくなりどの国からも色よい返事はもらえず、そればかりかリンドブルムからの避難民は受け入れないと国境を閉じられる有様だった。
そのうちに食料を求めて各地で暴動が起きるようになっていたので、バスティーヌ帝国からの支援は喉から手が出るほど欲しかったのである。
◇◇◇
リンドブルム王宮の謁見の間へ到着した皇太子は見目麗しい容姿をしていた。
金髪碧眼の整った顔を持ち、手足もスラリと伸び程よく筋肉もついていて背も高めだ。この皇太子を見れば大抵の女は秋波を送るのではないかと、国王は暗い嫉妬心を覚える。
しかし隣に佇む元王女はベールで顔を隠しているものの醜女であることが容易に知れて、その妃を気遣うように労う皇太子の姿が滑稽で腹の中で嘲笑っていた。
「この度の貴国の災厄に深くお見舞い申し上げる。早速ですが、持参した見舞い金と食料についてはこちらの目録へ記載してありますのでお確かめください」
「この度の援助、感謝する」
「いえ、我が妃ラインステラの故国の大事ですから当然のことです」
笑顔で答えた皇太子に思わず失笑してしまいそうになった国王だが、寸での所で我慢する。憎くて醜い王女が二度も役にたったと腹を抱えて笑いたくなった。
そこに宰相が皇太子の侍従から手渡された書類を恭しく王の前に差し出す。
「バスティーヌ帝国からの見舞いを受けとるという書類です。ここへサインを」
上機嫌の国王は宰相に言われるままサインを終えると、書面を確認した皇太子が破顔し隣の妃へ語り掛けた。
「堅苦しい要件は終わったよ。さあ、久しぶりに君の顔を見せてあげるといい」
優しく隣のラインステラに囁いた皇太子が彼女の顔を隠していたベールを上げる。
気怠げにその顔へ視線を向けたリンドブルム国王だったが、突然ガタンっと音を立てて席を立ちあがった。
「お久しぶりでございます。国王陛下、王妃殿下」
「お、お、お前は! お前は!?」
「リンドブルム王?」
「へ、陛下?」
いきなり立ち上がった国王に怪訝な顔をしたアルフォンス皇太子と、焦ったように自分の袖を引いてくる王妃に、国王は血走った眼を瞬かせると何とか王座へ腰かけた。
王妹と国王、王族を2人も殺してしまったノース公爵だがその罪が明るみに出ることがなかったばかりか、国王の地位まで転がりこんできた自分の強運に笑いがとまらなかった。
執愛したリムステラを失ったことは心底辛かったが、国王である自分の元へは国中の美姫達が群がり後宮は愛妾たちで溢れた。王家の血筋は愛妾たちが産んだ自分の子が引き継いでいくだろう未来を、彼は信じて疑わなかった。
政治に無関心だったせいかバスティーヌ帝国などという数年前まで無名の小国だった国に国土を蹂躙された時は戦慄を覚えたが、醜い王女1人の犠牲で済んだことに自分の強運に感謝したほどだった。
だが目の前の光景はなんだ。
自分が愛してやまなかった女性と同じ顔をした美しい女が、自分ではない男に腰を抱かれているではないか。
「リムステラ…リムステラだ…」
玉座に座ったまま一点を見つめて亡くなった妻の名前を呟いている国王に、王妃が不審がる。
「陛下? あの者は陛下とリムステラ様の娘のラインステラですわよ? こう申しては何ですがリムステラ様にはちっとも似ていらっしゃいませんのに、何を仰っていますの?」
「ラインステラだと? 違う!! あんな醜い女ではない! いや、違う…そうか…リムステラは本物のラインステラを余に残してくれていたのか…余の元にいたのは偽りの娘で…そうだ…そうに違いない」
ブツブツと素っ頓狂な話をし始めた国王に、王妃が袖を持つ手を強める。
「陛下? あの者は本物のラインステラですわ。お気を確かに」
「喧しい! だから本物だと言っているではないか! 余はラインステラを王妃とする。お前は用済みだ」
「な、何ですって!?」
国王は王妃が握っていた袖を乱暴に振り払い言い放った。
「汚らわしい毒婦め! お前が前国王を殺したことを余が知らぬと思っていたのか!」
「そ、それは陛下がそうしろと「黙れ!」」
そう言うなり国王は王妃の頬を殴りつけた。よろめいた王妃をそのまま押し倒し馬乗りになって顔面を殴り続ける国王を、慌てて近衛騎士が取り押さえる。何とか救出された王妃の美しいと称された顔面は陥没しており、そのまま慌ただしく別室へ運ばれて行った。
残された者たちは、王妃が前国王を殺害していたという衝撃の告白に誰もが困惑している。そして国王がその事実を知っていて、剰え王妃の口ぶりから黒幕が現国王だったということに耳を疑い、リンドブルムの者たちは皆狼狽え右往左往さえもできずにいた。
事態の成行きを静観していた皇太子へ、後ろに控えていた侍従が小声で囁く。
「重要な書類の中身を確認しないのは国民性ですかね? 確か王女に成りすましていた侍女も同じようなことをしましたよね?」
「こいつらがバカなだけだろ」
「はあ、しかし国王が無国籍になるなど聞いたこともない」
皇太子の暴言に苦笑しつつも冷ややかな視線を国王へ向ける侍従を、アルフォンスが呆れたように見やる。
「指示した奴がそれを言うか…ステラの真実の姿を見せつけるためには、国王のこの国での戸籍を抹消する必要があったとはいえ随分と無茶をさせる。もし国王が内容を確認していたらアウトだったぞ?」
「あの無能な国王がそんな面倒なことをするわけありませんし、リンドブルムの宰相は優秀ですから」
「リンドブルムの宰相ね…さすがはヘーゼル公爵の懐刀と言われるだけある。主従揃って絶対腹の中、真っ黒だろうけどな」
「それは褒め言葉として受け取っておきましょう」
ニヤリと笑った侍従にアルフォンスはうんざりしたような顔になったが、いい加減事態を収拾すべきかと声を張り上げた。
「リンドブルム国王よ、我が国は自分の妃を手に掛けるような野蛮な国への援助は考えさせてもらいたい。この件は帰国して皇帝陛下へ報告させてもらう。さぁ帰るぞ、ステラ」
「はい」
「お、お待ちください!」
帝国の援助がなければ破滅しかないと真っ青になったリンドブルムの重臣たちが、踵を返したアルフォンスを引き留めようとすると玉座から怒声が響いた。
「誰が退出を許可した!? 援助をしないというのなら余の娘を返せ! いや、仮令援助を受けてもその娘は返してもらう! 誰か、ラインステラをここへ連れて来い! あれは余のものだ! 余の妃になるためにリムステラが残したのだ!」
アルフォンスが不快げに振り返ると王妃を殴った後、放心していた国王がギラギラとした瞳でラインステラを指差し喚き散らしていた。
王女を差し出したのは1年前の戦争で敗戦したことによる講和条件で、今回の援助はあくまで帝国からの良心に過ぎない。それを援助しないなら王女を返せなど、身勝手な言い分の上に実の娘に懸想しているかのような発言をする国王に、流石の重臣たちも眉を顰める。
重臣たちの怪訝な視線に気づいた国王は、にんまりと口角をあげて勝ち誇ったように笑った。
「ラインステラは余の娘ではない! 余と血の繋がりはない故、王妃に迎えても問題ない」
国王の言葉は重臣たちを更に混乱させた。
先程娘だから返さないと言った口で実の娘ではないと言う支離滅裂っぷりに、開いた口が塞がらない。それにあれほど疎んじていた醜いラインステラに何故ここまで執着するのかもわからなかった。いくら括目しても見目麗しい皇太子の隣に立つ王女は骸骨のように薄気味悪い自国の元王女で、国王が愛したリムステラとは似ても似つかなかった。
そこへボっと音がして焦げた匂いが漂った。慌てて音がした方を見れば宰相が手にした書類を燭台で燃やしている。
「貴方がたの戸籍を記した書類を燃やしました。一時的なものですがこれで今現在貴方がたは無国籍となりましたので、ラインステラ様の真実の姿が御覧になれます」
重要書類を燃やしたことなど意に介したふうもなく笑みを湛えた宰相の言葉は理解できなかったが、言われるままラインステラへ目をやった一同は驚愕した。