71 ピアニー家での茶会
ついに、ピアニー家主催の、屋敷で行うお茶会の日になった。
お茶会は週末ごとに数回かけて行われることになっていて、かなり大規模だが、ノアが当主として充分にできるってことを証明しなければならない。
だが、私の見通しは甘かった。
リドリーとの見合いのあと、ノアと公爵の提言で、すぐにお茶会の準備が始まり、私はまた忙殺された。当初、この家では何度もやってきたことだし、私も見てきたし、きっとできるだろう、そう思ってた。でも、それは甘かったらしい。準備は大変で、”呪い”の”の”の字も、”魔法”の”ま”の字すら頭に浮かんでこない日々を過ごした。
ついでに、リアンの”リ”の字も口に出さないほど喧嘩が長引いたといえばかっこよかったけれど、そうはいかなかった。
「リアン! ほら見て! 今度のお茶会は、スミレの花がモチーフよ! 紫色で、可愛いでしょう?」
スミレの花を模して作られたテーブルのリボン飾りを持ち上げ、私はリアンに笑顔を見せた。リアンも自然と微笑んだ。
「今日は随分と無邪気でらっしゃいますね」
「あら、そうかしら。あぁ、でも、そうかもしれないわ。私がいた頃は、貧乏で何にもできなかったのよ。友達のお茶会に行っては、素敵だなぁって思っていたの。だから、この屋敷で始まった時は嬉しかった。その上、私も関われるなんて! すごいことよ! あぁ、嬉しいわ」
結果、私はリアンと仲直りしたのだ。
喧嘩をしてから数日、顔を合わせてもギクシャクしていた私とリアンだったけれど、ノアの計らいで、それはうやむやになり、それは仲直りとなった。そして、ようやく最近、前のように気楽に話せるようになった。
あれから、さらに見合い話が増えて、十件に一件は会うようにリアンが選ぶようになってから、リアンはだいぶ、私に対して距離を置き始めた。の、だと、思う。あまりお茶やお出かけのお誘いをしてこなくなったからだ。頼み事もない。
お互い忙しく、会うのは、私を見合いに連れていく時だけ。三人ほど会いはしたけれど、リアンのお眼鏡に適う人はいなかった。余談だが、彼らにとって、私との見合いは自慢になるらしい。
だから、今日は久しぶりに二人きりだった。
リアンがため息をついた。
「お喜びなのもわかりますが、何があるかわかりませんので、落ち着いてくださいね」
「わかってるわよ。私は後ろで控えてるわ。おとなしく。ノアにちらっと紹介してもらうのよね、それだけ我慢すれば、美味しいお菓子に」
「ダメですよ。”伝説の令嬢”らしく、しとやかに座っていてください。ご自分からお菓子を取りに行くなど、言語道断です」
「エェー」
「何を言おうとダメです」
「だって私、もう王宮のお茶会で立食しちゃったし……」
「それはそれ、これはこれです。ピアニー家の、ノアの公式なお茶会なんですよ? 呼ばれて参加するのとは違うんです」
「そうだけど……」
私はしょんぼりとしながら、会場を眺め、ここが人で埋まるのを想像した。色とりどりのドレスを着た令嬢や夫人、立派な物腰の紳士たち。出席の返事の量からするに、かなりの出来栄えのお茶会になるだろう。さすがピアニー家。いろいろあったから注目されてるんだわ。私も含め。
「デボラも呼べばよかったわ」
私が思わず言うと、リアンは不思議そうに私を見た。デボラはリアンの幼い妹だ。
「デボラですか?」
「ええ。手紙のやり取りをしてるのよ。とっても可愛くて、……こんなお茶会に出たらきっと、楽しいだろうと思うの」
「しかし……デボラは……人が多いところはきっとまだ」
「そうね。でも、いつまでもそんなこと言ってられないでしょう。まだ十歳だけれど、とてもしっかりしてると思うわ。言葉もだいぶ覚えてきたし、立派な淑女よ」
「ええ、ですが……今は屋敷でほとんど人に会わない生活をしているものですから。段階が必要かと」
「私とノアが行ったじゃない。デボラは平気だったわ」
「お二人だけでしょう?」
「キース様がいらした時も大丈夫だったけど」
「キースは優しい男ですから。お邪魔になることはないかと」
「まぁ……そうだけど……」
その時、キースがリアンの友人だと聞いて、デボラが並々ならぬ関心を示し、話をねだったことは言った方がいいのか言わない方がいいのか。言ったら、それはそれで困惑しそうだし、悪い方にとらえるかもしれないから、言わない方が無難かもしれないけど……今、デボラは家の中に閉じこもっていた数ヶ月前よりずっと、外の世界に興味がある。私と手紙をやり取りする頻度が増えたのもその証拠だ。
デボラが拙いわがままを言いだす前に、リアンがなんとかしてあげられたらいいのだけど。
何しろ、公爵夫妻はお忙しくて、デボラの様子を見に行ってあげるだけで精一杯なのだ。その上、デボラとリアンに気を使ってもいて、一緒に暮らしたいと切り出しかねている。こちらに遊びに来られたら、会う時間が増えて、もっと家族で理解しあえるようになると思うけど、その前にリアンの意識改革の方が必要なのかしら……
「ですが、デボラが心ない中傷に晒されるのは許すことができません。僕に対してだって、まだあるのに」
「過保護ねぇ。ずっと守って囲っているだけじゃ、デボラのためにならないわよ」
「それはわかっておりますが」
リアンは言いながら、困った顔をしている。
この顔、よくさせているような気がするわ……
でも、本当に嫌だったら、私はそろそろ具合が悪くなっているはずだ。
「デボラはよく、手紙に、最近の好きなもののことを書いてくれるのよ。庭に遊びに来た小鳥だったり、飼っている犬だったり、猫だったり。部屋のソファのことや、お気に入りのドレスのこと、好きなリボンの色や、美味しかったお菓子や、使用人にされて嬉しかったこと。ね、デボラは悲しいことより、楽しいことに目を向けるようになってるの。まだ、あなたのことは手紙には書いてくれたことはないけれど、わかるの」
前に言ってくれたことがあるし、デボラにはいい思い出がある。きっともうすぐだ。
「あなたのことも、きっと好きよ」
「僕が……なんですって?」
「デボラよ。あなたを好きだったことを思い出すのも、もうすぐだって話」
「デボラですか……」
自信がなさそうに口元を押さえるリアンに、私は励ますように背中を叩いた。
「大丈夫よ、リアン! デボラはきっと、戻ってくるわ。家族一緒に暮らせるわよ。その時に、お迎えに行きましょう?」
「そうだといいのですが」
「ええ、きっとよ。”伝説の令嬢”の言うことを信じなさい」
「……そうですね。あなたは長いこと時代を見てきた、穢れのない聖女のような方だから……」
え、ちょっと待って。
「それは言い過ぎよ」
「でも僕には本当のことですよ」
「時代を見てきたなら、穢れまくりだとは思わないの?」
「思いませんよ、ソフィア。あなたは僕にとって……ニコラス様の穢れなき”伝説の令嬢”なのです」
ニコラス病もここまでこじらせるとまるで信仰ね。
私は呆れて肩をすくめた。
「それなら、リアンは私の特別な神の使いね。私をここに戻してくれたんだもの。リアンこそ、穢れない心で私を鏡から戻してくれたんだわ」
そのおかげでいろいろ面倒なことになっているわけだけど、それはリアンがしたことではないから。そもそも、あの鏡がしたことだ。むしろ、呪いの鏡を術具として作った術者のせいだ。決めた。できるだけ早いうちに、あの鏡のことを解明する。そして今度こそ、私を鏡から出す。鏡から流れてくる魔力などいらないし、むしろ、鏡などいらない。
私ははたと思い当たった。
そうよ。呪いの鏡なんていらない。いっそのこと、”呪い”の力をなくしてしまえばいいんだわ。私ったら、なんて頭がいいんだろう!
自画自賛しつつ、私は笑いながら手をリアンの額に押し当てた。
「リアンの穢れなき魂よ、世に幸せをもたらせ!」
願わくば、鏡の呪いを打ち消すような願いをしてくれますように。なんてね。
「やめ……やめてくださいったら」
リアンが無理やり私の腕をつかんで引っ張ると、私はバランスを崩してリアンに思い切り突っ込んだ。
「いたっ」
「あぁ、すみません、ソフィア。お怪我はないです……か……」
覗いたリアンの顔が、私の目の前にあった。リアンが先に気づき、顔を真っ赤にして離れた。いつぞやの、髪に頬ずりしていた時と同じ反応だ。
女性が苦手なの、変わってないのね。
私は思わず微笑んで、リアンの手を取って引っ張った。
「大丈夫よ、リアン。ちょっとふざけ過ぎてしまったわね。後でノアに怒られちゃうわ。急いで、これから全てのテーブルをチェックしなくては。手伝ってくださる?」
すると、リアンはホッとしたように息を吐くと、ふわりと笑顔になった。