84 月明かりのダンス
当たり前だけれど、ダンスは体力を使う。鼻歌であっても、踊りながら長いこと旋律をなぞっていると、さすがに息が苦しくなる。私の声がとぎれとぎれになると、リアンは穏やかに笑い、綺麗にフィニッシュの姿勢をとった。さすが。
「……すごい楽しかったわね!」
少し息が上がり、私は興奮しながらリアンに抱きついた。もう少し長く踊っていたかったけれど、限界だ。
「……そうですね」
小さく呟くのを聞き、私は体を剥がしてリアンの顔を覗き込んだ。
「そうでもなかった?」
「いえ、楽しかったです」
「でも、なんだか……辛そうだから」
「息が……上がっているだけです」
言いながら、リアンが私の肩にそっとおでこを乗せた。私は驚いて声をかけた。
「大丈夫?」
「はい。……もう少し、このまま……」
静かなリアンの息づかいが聞こえる。こんなにリアンが弱ってるように見えること、今までなかった。本当に何か悩んでいるのかしら。リアンが悩むこと……仕事のことかしら? それとも、家のこと?
気がつくとリアンが何か言った気がした。
「今、なんて?」
「いいえ、何も」
諦めきったような表情で、リアンは微笑んだ。
私は初めて不安になった。
リアンは何かを隠してる。でも一体、何を隠しているんだろう?
「何か困っていることがある?」
「ありませんよ」
「本当に? 無理はしないでいいのよ」
「無理と言いますと?」
「前に、利用しないでって言ったでしょう? でも今は、それはもう、無理なんじゃないかと思うの。むしろ、使うべきよ」
「使う……って……」
言い淀んだリアンに、私は胸を張った。
「そう。私、考えたのだけどね。あなたの意志で、私を家の交渉に使っていいし、誰かに押し付けてくれていいってこと。なるべく気があう人がいいけど、どこでもいいのよ。私を利用していいからね」
「利用するなんて、そんなこと……」
「できない? 気にすることじゃないわ。私、ここへ戻ってこられただけで満足なの。それも、あなたが願ってくれたなんて、本当に幸せだわ。ノアのことも、助けることができたし……だから、もう欲はないの。政略結婚でも、塔に幽閉でも、また鏡の中へ戻るにしても。どこへだっていくわ。リアンが望むなら」
うん。
実際のところ、私は嫌でも従わなければならないけれど、それでもやっぱり、リアンが望むなら何でもしてあげたいと思うのは、呪いのせいじゃないはずだ。
リアンが幸せになれるのなら、心配事がなくなるのなら、私は何だってしよう。いつだって私を気遣ってくれて、私が幸せであるようにいつも考えていてくれるから。責任はもう充分に果たしてくれている。私を呼び出した責任を、いつまでも感じて欲しいわけじゃない。
そして、そばにいてくれる人を見つけて欲しい。私じゃないのは、ちょっと寂しいけれど……それは当然だ。
「……そんなことを言うから」
リアンが掠れた声で悲しそうに笑った。私は慌てて否定した。
「いえ、もちろん、メイドとして雇ってくれてもいいんだけど」
「そんなこと、しませんよ、さすがに」
呆れ声が少しだけ元気がない。それでも、いつも通りに聞こえて、私は少しホッとした。
「ノアの従者が決まったら、しばらくソフィアはすることがありませんが……どうなさいますか?」
「まぁ。ないの? そうねぇ……メイドの勉強でも」
「ご冗談を」
リアンが鼻を鳴らした。なんだかごめんなさい。
でも、メイドになれないのなら。仕事の勉強ができないのなら。私がずっとなりたかったのはなんだっけ。過去に、お金のない貧乏伯爵令嬢だった時、そして、鏡の中の暗闇にいた時、自分がそうだったらいいのになと、思ったのって、なんだっけ……
「それなら、ただの女の子になりたいな……」
私は外の庭園を見ながらつぶやいた。どんなにデイヴィッドが稼いでも、望み通りの生活を手に入れても、弟の願いが変わらなかったように、きっと私の願いも変わっていないのだ。
「はい?」
「だって、今の私って、失敗なんてできないんだもの。したとしても、伝説の令嬢なんて、誰も怒ってくれないでしょう? 立派にしていなきゃならないなんて、本当に肩がこってしまうわ」
私はふふふと笑った。
「伝説の令嬢でもなくて、過去に置き去りにした思い出もなくて、面倒な政治ごとに巻き込まれなくて、可愛い弟がいるだけの、どこにでもいる、ただの女の子……」
デイヴィッドは、両親の、姉の、妻の、子供たちの……みんなの願いをできるだけ叶えられる、正直でまっとうな、財産を築きたいと願っていた。そして私は、自分で生きられる、どこにでもいる、ただの女の子になりたかったのだ。仕事をするにしても、領地を守るでもいい。ただ、堅実に、自分を信じて生きたいと思っていた。……家族のために。
「ただの……女の子、ですか」
「そうよ。リアンが敬語を使ったりしない、甘やかしたりしない、……つまらない、そこらへんに掃いて捨てるほどいる、女の子よ。そうしたらきっと、リアンは、私のことなど気にも留めないでしょうけれどね」
すると、リアンは不敵に笑った。
「いいえ。どんな姿であれ、僕はあなたを見つけます。必ず」
「リアンが話しかけもしたくならないような、メイドや侍女や、店の販売員かもしれないわよ」
「でもそれがあなたなら、……きっとわかります」
「それは……恐るべき探査能力ね。生憎、あなたの敬愛するニコラスは、そんな私なんて、きっと望んでなかったわよ?」
「ニコラス様は関係ありません。今、目の前のあなたが望む姿なら、……僕にはきっとわかるでしょう。あなたを探し出しますよ」
それは……メイドにするくらいなら嫁に出す、嫁ぎ先が嫌でも逃げ出すな、町人になったとしても必ず見つけ出す……そういうこと? それとも、何かの魔法? 呪いの鏡に、そんな願いもつけたのかしら。
ひとまずは、私のことは、ニコラス関係なく気に入ってくれている、ってことみたいだけど……よくわからない。結局のところ、リアンは何を望んでいるんだろう?
私は首を傾げたが、リアンはいたずらっぽく笑っただけだった。