67 外せないお相手
私の評判がどうであれ、ともかくも、私は自分の目の前の役割をそれなりにやっていくしかない。
ノアの代わりに夏離宮のための代理名義人、他国へのマスコットキャラクター”伝説の令嬢”、デボラの文通相手の優しいお姉さん、アンソニーの性別を超えた友人、リアンの最大の望みを叶える呪いの鏡、呪いの鏡の作り方と”呪い”の解き方の調査員、そして、最近、新たに加わったのは、チャーリー王子の文通相手である。
この調子でやることが増えていったらいつかパンクしそう。
……リアンの願いなんて、叶えられるのかしら?
最近の手紙のやり取りから、デボラは元気にはなっているけれど、まだ両親や兄と暮らす勇気は出ないらしい。”大好き”を増やすのが怖いようで、端々に不安が見える。それでもこれから先、たくさん見つけることができるはず。それを伝えてあげたいけれど、なかなか難しい。
私が過去に”大好き”をたくさん置いてきたと知ったら、デボラはどう思うだろう。大好きな家族、大好きな学校、大好きな友達……
「ソフィア、明日はお見合いです」
「は?」
物思いにふけっていた私を、リアンの声が吹き飛ばした。
「リドリー・アーチボルト公子、ランダー公爵家のご嫡男です。二十六歳、僕の二つ下ですね」
すごく不満そうだが、行って欲しくないわけではないらしい。むしろ、いかないと困ると思っているような表情だ。
「それはいかないとならないの?」
「そうですね。先方はお忙しく、ですがどうしてもお会いしたいとのことで……それに、ピアニー家からすれば、格上のお相手、辞退することも難しいでしょう」
「わかったわ」
私は頷き、リアンを盗み見たが、嬉しそうでも悲しそうでも何でもない。無だ。
あっ これが? アンソニーの言ってた無の境地っていう?
「あっさりしていますね」
リアンが不意に言い、その言葉に、私は首をひねった。
「そんなものじゃないの?」
「見合いですよ? どんな相手なのか、気にはなりませんか?」
「二十六歳の男性でしょ? 公爵家の後継で……あとは会ってみないとわからないし、どうでもいいわ」
仕事の話かもしれないし、そうじゃないかもしれないし、鏡の中から見たことがあるか、結局、私の興味はそこにしかない。
「結婚するかもしれない相手に、どうでもいい、はないでしょう」
個人的には全て断る予定だし、そうしたいけど、私の一存で決められないこともある。私は肩をすくめた。
「でも、結局はリアンが選んでくれるのでしょ? 変な人を選ぶとは思わないけど」
「僕は……僕が選ぶのですか?」
あらやだ。何を今更驚くの?
「アンソニー様にも言ったじゃない。忘れちゃった? リアンが良しとする相手なら嫁いでもいいけど、って。……そんなようなこと、私、言ったわよね?」
「……言ったような気も……しますが……僕にそんな重大なこと、任せないでくださいよ」
「でも私、リアンのこと、信用してるから!」
どっちにしろ、今の所、私がいくら結婚したくても、逆にしたくなくても、最終的な決定権はリアンにあるのだから、どうにもしようがない。
私の結婚相手なんて、リアンが決めたら、……逆らったりなんかしたら、おそらく、一週間は寝込むかもしれないし。一ヶ月かも? いや、一年? とにかくきっと、長いはず。人生を左右することだもの、リアンだって軽い気持ちで決めないはずだし。
何しろ、リアンにとって、私はリアンの憧れの人、ニコラスのかつて好きだった相手で、今となっては伝説の令嬢で、この世に現れた聖女なのだから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌日、ピアニー家の門をくぐり、用意された部屋へ通された見目麗しい青年は、自分をランダー公爵家のリドリー・アーチボルドだと名乗った。
整った顔立ちに、サラサラの肩までかかる金髪を後ろで無造作に結び、翡翠のような綺麗な翠の瞳をしていた。体は細身で、あまり荒事は得意そうでない。が、その中性的な横顔は誰もがうっとりしそうなほどだ。
「お会いできて嬉しいです、ソフィア様」
そう言いながら私の手を取ったリドリーの手は、華奢で、まるで貴婦人のようだった。
「驚いてらっしゃいますね」
「え……ええ、あの、……手がとてもお綺麗なので」
驚いたのはそれだけではなかった。
鏡の中からよく見た手だ。
私の部屋をよく使っていた……まぁ、これだけの美丈夫だもの、かつては美男子だったに違いない……ええ、そうよ、美男子だったわ。だからお誘いが絶えなかった。しかも、非常に話術に長けていて、いつも女性を朗らかにさせていた。会話だけで終わった密会もあったくらいだ。その青年が、目の前でずっと華やかに笑顔を作っている。見事に美しく育ったものだ、彼は。
本当に……私の頭の中はこんなことでいいのかしら?
「それだけではないでしょう」
「え?」
「知っておいでなのでしょう、部屋を使っていた私のことを」
「ええっと……どういう意味でしょうか?」
さすがに私が見てたことなんて思いつかないだろうけど……でも、あの手はとても綺麗だったから……正直、顔より思い出すのは早かった。こんな思い出し方もあるのね。私は思いながら、リドリーの言葉を待った。
「私は幼い頃から病弱でしてね。荒事が苦手ですから、国の内政にはそれなりに通じています。先日、夏離宮の話を聞きまして、独自に調べました。そこで、あなたの部屋の使用権が移ったと聞いたものですから、憶測してみたのです。おそらく、あなたは私を知っている。そして先ほど、お会いした時、あなたは驚いて私を見た。私の顔の美しさに驚いたのとは違う……手の美しさとも違う。私の名前からどんな顔を想像していたんでしょうか?」
随分と自分に自信がある人だ。やはりこれだけの顔だもの、当たり前か。私が鏡の中から見ていたことなど知らないだろうけれど、おそらく、私が名簿を持っているなどして、利用状況を把握したと思っているのだろう。
「意地悪なことを仰いますのね。本当に手が美しかったから驚いたのですわ」
「それでも、あなたは私のことを知っていらっしゃる。それを確認するためにお会いしにきました。いやぁ、無理を言って良かった」
リドリーはうっとりした顔で私に微笑んだ。
「それでしたら、リドリー様。あなたはわたくしを気に入って下さったわけではありませんのね?」
「え?」
「信じていただけないのはわかっております。わたくしは、例え、かつて、リドリー様がわたくしの部屋を使ったとしても……それをわたくしが知っていたとしても、口外などいたしませんわ。それをご確認にいらしたのでしょう? ひどい方ですわ、楽しみにしておりましたのに……」
言いながら悲しそうに目を伏せてみると、リドリーは慌てて私の手をつかんだ。まぁ、会うまでどんな人かも興味はなかったのだけど、それを言う必要などないのだから。
「いえ、いいえ、決してそんなことは……ですが、あの……こんな私でも許していただけるのかと」
「……? どういうことです?」
悲しい顔をしていたら、本当に涙が出てきた。顔を上げると、ポロリと頬に涙が落ちた。
なんと百年で得た技術は呪いの鏡の力だけではなかった……演技力まで得られた。これはもしかしたら、人前で”伝説の令嬢”を演じるのに難しいことはないかもしれないわ。あの外務大臣だってアンソニーだって、泣き落とせちゃうかも?