7 屋敷の門前
どこが同じなんだろう、と思っているうちに、屋敷についてしまった。
馬車が止まると、先に降りたリアンは私に馬車で待つように言い、御者に何事かを告げると、さっさと屋敷に入ってしまう。
「・・・なんだろ」
私が首をかしげると、馬車のドアを抑えていた御者が、クククと笑った。
「どうしたの?」
私が窓から顔を出して声をかけると、彼は慌てて身を正した。ちょっとだけ年のいった、でも働き盛りのいいおじさまといった風情だ。
「あ、いいのいいの。突然出てきたのに、リアンについていく私に不審な目も向けずに送り迎えしていただいて、どうもありがとう。いろいろ確認できてとても助かったわ」
「本当に、・・・ソフィア様が出ていらしたんですなぁ・・・」
「私のこと、知ってるの?」
「は、はい。私達、マガレイト家の使用人は、ソフィア様については、このピアニー様の御屋敷の使用人達と同じようにしつけられておりますので」
「しつけ? 同じって?」
「お仕えする主人が『この女性はソフィアだ』と言ったら、疑問を持たずに丁重に扱うという趣旨でのことです」
「まぁ・・・」
デイヴィッドったら、いったいどこまで影響力を発揮してるのだろう。いや、これはニコラスも関与している気がする。二人とも困った人たちだ。
「実際に遭遇してみて、疑問には思わなかった?」
「はい、・・・えー、最初は、もちろん、何言ってるのかとは思いましたよ。リアン様がここのところの心労でおかしくなられたんだと。もちろん、リズ様に似ておられるし、縁者であると言われれば疑いようがありませんが・・・誰もいない御屋敷に一人で入って、いきなり妙齢の美しいご令嬢を連れて来れば、何か特別なことが起こったんだと思わずにいられませんし、リアン様のピンチの時にソフィア様が現れたとなれば、言い伝えは本当だったんだ、これは、本物だ、丁重にお迎えしなければと思いますよ」
「・・・なるほど。でも、とにかく信じてくれてありがたいわ。私でも信じられないけれど、本当に鏡の中にずっといて、今日、出てきたのよ。改めて自己紹介をするわ。私はソフィア・アレクス・ピアニー。百年も昔の人間よ」
「あ、これは失礼いたしました! 私はブルータスと申しまして、今は御者をしております」
「いいわねぇ、公爵家に勤めるなんて安定した就職先で羨ましいわ。これから、落ち着くまではあなたにもお世話になると思うけど、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、お願いいたします」
ブルータスが深々と頭を下げる。
「それにしても、大きなお屋敷ねぇ・・・」
私は感嘆してため息をついた。
屋敷を出る時は気がつかなかったが、素晴らしい建物だ。白亜の壁にシンプルな茶色いレンガ、屋根。扉は一枚板に細かい細工がしてあり、蝶番など、すべてピカピカの真鍮だ。いいものを使っているようで、建物全体に重厚感があり、威圧感がある。それなのに、温かい雰囲気で親しみやすく感じる。手入れが行き届いているからだろう。細かい細工も埃一つ入らないように、いつもは磨かれているのだろう。ガラス窓も大きくて美しい。程よく高い塀の上からは、庭園の木々やつる植物の絡まる枝が青々と見えている。早く中に入りたいものだ。
「それより、いつまで私はここにいないとならないのかしら?」
「リアン様は、御屋敷に戻ったら、ソフィア様がまた鏡に戻ってしまわれないか、心配なんだと思いますよ。何しろ、理想の女性がそのまま出ていらしたんですから」
「理想?」
「ええ。リアン様の初恋は、ソフィア様の肖像画ですからね」
なにそれ。私が思わず固まると、ブルータスはしまった、という顔をして、言いにくそうに頭をかいた。
「ああ、リアン様には言わないでください。でも別におかしなことではありませんよ。ソフィア様はお美しいし、賢そうな目をしておいでで、・・・あ、私ごときがこんなこと、言ってはなりませんでした」
慌てて口を閉ざそうとするブルータスを、私は落ち着かせた。
「そんなこと、・・・私相手に身分なんて気にしないでいいのよ。本当に。第一、存在していないはずなのに、鏡から出てきたりして、立場的には微妙じゃない? むしろ空気、っていう・・・」
「伝説のご令嬢にそんな扱いをできるわけがありません。そうでなくても、ソフィア様はリアン様から大切にされている方です。ご自分のことをご理解くださいませ」
「理解って言ったって・・・、リアンがデイヴィッドの日記から鏡のことを知ったので、私を鏡から戻したってことは理解してるし、ノアがデイヴィッドの子孫だってことはわかる。でもそれ以外のことはまだよくわからないの」
ブルータスは頷いた。
「ノア様も御存じのことですが、アーロン様はじめ、みなさま、リアン様が『伝説の令嬢の肖像画』に一目惚れしたことはよく知っていて、からかっておいででした。エリザベス様はお小さい時からリアン様をお好きでしたので、なんとか振り向いてもらいたいと、ソフィア様の肖像画の真似をなさって・・・」
リアン、大丈夫なの・・・? そんなのリズがいいに決まってるだろうに、何をどうなったらしゃべりも笑いもしない肖像画がいいだなんて思うんだろう。
「リアン様はからかわれることも、真似されることも、甘んじて受けておりましたよ。お見合い用の肖像画でもないのに心を奪われるのは困ったことだと、旦那様も笑っておりました。ですが、年が上がり、結婚を意識するようになると、また変わりましてですね、・・・」
「リズがリアンを諦めてアーロンと婚約した?」
「リアン様はその頃、少々女性不信でして、・・・エリザベス様を受け入れられなかったのも仕方ありません。リアン様も現実で探すのを諦め、デイヴィッド様の日記や過去の書物などを探して、鏡について調べておられたんです」
「だから私が出てこられたってこと? それじゃ、私はリアンに感謝しないと・・・?」
「リアン様のことだから、それは無用と仰りそうですけれどね。そもそも、できるとは思っていなかったようですよ」
「御者なのに、随分とよく知ってるわね?」
「リアン様のおつきの方から、説明を受けておりますので」
ブルータスはニコリとする。食えない笑顔だ。
「最後に鏡から見たリズは、とっても幸せそうだったわ。髪に白い花を挿して、それがとても美しくて、・・・」
「アーロン様とご婚約なさったときかもしれませんね」
ブルータスの目がだんだんとうるんでくる。
「リズ様ももちろんお美しくて華やかで、とても楽しい方でした。私も送迎するのが楽しみでして。ずっとリズ様をお慕いしていたアーロン様がリズ様と婚約なさった時は、本当に私も嬉しくて、妻と手を取り合って喜んだものです」
「そうだったの・・・会いたかったわ」
「仕方ありません。今こうしておられるんですし、リアン様とお幸せに暮らすのが一番よろしいかと存じます」
「そうはいっても・・・リアンが結婚したら、私、明らかに邪魔者でしょう? それまでになんとかこちらで生きていく目処を立てないと」
私がため息をつくと、ブルータスは目を丸くした。
「リアン様が? 他の方と結婚?」
「そうよ。ノアが戻ってきたら、ノアも結婚するでしょう。今のこの家の財産なら、行かず後家でも良さそうだけれど、そうそう甘えてもいられないし」
「リアン様がソフィア様を退屈させることはないと思いますけどね」
ブルータスは肩をすくめた。
貧乏貴族時代、私はメイド達と一緒に家のことをやっていたから、正直、高貴なお貴族様たちより、ブルータス達使用人の方が話しやすいし、心情もわかる。私の口調から、おそらく、慣れてくれば態度が気安くなるのは当然だ。リアンより使用人の方が近いだなんて、”伝説の聖女ソフィア”としては頭の痛い現状だ。
「退屈なんかじゃないわ。ようやく現世に戻れたんだもの、それだけでワクワクするわ」
「そうでしょうとも」
「うちには庭師が何人かいる? 一人だけかしら? 私、あまりよく見えなかったのよね」
「はい。親子で二人、いらっしゃいますよ。庭がお好きで?」
「ええ! 前の屋敷は小さくて庭が小さかった上に、お金もなかったから、あまり豪華にできなかったけど、今なら素敵な庭になっていそうよね。バラのアーチとか、東屋とか、サンルームでお茶とか、いろいろしてみたいって、お母様と話していたわ」
懐かしそうに私が話すと、ブルータスは微笑ましそうに眦を下げた。
「私は、お庭に入ることはほとんどございませんが、厩舎から見えますし、何しろ、馬車の中でみなさんがお庭の話をしていらっしゃいました。バラのアーチも、東屋もサンルームもございました。お茶会もなさってた様子でしたよ」
「本当に?! それは嬉しいわ。私もお茶会できるといいなぁ・・・」
「そうですね」
「その前に、この今の屋敷の使用人達に、私のことを認めてもらわないとね」
「私と同じく、すぐに受け入れると思いますがね」
「表面上はそうだと思うけど。ブルータス、あなたみたいに、リアンと行動を共にしていた上で体験して納得できるならいいけれど、他の方はそうではないでしょう。特に、ノアの大事な時期だし、私がこの家を乗っ取ろうとしてリアンを騙している性悪女に見えても仕方ないわ」
「うーむ・・・お嬢さんを見ていると、とてもじゃありませんが、性悪女には見えませんが。耳にしている限りでは、リアン様に言い寄ってきていたご令嬢よりずっと素直でしっかりしておられると思います」
「やぁね。たった数時間で評価しては良くないわ。あなたもいつだって、私がおかしいと思ったら糾弾してくださいな。私はノアや自分のためにどうにかしようとするけれど、あなたが考えるのはリアンやマガレイト家のためになることなんだから」
「なるほど。・・・よくわかっておいでですね」
「これもあなたを丸め込む作戦かもしれなくてよ? 気をつけてね」
私が笑うと、ブルータスも笑った。