(8)取り調べ
黒田は廊下で何やら話しているようだった。話し声が途切れると、黒田が取調室に戻って来た。
「他の参加者のアリバイが裏付けされたぞ」
「リサさん、下滝さん、結城さんのアリバイが証明されたということですか?」
「リサ? ああ、加藤亮子のことか。勤め先のキャバクラ『キャッスル江戸』の源氏名が『リサ』と言っていたな。――亮子は仙台駅から西に歩いて十五分ほどの場所にあるファミレスのレシートを持っていた。レシートには十八時十分と印字されていたので、亮子の顔写真で店員に確認したら、『顔写真の女がその時間にいた』と証言したそうだ。『帰る時にコップを割ったのでよく覚えている』とのことだ。二十分で犯行現場からファミレスに行くのは不可能だから、亮子のアリバイは成立だ」
「では、下滝さんは?」
「下滝信二は二人を仙台駅で降ろした後、自分が務める県庁の駐車場に車を置き、近くの図書館で本を借りていた。県庁に設置してある防犯カメラに、本を持って自分の車に戻る下滝の姿が写っていた。その時間は十八時十五分だった。下滝のアリバイも成立だ」
亮子と下滝のアリバイは崩れそうもない。残るは結城だけになった。
藤原は恐る恐る訊く。
「結城さん……もしかしたら湯川さんかもしれませんが、彼のアリバイも証明されたのですか?」
「なぜ、湯川正人の本名を知っている? 下滝は湯川が『結城竜二と名乗っていた』と話していたぞ」
「やはり、結城は偽名でしたか。彼が博物館で電話に出たとき、『はい、湯川です』と言っていたので、引っかかっていたのです」
「探偵だけあって抜け目ないな。では、職業がアルバイトではなく、ホストだということも気付いていたのか?」
「そこまではわかりませんでした。――彼はホストだったんだ。言われてみれば、容姿がそうですね。もしかして、『竜二』は源氏名ですか?」
「いや、源氏名は恋愛の『恋』と書いて『レン』というそうだ。そんなことは、どうでもいい」
藤原が本名を言い当てたことによって、結城が偽名だということがわかった。突破口が見えたと、藤原は思った。
「湯川さんが、偽名を使ったのはハッキリしたのですよね。だったら、わざわざ偽名を名乗った湯川さんが怪しいと思わないのですか?」
「もちろん、怪しいと思った。それで、湯川に偽名を名乗った理由を訊いてみたら、『職業柄、素性のわからない人間に、本名を教えないようにしている』と答えたよ。ホストは恨みを買うこともあるから、用心する癖がついているのだろう」
藤原は、つかんだロープが切れたような気がしてガッカリしたが、気を取り直して肝心なことを訊く。
「湯川さんのアリバイは証明されたのですか?」
「湯川は『四時半に仙台駅で亮子と下滝と別れた後、中心街をぶらぶらしている内に迷った。どこを歩いたのか覚えていない』と言っている」
「アリバイになっていないではないですか!」
「ところが、湯川は十八時に仙台城を攻城していたのだ」
「攻城? それがアリバイになるのですか?」
「『城郭巡り』のユーザーなのにわからないのか?」
黒田はポケットからスマートフォンを取り出し、操作した。画面を藤原に見せる。そこには城郭巡りのマイページが映っていた。ユーザー名の欄は「くろねこ」になっている。
黒田は「実は私も城郭巡りのユーザーだ」と言うと、自分履歴のボタンを押した。
「【2019/5/1 15:39 五稜郭攻略】と記録されているだろう。これは先日、私が函館で五稜郭を攻略したときの記録だ。初めて攻略した城には、このように記録が残るのだ。湯川の自分履歴には【2019/5/18 17:59 仙台城攻略】と記録されていた。つまり、今日の十八時に攻略したということだ」
藤原はキョトンとしていた。このアプリを使い始めてから日が浅く、精通していなかったのだ。
「まだわからないようだな。仙台城を攻略するには、仙台城から半径五キロ以内で攻略ボタンを押さなければならないのだ。だから、犯行のあった直後、湯川は仙台城付近にいたとの証明になる。犯行は不可能だ」
顔見知りの犯行の可能性が高く、下滝ら三人のアリバイが成立した。藤原の立場が決定的に悪化した。
(非常にまずい状況になった。何とか打開策を考えなければ大変なことになる。何とかして良い知恵を出さなければ……)
苦悩する藤原に、子供の頃の記憶が蘇った。
藤原は、パイプ椅子に座ったまま座禅を組み、静かに目を閉じた。そして、両手の指で頭に円を描いてから、手で印を結ぶ。
「藤原さん、何してるんだ?」
「一休さん」
「ぷっ」
黒田は思わず吹き出した。奇妙な行動は、一休さんの真似だったのだ。黒田が悪乗りをする。
「ポクポクポクポクポク、チーン。良い知恵が浮かんだか?」
リリリリリン、リリリリリン。黒田の言葉に答えるように、部屋の隅に座っている警官のスマートフォンが鳴った。警官はバツが悪そうに止める。
「そうだ! スマホだ」
突然、藤原が大声を上げた。
「もし、湯川さんのスマホの攻城ボタンを押したのが、他の人だったら、湯川さんのアリバイは成立しませんよね」
「その通りだが、誰が湯川の代わりにボタンを押したというのだ」「リサさん……亮子さんです」
「根拠は?」
「居酒屋で湯川さんと蜂須賀さんの到着を待っているとき、亮子さんのハンドバッグから『プルルルプルルルル』という着信音が鳴りました。博物館で聞いた湯川さんのスマホの着信音と同じでした。亮子さんが湯川さんのスマホを持っていたに違いありません」
「同じ着信音を使っている人間なんて幾らでもいるだろう。二人が同じ着信音を使っている可能性もある」
「二人が同じ着信音を使っているか、確かめてくれればハッキリします」
「二人の着信音が違っていたとしても、それがなんになる。亮子のハンドバッグから聞こえた着信音が、湯川のスマートフォンの着信音と同じだったと言っているのはお前だけだ」
黒田は冷徹に言い放った。藤原が苦し紛れに悪あがきをしていると思っているようだ。
ハンドバッグの中で鳴った着信音は下滝も聞いているが、下滝が覚えているとは限らない。変わった着信音ではないから、覚えている可能性は低いだろう。
返答に詰まっている藤原に対し、黒田が追い打ちをかける。
「あなたは湯川のアリバイを崩そうとしているが、崩れたとしても、あなたの容疑が晴れる訳ではない。被疑者が一人から二人になるだけだ」
黒田の言う通りだった。藤原が被疑者であることに変わりはない。だが、藤原には余裕があった。着信音に気が付いたことで、一つの仮説が思い浮かんでいたのだ。
「亮子さんと湯川さんが旧知の仲で、計画的に犯行を行ったとしたら、様々なことが腑に落ちるんです」
「今度は亮子も犯人にしようというのか? まあいい、聞いてやる」
黒田は、被疑者に喋らせるだけ喋らせ、矛盾を突いたりして次第に自供へと導くつもりのようだ。
「サン・ファン館で、亮子さんと湯川さんが私達からはぐれ、二人きりになった時間がありました。合流した後は、亮子さんと蜂須賀さんが二人きりになったのです。たぶん、湯川さんが亮子さんに支倉メモリアルパークへ蜂須賀さんを誘き出すように話し、亮子さんが蜂須賀さんにアプローチしたのでしょう。亮子さんは『メモリアルパークで二人きりで会いたい』とでも言ったのではないでしょうか。だから、蜂須賀さんは仙台空港に行くと嘘を吐いて私を松島で下車させたのです。メモリアルパークと松島は近いですから、蜂須賀さんは、私と松島で別れるのが好都合と考えたのかもしれません」
黒田は黙って聞いていた。藤原は続ける。
「下滝さんは、四時半に亮子さんと湯川さんの二人を仙台駅で降ろしたと言ってましたよね。亮子さんと湯川さんは下車直後にスマホを交換したに違いありません。その後、湯川さんはバイクでメモリアルパークに向かい、待っていた蜂須賀さんを殺害したのです。蜂須賀さんのスマホで百十番通報したのは、湯川さんでしょう。アリバイ工作のために、犯行時間を確定させる必要がありました。湯川さんは犯行直後、亮子さんに電話して攻城ボタンを押させ、自分のアリバイを作ったのです。亮子さんは、自身のアリバイを印象付けるために、コップを割ったのでしょう」
「湯川がバイクで移動したと言うが、証拠は?」
「湯川さんは、革ジャンとジーンズに加え、紐の無い靴を履いていました。バイク乗りの服装ではありませんか。それに、居酒屋に現れたときの髪型が潰れていました。ヘルメットで潰れたことが明らかです」
藤原はショルダーバッグからカメラを取り出して、黒田に渡す。黒田はカメラのモニターに写真を映し出した。下滝だけが写っている写真が何枚か現れた後に、支倉常長像の前で撮った集合写真が出て来た。ふんわりとしたボリュームのある髪型をした湯川が伏目がちに写っている。
黒田は静かに首を横に振った。納得していないのが明らかだった。藤原は黒田に訊く。
「仙台駅からメモリアルパークまで車で行ったとしたら、どのくらいの時間が掛かるのですか?」
「一時間弱だ」
「仙台駅を四時半に出たら五時半前に到着することになりますね。犯行時間の三十分ほど前に着くことができるのですから、犯行は十分可能です」
「バイクで移動したとするなら、犯行は可能だろう。だが、服装や髪型の変化で、湯川がバイクを使用したと決めつけることはできない。所詮、お前の言っていることは想像に過ぎない」
藤原は自信のある仮説をあっさり否定されてガッカリした。しかし、黒田の言うことはもっともなのだ。物証がなければ、黒田は納得しないだろう。
藤原は他に手掛かりがないか考えた。
「黒田さんは、蜂須賀さんが自分で百十番通報をしたと思っているようですが、私は湯川さんが通報したと考えています。蜂須賀さんが自分で電話をしたなら、ダイヤルの『1』と『0』の位置に、蜂須賀さんの指紋が付いている筈です。指紋は検出されたのですか?」
「スマートフォンの画面から、指紋は検出されなかった。指先で軽く触れただけなら、付かないこともあるだろう。問題ない」
「そういう可能性もあるかもしれません。でも、私は指紋を付けないためにタッチペンを使ったと思っています。現場にタッチペンが落ちていませんでしたか?」
「落ちてはいたが、蜂須賀の車から少し離れた場所に落ちていた。事件とは関係ないだろう」
「そのタッチペンはピンク色で、ヴィトンのロゴが入っていませんでしたか?」
黒田の顔色が変わった。
「確かにヴィトンのピンク色のタッチペンだった。なぜわかった?」
「それは、たぶん亮子さんの物です」
「たぶん?」
「亮子さんのタッチペンを直接見た訳ではありませんが、居酒屋で、亮子さんのヴィトンのスマホケースを見ました。ペンホルダーが付いているケースでした。ところが、ペンホルダーには何も差さっていませんでした。亮子さんは電話を掛けようとした時、『無い無い。お揃いなのに』と言ってハンドバッグの中を探していましたから、ケースに付属したペンを失くしたのでしょう。そういうことがあったので、亮子さんのタッチペンだと推測したのです」
「亮子が、タッチペンを使っているのを見た訳ではないのだな。タッチペンを使っていたというのは、推測に過ぎない」
「亮子さんの指を見ましたか? ネールアート施した長いつけ爪をしていたでしょう。あの爪でスマホを操作するのは困難ですから、タッチペンを普段から使っていたと考えるのが合理的ではないですか」
黒田は腕を組んで考え込んだ。
「うむ……筋は通っているが……亮子がタッチペンを自分の物ではないと否定したら、それまでだな」
「湯川さんは指紋を残さないために、ライダーグローブを嵌めて犯行におよんだ可能性が高いでしょう。だとしたら、亮子さんの指紋が残っているかもしれません」
「調べてみるか……」
黒田はそう言い残して取調室を出て行った。