90 リドリーの妹
リハビリの時間がやってきたので、ノアが席を外した。その席に、リアンがゆったりと座る。ティーセットを新たに持ってきたデイジーが、心なしか嬉しそうだ。やっぱり、リアンは私より使用人に人気がある。
「そういえば、今日はどうなさったの?」
「何がでしょう」
「今日はお茶会だったのではなくて?」
「いいえ、仕事でしたよ、さっきまで。今、帰ってきたところです」
リアンが”帰ってくる”と言うと、なんだか少し嬉しい。
「そうなの?」
「まさか、僕が毎日お茶会に行っているとでも?」
「違うの?」
「そこまで行ってないですよ」
「そうでしたの」
私は何も言うまい、と思い、静かにニコニコと笑顔を振りまいた。ひとまず、紅茶を飲んでやり過ごす。
「今日は、何があったのか聞かないのですね」
リアンが不思議そうに言った。
「王宮の話はわりと聞いたもの。新しい話はあって?」
「……最近、ランダー公爵家のリドリー公子と会話をすることが増えました」
「あら」
「今まで、あまり仕事熱心じゃないと勝手に思っていたのですが、そんなことはありませんでした。とても賢い方ですね。先日の見合いで、あなたとお話して、僕と話してみたいと思ったとか……」
私をダシに使うとは、リドリーも面倒な男だ。
「そうね、そんなこともおっしゃってたわ。リアンは優しい人よ、と伝えただけよ」
「へぇ、そうですか」
「だって、リアンが恐れ多くて話しかけられないと言っていたから。リドリー様は、あなたのファンなんですって。とても尊敬しているそうよ」
「……冗談ではなかったのですか」
「リドリー様はどうでした?」
ちょっと過剰にリアンのことをよく知ってたり? 細かいことを知りたいと思いすぎたり? リアンフリーク全開で語り尽くしたり? そんなことなかった?
「良い方でしたよ」
「それだけ?」
「妹さんがいらっしゃるそうで、……勧められました」
「あら」
妹だなんて! 知らなかった。それはさぞかし美しいんでしょうね。リアンと並んだらきっと目もくらむに違いないわ。
きっと私の目が輝いたのだろう、リアンはうんざりした顔で肩をすくめた。
「でも、十歳ですよ? デボラとほとんど変わりません。無理な話です」
「それは……そうね」
なるほど、リドリーの妹はまだ十歳なのね。それなら、ノアと五歳差くらいだし、会わせてみるのもいいかも……
いやいや、公爵家から嫁をもらうなんて、きっと面倒だわ。伯爵家や子爵家からがいいんじゃないかしら。そして、賢くて秘密を守れる、しっかりした子かな。ピアニー家は何かと面倒だから。優しいお嬢様もノアには合いそうだけどね!
うん。まだまだ考えられないわね。ノアもきっと、夏離宮のことを知るだろうし、何しろ、こちらから従業員を出さないとならないんだもの。だから、だめだわ。公爵家なんて……しかも、ランダー公爵家なら、王宮の中でつながりがきっと欲しいはずだし。
でも、リドリーの妹を知ることができたら、楽しいだろう。そう、きっと、デボラが。
「そう言ったら、ランダー公爵夫妻だってそれ以上に離れていると、屁理屈を言われました」
リアンの声に、私は慌てて現実の話に戻った。
「そうなの? 随分、年が離れてらっしゃるのね」
「そんなに珍しいことではありませんがね、歳の差があるだけなら。ただ、現在のランダー公爵夫人は、後妻で、本当に、かなりお若い方なんですよ。現在は、成人していない母親違いの弟が二人、妹が一人いらっしゃいます」
「実のお母様は、どうなさったの?」
「リドリー公子の実の母は亡くなっています。体が弱い方でしたから、……ランダー公爵はそれは大切になさっていましたが、息子であるリドリー殿には厳しい方ですね」
「亡くなったって……もしかして、リドリー様の……比較的若い頃に?」
私は不意に思い出した。
会話だけで盛り上がった逢瀬。顔よりも印象的だった手。あの美青年な日々。
「ええ、まぁ、そうですね」
リアンが頷くのを見ながら、私は感慨に浸った。
母の死と厳しい父、これまた典型的だ。
家で寂しかったんだわ。
だから、誘われるままに私の部屋で、女性たちと会ったのだ。私はきっと、だから、覚えたくなかったのだろう。彼の顔を、その表情を。私の家族たちを見ているようで。
喪失の連鎖は恐ろしい。私はノアを失いたくない。リアンだって。
「ノアは……」
「はい?」
「両親と姉と妹が亡くなってるけど、今の所、他で寂しさを紛らわそうとか、してないわよね?」
リアンは目をパチクリとさせた。
「えぇ、比較的笑顔で過ごしていますよ。当主としての勉強もありますし……新しい従者の見習い期間が」
「リアンも大丈夫? やけになったりしてない? アーロンが亡くなって、次期当主の勉強したり結婚をせっつかれたり、私のせいで王宮で色々言われたり、なんかこう、むしゃくしゃして、女性で解決してやろうなんてことは。こないだのこと、覚えてるでしょ? もめるわよ?」
「ありません! 僕をなんだと思ってるんですか。ありません、絶対に。お相手探しも慎重にしていますよ。ただ、あなた以上に……いえ、とにかく、あなたの世話でも忙しくて、大変なんですから」
怒らなくても……でも、まぁ、家族みたいで嬉しいものだわ。リアンは私の弟、そう、弟なんだもの。
「わかったわ。ちょっと取り乱してしまってごめんなさい。若い頃のリドリー様みたいになったらどうしようかって思って」
私の言葉に、リアンは驚いたように目を見開いた。
「リドリー殿がおっしゃったんですか? 若い頃遊んでいたと?」
「ええ、……まぁ……、そうね」
「本人だって隠しているわけではありませんが……あなたに言うとは驚きですね」
「そう? でも、彼は私の部屋を使っていたから、私がその資料を持っていて、既に知ってると思ってたみたい。彼が私に会いに来たのは、それもあったのよ」
まぁ、私が見てたのは知らなかったけど。