64 花嫁候補、ではない
そこで私は初めて、女性たちがジロジロと不躾な視線を投げてくるのに気づいた。何で気がつかなかったのかといえば、想定できる視線じゃなかったからだろう。まるで憧れに満ちた視線と賞賛の眼差し……その中に好奇心に満ちた、面白がる視線もあったけれど。
「こういう場合、嫉妬の視線じゃありませんの?」
私が首を傾げると、アンソニーは肩をすくめた。
「普通はね。でもあなたはドウェイン殿と見合いをしたし、家の都合上、私はあなたを娶るわけにもいきませんので。つまり、私たちはとってもクリーンということです」
「後見人の公爵家のお話ね。そこを乗り越えて愛を育むとか?」
「私がすると思います?」
少し考えた。でも考えなくてもわかる。
「しませんわね。チャーリー様だって、ピアニー家と婚姻関係を結べそうにありませんもの。特に、アンソニー様はリアンをとても大事にしておりますでしょう? わたくしと結婚などしたら、マガレイト家とは距離を置かねばなりませんものね。それは精神衛生上も戦略上も、よろしくないのでは?」
「よくおわかりで。リアンは私の従兄弟で、私の名を呼び捨てしてくれる数少ない友人です。替えの効く花嫁候補より、得難い友人との距離を採るのは道理でしょう。それに、誰より仕事ができますから」
替えの効く、ねぇ……
私はカチンときて言い返した。
「わたくし本人は替えが効きませんわよ」
「だからこそですよ。私は妻とは平和的に暮らしたいのです。策略の根を張るような妻はちょっとなぁ」
なんのためだと思ってるのよ……そっちがその気なら、と、私はじっとりとアンソニーを睨むように見た。
「まぁ酷い。わたくしだってしたくてしているわけではありません。ただ”わたくしは唯一である”と言っただけです。それは皆さんそうですわ。替えが効くなど、いくら王太子であるアンソニー様でも思わないことです。愛する女性に替えが効く妻になってくれとプロポーズするおつもりですか?」
アンソニーはハッとした顔をして、すぐに頭を下げた。
「……そうでした。肝に銘じます」
ええ、ぜひに、ぜひとも。誰が将来国母になるのが確実に決まっている王太子妃に、ただ適性があるからというだけで選ばれたりしたいっていうのよ。それ以上にメリットが必要でしょう。お金とか地位とか名誉とか、それ以上に、奉仕欲とか。愛とか。個人的には後半の項目に満足したい女性を娶って欲しい。
「構いませんわ。アンソニー様にはお幸せに過ごしていただきたいと思っておりますけれど、それは殿下の自由ですものね。とにかく、夏離宮に関しては、まだリアンに知られては困るんです。アンソニー様がしっかりして下さらなくては」
「そういえば、キースと話しましたよ。彼にもお願いしたそうですね」
「あぁ、そうでした。お伝えしていなくて……申し訳ありませんわ」
「いえいえ、いいのですよ。私たちはあなたの僕です。どうぞお使いください」
そう言うと、アンソニーは使用人のようにしっかりとお辞儀をした。私は叫びそうになるのをこらえて慌ててアンソニーの頭を上げさせた。
「……やめてください、聞いてる人が本気にしたら、どうするのです?」
「あはは。これを本気に取るなんて、おりませんよ。ですが、そうですね……我が弟なら、本気でいいそうですねぇ」
「やめてください」
私が本気で怒ると、アンソニーはお腹を抱えて笑った。
「あはは。あぁ、面白い。花嫁選びのお茶会でこんなに楽しかったのは久しぶりです」
言われて、なんとなく察した。私と話しているのも、ただ逃げているだけなのね。
「無理はなさらないでくださいね……」
「ええ、ありがとうございます。……リアンがあなたを呼び戻してくれて、一番嬉しいのは私かもしれないな」
「どうしてですか? もしかして、」
聞きながら、私はふと思いついた。王宮の書庫で、守られたあの本たち。思い出しながら、言葉を続けた。
「……呪いの鏡のことを知ることができたから、ですか?」
すると、アンソニーは驚いたように目を見張った。
「いいえ。ただ純粋に、何かを望むということは尊いことだと思っただけです」
アンソニーは言った後、ふと何かに思いついたように視線を動かすと、私に視線を向けた。
「ちょうどいいので、お話ししておきます。……リアンのことですが」
「はい?」
「リアンを甘く見ないほうがいいですよ」
なんとなくギクリとして、私はアンソニーを見返した。可愛い弟とか思ってちゃダメってこと?
「どういう意味か聞いてもよろしいでしょうか?」
「ご自分がリアンの望むように行動しなければならない、とおっしゃっておりましたが」
「ええ」
「これまでリアンがあなたの行動に素直に反応していたのは、プライベートだからです。でも、リアンはああいう男ですから、公務になれば、いくらでも自分を無にできますよ」
「無……?」
「ええ、喜ぶことも、嫌がることも、放棄する心理状態になれる、という意味です」
「まぁ」
「そんな人間はごく稀です。訓練しても、なかなかできるものではありません。だから私の右腕として、とても助かっているのですが」
「はぁ」
「ですから、リアンの気持ちが全てあなたにわかるなどと、うぬぼれないように、という忠告です」
アンソニーが反応を待つように、私をじっと見た。
どう捉えたらいいの? 私が恐縮すると思ってる? 憤怒すると? 恐れおののくと? 羞恥で泣き出すと? ……それとも私を案じて? リアンを案じて? なんだか腹立つ。
「そんなことは思っておりませんわ。第一、リアンと面と向かっていなければ、私に影響がないことはわかっています。リアンが普段どう思おうと、私の前で見せなければ、私にはわかるはずもありません」
「それならいいのですが……」
「ですが、アンソニー様のご忠告、しかと受け止めました。リアンが私を政治利用しても、不本意かもしれない、ということもわかりましたわ。ご忠告ありがとうございます」
私は丁寧にお辞儀をし、アンソニーを見返した。
「”伝説の令嬢”という立場を使われたいとは、今でも思っておりません。ですが、私がどう思おうと、肩書きは変わりませんし、思った以上に影響はありそうですから。仕方ないのかもしれないと思っておりますわ」
私は笑顔で言い切った。だが、アンソニーは戸惑ったように肩をすくめた。
「そういった意味ではないのですが……まぁ、そう言っていただけて嬉しいですよ、ソフィア様。ですが、お約束します。リアンがそのようなことを強要されることがないよう、私がちゃんと監視いたします」
「それは……ありがとうございます?」
「礼には及びません。リアンがソフィア様のお世話に満足することが大事なんですよ」
そして、アンソニーはにっこりと、優しい笑顔を私に向けた。
「それでは、失礼いたします。これ以上あなたを独占していたら、今度こそ本当に、怒られてしまいますので」
「まぁ。それは……わたくしの言うことですわ」
「気をつけてくださいね。すぐに声がかかりますよ。ものの五分もしないうちに」
「ご冗談を」
「それでは」
言いながら去っていくアンソニーを、私はぽかんと見守った。
アンソニーはさすが王太子、口が上手い上に煙に巻くのが得意だ。と思った時だった。
「ソフィア様?」
嘘でしょ? 本当に声をかけられたの? そんなはずないわ。
振り向いて、私はがっかりした。少しは知っている人かと思ったが、全く知らなかったからだ。
きっと、私の部屋を使ったことはない。多分、若いから。