77 喧騒のあと
話し合いの末、落ち着いたジョルジョとリリーはキースに連れられて部屋を出て行き、デイジーとヴェルヴェーヌはお茶会の手伝いへ戻った。
「これで、ソフィア様は伝説にハクをつけましたね……」
キースが去り際に言ったことが気に入らない。私は結局何もしていないのだけど。ただ、部屋を使われたくなかっただけで。
それはもう、問題ない。
ただ。
リアンにバレてしまった……
この部屋が、私が戻る以前は、色事や情事に使われていたことを……だったら密会や密談とか、政治的な方が良かったかも? でもそれはそれで面倒なんだろうな……
リアンと残された私が、気まずさで俯いていると、リアンは低い声で言った。
「こういう時はキースではなく僕に相談を」
やっぱり。そう言われると思った。
「えー……、リアンは怒りそうだから」
「怒りませんよ」
「どうだか」
「あなたを怒れるわけがありません」
「嘘でしょ。私何度も怒られてるけれど」
「……心配なんですよ……」
困ったようにリアンが言う。あまりに心細そうで、私はぎゅっとリアンに抱きついた。
「大丈夫よ、私はほら、こんなに元気だもの」
リアンがそっと、その上から私を抱きしめた。まるで壊れ物のように優しく。
「ソフィア、お願いですから、ご自分で解決なさろうとしないでください」
「でも迷惑をかけたくないの」
「迷惑だなんて思いませんよ」
そうだ、いつだってリアンは優しい。
「それに、幻滅させたくなかったの」
「何にです?」
「だって、リアンは私のこと、ニコラスの聖女で、穢れなき”伝説の令嬢”だと思ってるでしょう?」
「違いますか?」
「だったらいいのにって思うわ。でも違うの。私、どこにでもいる、つまらない令嬢なのよ。貧乏伯爵令嬢なのも変わらないわ。その上、鏡の中からずっと、人の笑顔も泣き顔も、善行も悪行も、全部見てきただけ。ちょっと警告して、それで終わり。それだけなの。何も特別じゃないの」
でも、リアンにとっては”過去からやってきたソフィア”だから。
呼び戻した責任ある”特別な令嬢”だから。
そう、”私”個人を特別に思っているわけじゃない。私に憧れていて、敬うべき存在だと信じているから丁寧に接してくれているだけ。
ええ、そんなこと、わかってる。でも……優しさを勘違いしてしまう。甘えてもいいと思いそうになる。
「ソフィア……」
「ごめんなさい。幻滅させてしまって……」
私がリアンの胸に顔を埋めると、リアンは困ったように私の頭を撫でた。
「いいえ、幻滅なんて、そんな。あなたはいつだって、特別で穢れのない素敵な令嬢ですよ」
「またそんなことを……」
「ですが、本当に困った方だとは思っていますよ」
「まぁ」
「あなたは優れて冷静だし、頭も回るし、素晴らしい方ですが、暴走しますからね」
「しないわ。してないでしょう?」
「……これで?」
「でも、私の部屋だもの」
リアンが乗り込んでくるなんて思わなかったし、キースは適役だと思ったし、私もデイジーも、別に危ないことなんてなかった。
「自分のものは自分で守るわ。私の部屋は、デイヴィッドが私のために作ってくれた思い出の部屋よ。私にはここしかないの。だから、多少……その……現場を押さえようとして、躍起になったのは認めるけど」
やっぱり、あの部屋を使ったことのあるキースに頼んで良かった、とは思う。けれど、やらなければ良かったかもしれないとも思ってる。バレた時のことを考えてなかったのは、大誤算だった。今度からは、ちゃんと想定しなければ。
「僕は……あの部屋でジョルジョ殿を見たとき……あなたが息絶えてしまったかと……」
「まぁ」
「その向こうで、あの奥方が動いていたのが見えて、あなたと見間違えて、……本当に僕は……どうしたらいいかわかりませんでした」
「ごめんなさい……」
謝った私の目から、こらえていた涙が零れ落ちると、リアンは深くため息をついた。指で優しく涙を拭う。
「ソフィア……僕は、書物や伝説の中でのあなたのことを知っていますが、それは大半は作り物だと知っています。今、目の前にいるあなたが正しいのですから、僕はどんなあなただって受け止めるつもりです。あなたは僕が幻滅するなどと考えていたようですが、僕のことを何もわかっておりませんね。それに、……僕のことなど、考えてくれたこともない。初めて見合いを受けた時だって、イーズデール外務大臣との話だって、いつだって、僕はあなたの蚊帳の外だ」
そんなことはない。私はリアンのためを思ってこうしてきたのに。どこで間違ってしまったんだろう?
今回、この部屋がいろいろ使われていたことも、私が見ていたこともリアンに知られてしまった。でも、他のことはまだ言っていない。何しろ、私からピアニー家の秘密は話すことができないし、次は国家機密になりそうだし。それについては、私は発言を制限されているから……
「僕など、必要ないのでしょうね」
急に言われて、私が驚きに目を丸くして顔を見上げると、リアンはハッとしたように私を引き剥がした。
「頭を冷やしてきます」
リアンは言うと、出て行ってしまった。
私はぽかんとドアを見つめて、つぶやいた。
「……それを言うなら、私でしょう」
リアンにはもう、私は必要ないんじゃないかしら。キースはリアンをよく理解しているようだし、アンソニーは全面的に信頼しているし、ノアだって慕っている。きっとデボラも帰ってくるし、優秀なリアンだから、次期公爵の勉強だってうまくいくだろう。そうこうしているうちに、きっとすぐに結婚するだろう。
リアンの望みなんて、なんだかわからない。私が叶える必要があるかどうかも怪しいくらいだ。
私が動かなくても、全てのリアンの悩み事はもうすぐ解決するはずだ。
それなのに、私はリアンを困らせてしまったばかりか、心配させて、一部の秘密もバレてしまった。
鏡から見てたことは多少知られても構わないけど……やっぱり、黙っていたこと、幻滅されてしまったかしら。どんな私でも受け止めるなんて、そんなこと、できっこない。現に、リアンは行ってしまったじゃないの。
私なんていらなくなってしまったかしら。
「そう思わない? ねぇ、鏡」
尋ねてみたが、答えはなかった。