65 強引なお誘い
彼は、伯爵家のヒース・オリーヴと言い、宰相の息子だと名乗った。ツヤのある少し長いダークブラウンの髪に、ブルーの瞳が印象的で、体格も良い。いかにも女性にもてそうな雰囲気を醸し出していた。自分に自信がありそう。特に女性に対して。
「アンソニー殿下とこれほどお親しいとは知りませんでした」
ヒースはニコニコと私の手を握った。名前がキースと似ているので、さっぱり頭に入ってこない。間違えそうなので名前を呼ぶのは避けよう。
「いいえ? 買いかぶりでございます。親しいなどと申しては、ご不快に思われますわ」
「まさか。殿下があのような笑顔をなさるなど、随分と心を許しておられる証拠です」
「まぁ……」
笑顔って……多分、大笑いされただけなんですけど。
私の戸惑いをよそに、ヒースは興奮気味に話を続けた。
「どんなにしっかりした方でも、殿下を前に、態度が変わらないことはありません。ですが、あなたは変わらなかった……私は探していたのです。あなたのような方を。どうでしょうか、私が求婚しても?」
「困りますわ。今日はわたくし、そのために来たのではありませんもの」
私が驚くと、ヒースはグッと私の手を握った。
「問題ありません。大丈夫ですよ。私がリアン殿に掛け合いましょう。お話のあった外務大臣の息子では、確かにあなたに役不足でしょう。あなたは私にこそふさわしい」
ヒースが言いながら、私の手を自分に引き寄せた。舌舐めずりしそうに私をじっとりとみる。私が彼の好みのど真ん中なのか、百年前の血がどんな味か気になるのか、あの部屋を提供してきた(してないけど)私がどんな女か値踏みしているのか。
「おやめください」
眉をひそめて私が言うと、彼は笑った。
「こういうのもお楽しみではありませんか?」
「そ」
そんなわけあるか、と口を開きかけたところで、ビュン、と音がして、真新しいステッキがヒースの胸を目指して止まった。
ヒースが息を飲んで青い顔をする。
「これ以上、私の姉上を侮辱することは許しません」
「……ノア!」
怒りで蒼白の顔をしたノアが、彼を睥睨するようにして立っていた。と言っても、成長期のノアはまだ体ができておらず、身長は足りない。それでも相手を威圧する迫力は満点だ。
「彼女は私の身内で、大切な姉です。ぞんざいに扱って、私の不興を買わないよう注意してください。私は若輩者ですが、ピアニー家の代表です。あなたの家と規模を比較致しますか。……確かに、リアン殿は私とソフィア様の後見人をしてくださっています。彼に話を通せばいいのかもしれません。ですが、彼女の身柄は私の家のものです。私が気に入らなければ、何事も進まないと思ってください。私が若造だと思って軽視しては、とんでもないことになりますよ?」
チ、と舌打ちすると、彼はこそこそと逃げて行った。それ以外にも葉擦れの音がした。木の陰で見えないが、おそらく見ていた人がいるのだろう。
肩で息をするノアにすかさず駆け寄り、私はノアの肩に手をかけた。蒼白の顔を私に向け、ふっと笑顔になる。
「ソフィア、大丈夫だった?」
「……ええ、ノア、ありがとう」
「ハッタリでも効果はあったかな……」
「ハッタリ?」
私が首をかしげると、ノアは困ったような顔で、ステッキに体重を預けた。私は慌ててノアの腕をとり、近くの椅子にノアを座らせた。
「ええ。だって、僕はソフィアの釣書も見てないし、結婚や進退に対して、何も責任がないし、全部リアンに一任してるんだから。それなのに、あんなことを言ってしまって……」
ノアの足が震えている。足の力がまだ十分でないのに、よく頑張ったんだわ。私の目がうっすらと涙でにじんだ。
「いいえ、十分よ。私もそうなんだって思ったくらい、真に迫っていたわ。本当にありがとう」
「怒ってない?」
「まさか」
十分だ。これ以上、ノアの立場を悪くするようなことはできない。
「……姉上だなんて言ってくれて、すごく嬉しかったわ」
「当たり前です。僕たちは二人しかいないんですよ。そうしたら、僕たち、もっと協力し合わなきゃ。もっと、……家族として」
「ノア……」
なんて嬉しい言葉を言ってくれるんだろう。
「でもね、無理しないで。いいのよ、私を守らなくっても」
「何を言ってるんですか。僕では心もとないでしょうけど、僕なりに鍛えていますし、もっとずっと強くなりますよ?」
「違うわ。その、私は厄介だから、……今は少しだけピアニー家に利益はあっても、そのうちお荷物にしかならないだろうし……その前に、手放した方がいいんじゃないかと不意に思って……」
ノアは目をパチクリとさせた。
「そんなこと、できるわけないでしょう」
「そう?」
私が申し訳なく様子を伺うと、ノアは呆れたようにステッキをカツンと鳴らした。
「だってソフィアはまだ、リアンの願いを聞かないとならないんだから。そうでしょう? リアンの言うことに逆らえないのに、どうしたら僕が勝手に引き離せるの? ソフィアが具合が悪くなるだけだよ」
「でも、会わない時は平気だったもの、物理的に引き離したら、あるいは……」
「そうはならないと思う。リアンが拒否するでしょう。ソフィアのお相手をするのがとても楽しいみたいだし、リアンにはそうさせてあげたいのは僕なんです。僕は……リアンにお世話になってばかりいて」
「ノア……」
「だって、アーロンが亡くなったのはうちの責任でもあるんだから。何もかもがリアンの立場を変えてしまったんだよ、ソフィア。僕はその責任を負わないとならない……ピアニー家の当主として。まだ未熟だけど」
「まぁ」
そんなこと、デイヴィッドも言っていたわ。日記に書いていた。鏡を見つけて私に贈った自分に責任があると。私の人生もニコラスの人生も、変わってしまったのは自分の責任だと。
全く、そんなところまで似なくていいのに。
「それに、リアンがあなたを呼んでくれて、僕はとても嬉しいんです。ソフィアと家族として過ごせることを、何よりもありがたく思っています。その僕が、リアンの意に沿わないことをすると思いますか? その上で、リアンが、あなたの嫌がることをすると思います?」
ノアが私の手を取り、私を真剣に見上げた。
「思わない、わ」
優しいから。優しいのに。財産を狙う人に簡単にやられてしまいそう。危なくて、勝手に家を出ることなんて、できないじゃない。
ノアは私の答えを聞いて満足そうに微笑んだ後、少し不満そうに口を尖らせた。
「それより、僕はアンソニー殿下が、ソフィアをいいように使おうとしてるんじゃないかって心配です」
「うーん、それは否めないわね……」
書庫だって見せてくれたし、私を婚約者候補から外してくれた……あわよくば私に呪いの鏡のことを調査させて、魔法に関してさらに使い勝手の良い結果を待っているのかも……夏離宮のことから、外交までやらされそう。
「まずは、リアンの問題をすべて解決してやろうと思ってそうで」
私は思わずノアを見た。
「リアン? リアンってそんなに問題ある?」
ノアはまるで私の視線を気に留めないように、私を見返した。
「……ないけど。デボラとか家のこととか、あるでしょう」
「家のこと……あぁ、次期公爵として勉強し直しているっていう話だったわね」
「そうです。将来は殿下の右腕となって働くのだから、問題は潰しておきたいのはわかるけど、ソフィアを使うのはなぁ」
「いいのよ、私もアンソニー様も、結局は、相容れない相手だと思うの。共闘はできても、無条件で互いを助けるようになれるまでは、時間がかかると思うわ」
私が自分で納得するように頷くと、ノアは不思議そうに首を傾げた。
でも、そうでしょう? 私は自分の動機でしか動かないもの。
アンソニーは民の幸せのことは考えても私個人の幸せのことは考えてはくれない。私は私を使われたくないけれど、アンソニーは自分が使われても構わない、それが国のためになるのなら。きっとそう思っているはずだ。