74 張り込み
そしてそれは、翌週のことだった。
私たちは簡単に、その現場を押さえることに成功した。
「いいだろ、僕のかわいい小鳥さん」
私の知らない男性の声が響いた。続いて、柔らかな女性の声。
「いやだわ、お話ししたいって聞いただけだもの」
「でも二人だけだよ。大丈夫」
「どなたかが来たら……」
「この部屋は誰も来ないって。知ってて、僕についてきたんだろう?」
甘やかな言葉が囁かれ合い、クスクスと忍び笑いが聞こえる。断っている女性だって、断るのもどこまで本気なんだか。きっと口説かれるのを楽しんでるだけ。
「……どうすんの、ソフィア様。いつ出てくの」
耳元でキースがつぶやいた。
あまりにも小さな声で、まるで吐息のようにかすれている。嫌そうに眉をひそめているのは、向こうで睦言を言い合っている男が、キースのライバルだからだ。ただし、ライバルと言っても、明確に何かを競っているわけではない。ただそりが合わないというか、とにかく、似た気質なのに、互いに癪にさわる相手なのだ。
なぜ知っているかといえば、以前、二人がこの部屋で女性を巡って喧嘩をしたことがあるからだが、それはさておき、女性の方は、人妻だ。それを言うなら、男性だって、婚約者がいたはずだ。
「俺は人妻には手を出したことはないぞ」
「どうでもいいです」
私は言うと、考えた。
「無断よ?」
呟く声に苛立ちが募り、キースが青い顔でびくりと身を震わせた。
「……ええ、はい、そうですね」
「同じお茶会で、二週にわたって、無断で使うの? 今、誰も管理してないじゃない。だからご自由にって思ってるのかもしれないけど、ここは乱行パーティーの会場じゃないわ。それに、次の日は誰も使わなかった。それに、同じ人じゃない!」
「なんでわかります?」
「香水の香りが同じよ。女性は違うみたいだけど、男性が同じ人ね。オリジナルの香水だと思うわ。今更気づくなんて、私ったらどうかしてる」
「どうもしてません。普通なら、そんなこと気付きませんよ」
「わかる? つまり、同じ人が味をしめて使ってるってことよ? しかも相手をとっかえひっかえしてね。バカにしてるわ」
「あー……そうですねぇ……」
キースは頭を抱えた。
「もう、出て行った方がよくない?」
「ダメよ。絶対に、金輪際、内緒の情事なんかしたくならないように、ぎっちり締め上げてやる。考えてみれば、私の部屋を私が使っていることくらい、もう使えないことくらい、わかって当然でしょ?! そんなこともわからない男に、秘密を楽しむ器なんてあるもんですか。何としても……恥をかかせてやる」
「やめましょうよ。今出て行けば、使わないでね、で終わりますって……あー、さっきって感じですかね、今はちょっとなんというか」
抱き合う男女を前に、どうということもできないかもしれない。私は思案してキースに顔を向けた。
「本格的に始まってからのほうがいいかしら?」
「なんで?」
「言い逃れができないでしょう?」
「え、う、でも……待つの?」
「それしかないでしょう。私はなんとも思いませんけど……興奮してしまうタイプ?」
「無理」
異様な何かを見るような目で、キースは私を見ると、頭を振った。
「こんなの聞いてないよ。助けてリアン」
「リアンに言わない約束よ」
「言わないよ、言えないよ、こんなの! 君が自室の情事を出歯亀してるなんてさ!」
「誰のせいだと思うの? 私だってしたくてしてるわけじゃないわ!」
私は肩をすくめた。
「それにね、鏡の中は、それなりに時間がありましたの。今、庭にいる方がどれだけ使ってきたか、ご存知?」
私が真面目に言うと、キースは小さく頭をかきむしった。
「だから! なんで! 冷静なの!」
あくまで小さな声で叫べるなんて、さすが、百戦錬磨の手練れだ。
「猫と一緒よ。でも、相手が相手なんだから、キース様、あなたが出て行った方がいいかもしれないわ」
「い」
いやだ、とキースが言いかけた時、部屋のドアが開いた。
「ソフィア、居ますか!」
リアンが血相を変えて入ってきた。ギョッとして立ち止まるリアンと、まさにこれからといった二人が、見合った。リアンの後ろから、デイジーとヴェルヴェーヌが追いかけてくる。
「リアン、様、ここへは、来ない、ようにと」
息も絶え絶えにいうデイジーだったが、リアンはそちらに気を払う様子はない。それはそうだ。いないはずのカップルがあられもない姿でここにいるのだから。
「……ジョルジョ殿? と、ソフィア?」
リアンの声が震えた。キースが小さく舌打ちした。なるほど、リアンからは女性の顔は見えないのだろう。
「……し、知らずに、すまなかった……ジョルジョ殿、僕は」
「いや。いい」
ジョルジョが小さく答えた。興奮が一気に冷めたばかりか、人妻を相手にしていたなんて知られたら、どちらも破滅だ。なんとかしなければ。まだソフィアと勘違いされたなら未婚女性だもの、大丈夫。そう踏んだのだろう。だが、そうは問屋が卸さない。
と思い、私が立ち上がろうとした時だった。
「無様だな、ジョルジョ」
キースが立ち上がった。え、打ち合わせになかったじゃないの。いやだって言ったばかりなのに。私も立ち上がろうとすると、キースは全力で私の頭を押しとどめた。
「何を言う、キース」
「リアン、本当にソフィア様なのか、確かめたほうがいい」
その言葉に、リアンが恐る恐る足を踏み出す。今度はジョルジョが舌打ちをする番だった。キースはたっぷりと余裕を持って、ジョルジョに視線を向けた。
「愛しいお相手に、ソフィア様の振りをさせるなんて、無粋じゃないか? それとも、この部屋がソフィア様の部屋だから、ソフィア様だと相手を思いたくてこの部屋にしたとか?」
キースが嘲るように言った言葉が終わらないうちに、華麗な平手打ちがジョルジョの頬を打った。