73 ちょっとした頼み事
私たちは早速、居間に移動した。
デイジーが丁寧にお茶を淹れてくれる。ソファに向かいに座り、キースは挙動不審に辺りを見回した。
「お茶会は庭で、使用人たちは出払っております。家のものも誰もおりませんし、何もありませんわ。わたくしも伝えようとは思っていませんから。今更、誰が知っているのかなんてわたくしにわかるはずがありませんもの。わたくしの部屋で密会なんて、ねぇ?」
リアンや誰かが待っているわけではないことにホッとした様子で、観念したようにキースは肩を落とした。
「……悪かったですよ。誰から聞いたんですか?」
私は肩をすくめた。慇懃な話し方はもうやめだ。
「私が見たのよ」
「へ?」
「私のこと、知っているのでしょ。鏡の中にいたこと。中から外を見ていたこと。ずっと見てきたこと。あの部屋は私の部屋なのよ。とりわけ、あの鏡はよく見てたわ。何が見えるか、ご存知? なんでも見えるの」
キースは信じられないように私を見た。そうよね。考えたくもないでしょう。私だって思い出したくもない。
「嘘だろ」
「信じられない? でも、私、よく知ってるの。いろんな方がやってきたわ。あの時は私もいなかったわけだし、別に構わないけど……」
私は一瞬言葉を途切らせ、ちらりと見ると、キースは冷や汗を流していた。
「それでも、私が戻ったら別の話。やめてもらわないとね。協力してくださる?」
「なんで俺? どうしてリアンじゃないんですか?」
警戒心、大いに結構。当たり前だよね、すごく困るよね。でも私だって困るわけで。
「無理よ。リアンが冷静になれると思う? 歴代の家主が大切にしてきた聖女の神聖なる部屋よ。リアンにとって、どれだけ穢れのない部屋なのか」
「神聖?」
「そうでしょ。ことあるごとにニコラスニコラスって、うるさいし。ニコラスの穢れなき”伝説の令嬢”って思ってるって言われたばかりですもの」
「そうなの? デイジー、そうなの?」
戸惑った様子のキースがデイジーを見るが、デイジーは表情に何も見せず、軽くかしずいた。
「お嬢様がおっしゃるなら。殿方の機微は、私にはわかりかねますわ、キース様」
「ソフィア様……?」
私は、こちらに向き直ったキースの訴えを無視した。そこはどうでもいい。とにかく、リアンには伝えないのだから。
「私が鏡にいたことを知ってる人は少ないし、信じてくれる人を探すリスクは冒したくないの。あまり知られたくないことだし。だから、あの部屋を使ったことのあるあなたに、と思ったの」
「……俺が」
「使ったのは知ってると言ったでしょう? ベッド中央には乗らなかったわね、端をお使いだったわ、そういうのがお好みなのね。素敵な未亡人ばかりで後腐れなくてよろしゅうございましたわ。ベッドメイクは女性の侍女たちがしていたかしら?」
キースは一瞬、絶句した。そしてまじまじと私を見た。失礼ね。
「……見てたの。知ってたの。てか、知ってるの」
「さっき言ったでしょう。人の部屋を使うのに、見られていないと思うの?」
「あの時は知らなかったんだよ!」
恥ずかしさで声を荒げ、キースは少し後悔した顔で頭を押さえた。私は同情しないようにキースから目をそらした。交渉ごとはなかなかに難しい。
「そうは言ってもね」
「そのこと、……いろいろ知ってること、リアンは知ってるんですか」
「もちろん、知らないでしょう。ほら、神聖視してるし、無垢で純粋だとでも思ってるのだもの。まぁ、私、そもそも恋愛ごとにもあまり興味がないから……愛し合う男女が何をするかなんて、知らないと思われていても不思議はないわ」
すると、キースはソファにもたれて、天を仰ぐように頭を上げた。
「リアン、知ってることを知ったら、卒倒しますよ」
「だからキース様なんでしょ。第一、リアンは私の部屋の使い道を知らないんですから」
「あぁ、……まぁ、そうっすね」
キースのうんざりした声を聞いて、私は申し訳なく思った。こんな風に、交渉のカードにするつもりなんてなかったのに……
「でもですね、……俺でいいんすか? ノアは?」
「ノアにはまだ早いわ。それに、家の人には知られない方がいいと思うの。そう思わない?」
「……あぁ、思います。けど」
キースが意味ありげにデイジーに目配せをする。デイジーはにこりと微笑む。逃げ場なし。
「もし協力してくれないとなれば、やっぱりリアンに言わないとならないわよね。主にあなたのことも含めて」
「俺の?」
「そうよ。私の部屋を無断で使ってきたあなたのこともね」
私の部屋が今まで、どうやってどんな風に使われてきたのか、私が何をどう見たのか、全部言ってやっても構わないけど?
「……協力しましょう」
苦虫を噛み潰した顔でキースが言った。やった。思った通り、キースはリアンに甘いのだ。私がニコニコしていると、キースはそれでも食い下がってきた。
「でも、誤解されたら困るんじゃないんですか」
「私とあなたが? 誤解? 責任とってくださる?」
笑顔を絶やさず続けると、キースは青い顔で即答した。
「無理」
それでなくても動揺して、口調が目上だったり同等だったり、ブレてしまっているのに。かわいそうなキース。
「それなら、誤解されないようにお互いに誠意を尽くさねばならないわね」
「……わかったよ。何をすればいい?」
それは最初から決まってる。
ベタだけど、あの部屋を見張るのだ。
キースと私で。