66 思わぬ余波
お茶会の後日、王宮で開かれた舞踏会へは、私一人で出席した。リアンが忙しかったのと、うるさかったからだ。
それは、お茶会で何もなかったと報告した後に、ノアがリアンに告げ口したせいだった。リアンの冷たい視線がなんとも言えず、だいぶ具合が悪くなりそうで、ノアが慌てて間に入ったけれど無駄だった。
「ソフィア? 先ほど、ノアから、お茶会では宰相の息子に絡まれていたと聞いたのですが」
ヘンリーにリアンがお茶に呼んでいると声をかけられ、スキップしながら居間へ入ると、リアンがいきなり言ったのだった。
「あー………、ノアったら、どうしてそんなことを言うのかしらね? お話ししただけよ」
うふふと笑いながらソファに着くと、すぐさまリアンが紅茶を私のティーカップに注いだ。……美味しそうだ。でもリアンの顔が怖くて味わうのが怖い。何か入ってるんじゃないの? いや、逆にそんなヘマはしないか……
「外務大臣の息子より、ご自分がソフィアにふさわしいと思っているとかで、僕に話を勝手に通すとあなたに持ちかけたばかりか、無理に拘束しようとして、ノアに追いやられたとか?」
ノアったら。馬鹿正直に伝えなくてもいいのに。
紅茶を飲みながら軽く睨むと、ノアは申し訳なさそうに首をすくめてお茶を飲んだ。
「いいですか、ソフィア。それは私が判断することで、彼がすることではありません。第一、地位で言うなら、彼だって伯爵で、同じなはずですが、それについては問わなかったんですか?」
問う暇なんてなかったんだけど。思いながら、私は肩をすくめた。
「外務大臣より宰相の方が、仕事としては上の立場だからじゃないかしら?」
「だったら、側近の私だって立場は変わらないのですが」
「そうねぇ……陛下の側近なら上かもしれないけど、王太子の側近って、どうなのかしら?」
政治参加しているにしろ、アンソニーだって、良くも悪くもあえて立場を軽くしているところがあるし……王太子の側近の方が上だとすれば、立場が重くなるから、本人だってイヤだろうし……でもきっと、リアンが軽んじられるのは不愉快だろう。何しろ、大事な従兄弟殿なんだから。
いや、なんでリアンが対抗してるのよ。
「いい加減にしてください、二人とも」
ノアが見かねて口を挟んだ。
「リアン、僕はそんなつもりでリアンに言ったわけじゃないんですよ。立場など関係なく、リアンを差し置いて、ソフィアを手に入れることができるとは思えませんし。それにソフィア、リアンに言わないのはよくないです。言い寄られるだけならまだしも、身の危険があったのですから、当然です」
言われて、私とリアンはどちらかともなく目を合わせた。私はしおらしく頭を下げたけど、リアンの視線は変わらず不服そうだった。私が本当の意味で、申し訳ないとは思ってないことがわかっているんだろう。腕を組んだまま姿勢を崩さないリアンに、ノアが困ったように告げた。
「僕もちゃんと見ていますから、大丈夫ですよ」
「ありがとう、ノア」
私はノアに微笑みかけ、ため息をついた。私だって守られるだけではない、と思うんだけど。
「二人とも、私が撃退できるとは思わないの?」
今度はノアとリアン、二人が目を合わせ、リアンがさらに不服そうに言った。
「思わないわけではありませんが……とにかく、心配なんです!」
私はツンと顔をそらした。
「そんなに心配しなくても大丈夫です。今日の舞踏会だって、一人で行けますよ? ええ、一人でトラブルなく帰ってこられますとも」
「本当ですか?」
「ええ。問題ありません」
「僕がいかなくても?」
リアンに言われ、アンソニーの言葉が頭によみがえった。
『リアンがいなければ、あなたはどこまでも完璧な令嬢なんですねぇ』
「リアンが……いない方が、淑女らしくできるかもしれませんわ」
私の言葉に、リアンはムッとした顔で両手を開いた。
「それなら、どうぞご勝手に。ちょうど仕事がありますから、誰かにお願いしようと思っていたんですが……いらないんですね?」
驚いた。本気だ。
「ええ、……いらないわ」
ノアがひどく呆れた顔で私たちを見ていたけれど、売られた喧嘩は買う。いや、もしかしたら売った喧嘩を買われてしまったのかもしれない。でも、リアンがいなければ、口直しのダンスができないだけで、あとは適当に過ごしていればいいのだ。壁の花になるだろうけど、そんなこと、最初から気にしてない。
リアンだって、私が行けばいいと思っているんだから。だって具合なんて全く悪くならないもの。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
舞踏会の会場で、すぐに声をかけてきたのはバーニー・イーズデールだった。
「先日はありがとうございました、ソフィア様。……おや、リアン・ド=マガレイト殿はどこへ?」
にこやかに話しているが、おそらく、先日の宰相の息子、ヒース・オリーヴとの出来事を知っているに違いない。面白がっているのだろう、笑みの種類がちょっと違っている。私が負けじと優雅な笑みをバーニーに向けた。
「ご一緒してはおりませんわ。ご公務でお忙しいようですから」
「それは……」
「ありがたいことですか?」
「いいえ。過ぎたことを言いそうになりました」
丁寧に頭を下げるバーニーは、前ほど慇懃な態度ではない。私も多少は威厳が出てきたってことかしら。リアンがいない方がきっとそれっぽくなるのだろう。だとしたら、確かに、バーニーにとってはリアンがいない方がいいのかもしれない。
「リアン様には、あなたが思うほど、野心はありませんのよ」
「そうでしょうか。あなたを手に入れるためでも?」
私は目をパチクリとさせた。
「まぁ。リアン様にはわたくしを手に入れる必要などございませんわ」
「……どういう意味でその言葉をお使いですか?」
「優秀ですから、私の肩書きなどいらないという意味です。それ以外に?」
私が首を傾げると、なぜかバーニーは残念そうな表情をした。がっかりとは違う、なんというか、かわいそうな子を見るような……
失礼しちゃう。
「それにね、イーズデール様、王宮の勢力図を変えたいとリアン様が思うとお思いですか?」
私が言うと、バーニーは肩をすくめた。
「いえ。思いません。ですが、あなたが欲しいと言えば、手に入れようとなさるかもしれません」
「私が欲しがる?」
「はい。例えば、王妃の座が欲しいと言い出したり、政治をしてみたいと言ったり」
「そんなこと、しませんわ!」
驚いて私は声を荒げてしまった。慌てて周囲を見回したが、誰かの気を引いたということもなかったようで、誰も振り向いていなかった。バーニーは気にしない様子でしたり顔をした。
「そう思う外野もいるということです」
「リアン様がわたくしの後見人をしているのを、よしとしない人もいるということね」
「かもしれないと思う次第です」
私は顎に手を当てて考えた。
リアンはものすごくものすごく頑張れば、王座につけるかもしれない、ということはみんなが知っている。本人だって継承権は遠いと言っていただけで、ないとは言っていない。
でも、アンソニー王太子殿下ともチャーリー王子とも仲がいいから、話し合いによっては、うっかり国王の養子になって、さっくり継いじゃうなんてこともなくはなさそうなくらい、彼らは良好な関係を築いている。まして、王族お気に入りの”伝説の令嬢”を手にしていれば……
という妄想が繰り広げられるわけだ。
「リアン様がわたくしのために、己の信念を変えることなど、ないと思いますけれど。彼はアンソニー殿下を慕っておいでですし、助けになりたいと思い、それ以上を求めていないと……そう見えますが」
「見えることだけが全てではありませんからね、何事も」
「……まぁ、それは一理ありますわ」
だから邪推するのだし、憶測で動くのだし、見合いと偽った先日のドウェインとの話し合いだって、無事に終わったのだった。
「ともかくも、ソフィア様。ご提案いただいた方向で、話は進んでおります。我が息子と会っていただき、ありがとうございました」
言われ、私はホッとして笑顔で頷いた。
「あの時は、何の暗号かと思って、驚きましたわ」
「しかし、実際に我が息子に会いましたからね、良い働きでした。あれ以来、持ち込まれた見合い話も随分と増えたことでしょう。リアン殿への疑いはおそらく解消されたようですなぁ」
しれっと言われた言葉に、私は動きを止めた。さっき言っていた、リアンが私を使って王座を云々の話のこと?
「あなた……助けてくださったの?」
「何のことでしょうか?」
微笑むバーニーからはなんの意図も感じられない。
「恩を売るつもりですの?」
「予想できたことです。”伝説の令嬢”の評判に傷をつけられてはかないません。お見合いもすべてお断りになるでしょう?」
「ええ、そのつもりです」
「それは良かった。ま、当然ですね。今、諸外国とうまくやってきている状態で、内乱など冗談ではありません。火種になる前に消すのみです」
「まぁ……なるほど、よくわかりましたわ」
私の利用価値がどこでどうなっているか、私にはあずかり知らぬことなのだということが。